セナの命日に思う2017/05/01 20:23:12

今日から5月。早いものだなあとつくづく感じる。そして1日というとこの日はアイルトン・セナの事故を思い出す。あれからもう23年。

ランチ中、13時30分ごろにふと外を見たらあれあれというまに曇ってきたどころか暗くなって突然の雨と雷が。
天気が不安定なために起きたが、そのあとは晴れて夕方もきれいな夕焼けがみえた。

きれいな空、とくに朝焼けと夕焼けを見ると、なんだろうか、空に吸い込まれていくような、無常観というかはかなさのようなものを感じる。だからこそ「いま」という時間を生きていかなくては。
セナも短い時間を人の何倍ものスピードで駆け抜けていったのだろう。私はそこまでの人物ではないけれど、わたしなりのもてるものを生かして生きていきたいと、セナの命日に思う。

久しぶりに仲間が集まった2017/05/02 23:30:46

昨年、わたしのがん入院などでほとんど活動らしいことができなかった、手話ソングのボランティアグループ「虹の手」。
退院してからもちょくちょくやりとりを続けていたが、今日、久しぶりにアクティブメンバーが集まって、新しい曲をカラオケで何度も聴きながら手話表現を確認したり意見を出し合ったりしてみた。

具体的にどこの施設に行くなどの日時はまだ決まっていないけれど、昨年メンバーに大きな迷惑とご心配をかけてしまった、グループのリーダーとしては責任を果たさなくては、という思いでいっぱいだ。

体調は相変わらずだけど、ゆっくりすすめていきたい。

憲法記念日に。2017/05/03 23:54:09

先月、北海道は石狩市の高校で、全国でも初めてといっていい、ろう者が高校生に手話を教える授業が始まった。ボランティア活動としてではなく、学校制定科目、正規の授業としての取り組みだったが、これを伝えるネット上の報道に対して、否定的どころか、根拠もない一方的な思い込みの書き込みがあった。いわくこうだ。
「必要のない科目だ」「手話を教えるという名目でJK(女子高校生)の体に触る」という内容を読んで、正直書き込みをした人物は手話についてわかっているのか、知らないまま興味半分憶測半分で書いたのか、それともなにか障がい者や手話への偏見があって書いたのか。現実はこうしたこころない書き込み以上に、憎悪や敵意のこもった言葉があふれている。

音声言語と手話ができて、ブログで発信して、しかも文を書くことができる。
言論、言葉で意見を発信できる。それとの反対にあるのは敵と味方を峻別し自分が気に入らないもの、嫌いなものへの憎悪と敵意だ。あいつは敵だからたたいてしまえ。消してしまえ、死んでしまえ。

こういう風潮が、残念ながら日本だけではなく世界中に広がっている。
北朝鮮もそうだしフランス大統領選挙でもみられる。無慈悲な反撃を行ったあとで後悔しても遅い、などとかの国は主張している。

わたしたちはどうしたらいいのか。同じように敵だからたたけでは議論は成り立たない。
わたしは音声言語と手話と文をもって表現する。その志を貫き通したいし、貫くには、こちらもまた暴力や憎悪に立たないという覚悟が問われる。

あすもあさっても、普通に話せ、口と手で表現できる。この自由を誰にも侵されたくない奪われたくない。

犬がいたらいいなあ2017/05/04 23:31:43

2013年の同じ月に結婚式をあげた、言ってみれば結婚の同期である、わたしたちと知人夫婦。その知人夫婦が犬を飼ったというので、今日足をのばして会いに行ってきた。

昨年、聴導犬の訓練で慣れていたので、犬と一緒にいることへの問題はまったくない。どころかついつい小さなボールを投げて遊んであげたりして少々疲れてしまった。肩こりと片頭痛を起こして帰りがきつかったけれど。

今度はうちにおいで、と言ってまたの再会を約してお別れしてきた。

やっぱりわたしたちも犬がいたらいいなあと口にしてしまった。

犬がいたらいいなあ2017/05/04 23:31:43

2013年の同じ月に結婚式をあげた、言ってみれば結婚の同期である、わたしたちと知人夫婦。その知人夫婦が犬を飼ったというので、今日足をのばして会いに行ってきた。

昨年、聴導犬の訓練で慣れていたので、犬と一緒にいることへの問題はまったくない。どころかついつい小さなボールを投げて遊んであげたりして少々疲れてしまった。肩こりと片頭痛を起こして帰りがきつかったけれど。

今度はうちにおいで、と言ってまたの再会を約してお別れしてきた。

やっぱりわたしたちも犬がいたらいいなあと口にしてしまった。

もうおバカなことはやらかさない2017/05/05 22:52:45

どうもわたしは物忘れがあるようで、ちょいちょい失くしただの落としただのとやらかしやすい。先日は20年近く使っていた腕時計をどこかに置き忘れてしまった。

3~4日あまり、左腕がスカスカ、なんにもつけていない状態だったもので、どうにもこうにもさびしい。
妻に哀願相談して、新しい腕時計を購入することにした。
しかしわたしはあまり多機能だとか価格だとかにはこだわりも関心もない。上を見ればキリがないくらい、目が飛び出るような高額なものだとか百万年に1秒のズレだとかいう高機能のものもあるということは知っている。ちなみに調べてみたら価格がついたものでこれまで最高額の腕時計は5500ドル、日本円にして60億円ものするのだそうだ。でもそんなもの、持っているだけでかえって憂鬱,落ち着かないだけでしかない。
というわけで、妻の許可をもらって購入したのが写真のもの。

