2週間ぶりのけいこ2017/03/19 23:36:18

先週はお休みだったはーとふるはんどのけいこ。2週間ぶりということもあって「お久しぶり~」のあいさつが飛び交った。

まだまだ腹痛があるので激しい動きは無理。様子を見ながらであるが、黙って見ているのもおもしろくない。少しずつでいいから動きやダンスのステップをからだになじませて、からだが戻ったときに少しでも動けるようにできたらと思う。

笑いあり、ピンク・レディーのダンスの振り付けをみんなの前でやってみたりと楽しく、一緒の練習はもちろんしっかりやって過ごした、あっというまのけいこ。

妻がつくってくれたカレーうどんとごはんは最高のごちそうである。

三越劇場2日目、千秋楽。2017/02/26 23:41:26

楽屋にて、妻の手になる弁当をとりながら昼食を。
三越劇場2日目、千秋楽。
わたしもほかの出演者も、はーとふるに同期入団の人も、それぞれいろんな思いがあったことだろう。

ふりかえって昨年12月11日。けいこの合間にメンバーの前でがんのため入院手術することを明かした。
がん告知を受けていたが、いざメンバーの前でとなると、それなりに気持ちの整理が必要だったし言うのもちょっときつかった。

「はーとふるはんどのけいこ前にも、メンバーに報告して、入院手術、必ず戻ってくるから、とも伝えた。

(中略)がん患者でありろう者であるということを前向きに受け止め、学生時代から考えたり学んだりしたことを、自分の身をもって構築し直したり深めたりする。
そういう試練であり機会であり、人生を大きく成長させてもらえる貴重なものをもらえたということに感謝しつつ」

そんなことを昨年昨年12月11日のここに書いた。
あるメンバーから「がんで手術を終えて舞台に立ててよかったね」と手話で言われた。
まったくそう思う。手術を終えて「必ず戻るから」と約束したことが果たせてほんとうによかった。

ひさしぶりのけいこ2016/10/30 23:29:11

というわけで、風邪でお休みしてからひさしぶりのはーとふるはんどのけいこに。

なんでもそうだけど、やってよかった達成感があったと言えるものでなくては。
メンバーからダンスのからだの動きをチェックしておかしなところをしてきしていただき、昼食や休憩中に世間話も交えていろんな話ができた。こういう会話がわたしにとってはホッとする場であり、一緒に舞台に立つという目的を共有する者同士、励ましあえることが楽しい。

風邪など体調を崩している方が何人かおられた。
先週休んで周囲に迷惑をかけたのだからこそ、しっかり体調維持に気をつけていきたいもの。

みんなが楽しめた2015/11/28 22:45:41

手話ソンググループ「虹の手」、今年最後の施設訪問ボランティア。

午前10時から1時間30分ほど、当日の動きや歌の時間を計りながら練習をして、ギターも合わせてみる。わたしがゆっくり合わせて弾くことと、曲の入るタイミングをしっかりみんなに伝えるということの2点に注意して、ランチのあと午後1時30分から1時間あまり、江戸川区内のご高齢者ケアせなターでボランティア演奏を行った。

手や腕指を動かしてのウォームアップ運動を入所者の方と一緒にやって楽しんでもらってから、「紅葉」「ふじの山」と唱歌を歌って、「上を向いて歩こう」、最後に「ふるさと」を。曲を聴くだけではつまらない、と、入所者の出身都道府県名を聞いて、手話で表してみる交流の時間もつくった。
全体を通して、みなさん楽しんでいただけたご様子。笑顔が出たり手拍子でリズムを取ってくださったり、わたしたちに合わせて手話で歌おうとしてくださる方がいらっしゃるなど、わたしたちも楽しく演奏ができた。

年2回、この施設に行く、という案も出てきて、わたしたちの曲目ももっと増やさなくては。

ますます励みになった、今年最後のボランティア演奏。

7年ぶりの訪問2013/12/23 21:53:46

クリスマス連休の最終日。
妻と、お昼前に自宅を出て埼玉県蕨市へ行ってきた。
妻の知人がひらいている書道教室兼教会でのクリスマス集会に参加するためだ。

午後からの子どもクリスマスで「きよしこの夜」1番だけを手話で歌う。その手話の指導を子どもたちにしてほしい、ということだった。
子どもたちははじめて会う、耳の聞こえない大人に、最初は緊張していたようだけれど、徐々にほぐれてきたのか手を動かすのも一生懸命。子どもの前ではごまかしやつくろったようなやり方は通用しない。まっすぐこちらも一生懸命やることだ。

偶然というのか、埼玉県蕨市はかつて手話ソングダンス「フライングハンズ」とアメリカ手話のご指導でお世話になった高村真理子さんが住んでいらした街だ。
2006年に亡くなられてから足が遠のいていたが、結婚してまさか7年ぶりの訪問になるとは。