妻に許可をもらって購入したんだから、もう失くすなんておバカなことはやらかさないと思う。

やれやれである。

「第12回コスモス朗読会」台本候補を読んでいます2017/05/06 22:41:30

今日は「朗読のレッスン」と、終わってから手話サークルで教えてくださっている手話通訳士から手話の個人レッスンを受けました。例文表現では、わたしが実生活で経験したことも使われていて、妻ともども、例文を見て( ̄∀ ̄)笑ってしまった。もちろん笑うだけではなく、手話表現上のポイントもあり、なるほど、と感じるものがあったのはいうまでもない。

今年9月30日に開催予定の「第12回コスモス朗読会」台本を来月中に完成させるため。いま鋭意どこを読むか、何度も読み返しながら絞っている最中。読んでいてジーンとこころにしみてくるところばかりだ。
先月からいろいろああでもないこうでもないと、書店に入っては手当たり次第に新刊小説を立ち読みしたりしてみたが、ピンとくる、読みたいなと琴線に触れるようなものがなかったため、ゆっくり気長に待ちましょう、としていたところに、「おっ」という作品を見つけた。
来月中に朗読クラスの講師、手話通訳士それぞれに台本を提出するがどんな作品を読むかはまだナイショ(笑)。

来月中にはここでも発表できると思う。

「コスモス朗読会」の日時はまた詳細がわかり次第、ここなどでお知らせご案内します。今年も多くの方に、ろう者難聴者手話がわかる方にも来ていただきたく思います。

いま一度立ち止まって考えてみる2017/05/07 23:05:08

キリスト者となって30年あまりになる。
念願であった同じクリスチャンの妻を迎えることができた。それはいいのだけど、はたと立ち止まって考えてしまう。

「わたしたちははたして他者からどう見られているのだろうか?」

よく日本人は海外に出ると「日本人らしさとは何か」を考えすぎてしまうとか、外国人からどう見られているかということを極端に、いい意味でも悪い意味でもとらえてしまいやすい。
それはまた別の機会にゆずるとして、日本社会でキリスト者はこの30年、全人口の1%前後と言われ続けている。少子高齢化が進んでいるいま、爆発的な人口増加も難しいだろう。

クリスチャンとして考えなければならないことは多岐にわたるけど、一番考えなければならないことは、自分の姿勢を見つめることに欠けていないか、という内省というか自分を見つめることではないだろうか。
周囲への伝道、家族や両親への伝道ということを考えると、私はどうしても自分のやってきたことに疑問を抱く。つまるところ、クリスチャンではない人たち、キリストを知らない(いかにもこういう言い方をするところにごう慢さを感じるのだけど)人たちに対して自分は知っているんだ、神に知られているんだ、教えてやろう、というような思い込み思い上がりがないか?
そういう、外からの目に気づかない気づいていないまま、かたくなに自分の姿勢を他者に押しつけようとしていないか?

わたしはどうだろうか。
いま一度立ち止まって考えてみることも大事だろう。

フランス大統領選挙 39歳の若さ2017/05/08 21:09:45

ことの評価はさておき、今日早朝に結果が判明したフランス大統領選挙。39歳の若さで就任するエマニュエル・マクロン氏。しかしこれからが本当に大事になってくる。昨年11月のアメリカ大統領選挙もそうだったが、国を分断するほどに激しい対立をもたらしただけに、国内をまとめられるか、融和と一致へのかじ取りが大事になってくる。ともあれトランプのように「何をしでかすかわからない」という人物ではなさそうなのが今後に期待を持てる。

ノストラダムスブームを経験した苦い思い出2017/05/09 23:38:14

中学時代のころ、『ノストラダムスの大予言』シリーズを熱心に読んでいた時期があった。

「世界の終わりが来る来る」って大騒ぎしていかにも、自分が世界のすべてを知っていたかのような、壮大な思い上がりに浸っていた経験だった。幼稚だったともいえるし、背伸びしていたともいえるし。

1999の7の月が終わっても21世紀のいま、わたしはがんになっても生きている。がんはさておくとして、あまり世界の終わりだとかキリストが再臨するとか空中でキリストと会うとか、未確認生物だとかUFO発見だとか、いかにもそれくさい話には飛びつかないことにしている。

① 9・11はアメリカ政府の自作自演だ
② 3・11東日本大震災は地震兵器が起こした
③ アポロ11号は本当は月に行っていない

いまでもネット内外でこういうことを平気でいう人がいるらしい。

そしてこういう陰謀論だとか、いかにも知っていると言わんばかりのことを真顔で言う人ほど、疑うことを知らないしない確かめようとしない。だまされていることに気づかない。疑うことは悪いことなんだと思い込んでしまう。
はっきり言ってしまうとカルト宗教と同じである。物事を見る態度姿勢がそっくり同じということが言える。

信仰もそう。幼稚な未熟な思い上がりのようなところから、もっと成熟したものへたどりつきたい。それこそが大事であり賢明な姿勢だから。