天国で真理子さんもわたしたちをみているのだろうか。

おもしろさと難しさと楽しさを2012/12/07 23:15:08

この今月4日に地震があったと思ったら、まもなく仕事を終えようという今日17時18分ごろ、突然強い地震に襲われた。三陸沖でマグニチュード7・3、震度5を記録したところもあった。先日も書いたトンネル落下事故を思い出す。もし都内を巨大地震が襲ったら、老朽化している高速道路などはどうなってしまうのだろう。

夜から、手話学習会があった。
来週土曜日にやる予定の「朗読のレッスン」ミニ発表会で『荷物の順番』の一部分を手話つきでやる、その手話訳作りのためだ。
A43枚。製本して綴じると6㌻になる。

手話通訳士先生と手話表現を考えて、意見を出したりわたしが表した手話を検討してくださったり。
1日ですべての手話表現が完成した。

あらためて手話つきの演技演じるということのおもしろさと難しさを、手話訳をつくっていく楽しさを感じた。
実質一週間しかないが、だからこそやりがいがある。

活動を再開したい2012/10/18 23:26:52

仕事を終えて、久しぶりの手話ソングダンスメンバーと都内で会った。
まだめどが立っていないが、練習場所を確保するなどして活動を再開したいという。わたしも大いに賛成だ。
ただ練習するだけならもったいない。どこかで発表するなり、人前で見てもらう機会をつくらないと。朗読舞台もそうだが、見られているということが大きな自信につながるのだから。

かならず実現するのだと。2011/05/20 22:22:22

明日と6月第1週の「朗読のレッスン」で、いま学んでいる、『夜鷹蕎麦十六文』(北原亜以子作『その夜の雪』から)は終わり、7月から、9月の舞台に向けた各自のテキストを練習することになる。

今回の舞台テキストは江戸時代である。
言葉も文化も生活習慣も違う、と書いたが、現代では「まっすぐ」という言葉を江戸時代は「まっつぐ」と言っていた、と昨日の新聞の記事にあった。ほかにもイントネーションや言い回しなどが現代とは異なる。
今回『鬼平』をやりながら、江戸弁というかあのころの時代の言い回しにも挑戦してみようか、という気持ち意欲が生まれてきた。

聴こえにくいのはもとより承知の上。10年ほど前に「朗読のレッスン」を見学して受講を決めたときからわかりきっていたことだ。
江戸時代の言葉遣い、言い回しをやってみると、また違った感じが生まれるかもしれない。

女優の石田えりさんが、ヘアヌード写真集を出したい、と、ヘルムート・ニュートンに撮ってもらいたいと口にしてまもなく、それを聞いた人が、ニュートンに話を伝えたのだそうだ。そして撮影が決まった。
石田さんがインタビューでこう語っておられた。
『本当に心から願い、それが必要なことならば、その願いは人からどんなにバカにされても実現するものだ』

先日、知的障がい者の子役俳優がテレビドラマ『生まれる。』(TBS)に出演しているというニュースが各紙に出ていた。
これまでも障がい者を取り上げたドラマや映画があった。だがそのほとんどは障がいのない人が障がい者を演じることが多かった。とくにこの国、日本では。

外国に目を転じると、障がい者が堂々とアクターアクトレスとして活躍している例がたくさんある。『愛は静けさの中に』のマリー・マトリンは手話で語った演技がとても静かで大きな感動を呼んだ。トム・クルーズは学習障害があることでも知られている(わたしたち身体障がいとはまた違うものだけれど)。

障がい者が舞台に立ったり演じたりというと、どうしてもお涙ちょうだい、別の言い方をすれば福祉的な視点でしか見られないことが多かった。逆に言えば、障がい者を障がいのない人が演じるのは、本質をつかんでいないどころか本質をゆがめていないか、と思う。

そうではなく、何かを演じたい表現したい、という芸術表現としてみてほしいとわたしはかねてから思っていた。それが障がい者の社会参加にもつながる。
見世物扱いではなく、お涙ちょうだいでもなく、聴こえなくても何かが表現できる。ひとのこころに何かを伝え訴え、こころに何かが残る表現がしたい。

それは舞台を始めたときからのわたしの願いである。
どんなにバカにされても、それが必要なことだと思うから、かならず実現するのだと、わたしは確信している。

大地ではなくこころが震えた話2011/04/12 23:05:59

けさ8時8分過ぎ、余震に見舞われた。
ちょうどそのときわたしは、弁当をつくったあと。朝食つまり昨晩つくったカレーライスを食べて、テレビを見ている時間だった。弁当をつくるためにガスを使っている最中だったらこわかったね。
余震の影響で通勤電車が遅れてしまい、いつもならすいている時間帯のはずが満員で立錐の余地もないほど。15分ほど遅れてしまった。

午後にもやはり揺れがあった。けれど気にならなかったというか「来るなら来い」と肝をすえている。
けれども昨日も書いたように、今後もマグニチュード7クラスはあるだろうし、余震の発生域が3月11日の本震以後だんだん、内陸部に移ってきたり南下してきたりしているように感じる。オオカミ少年ではないけれど、ここ1年、いや5年間はひょっとしたら東京はじめ、東海、南海、東南海と広範囲に地震がおきるかもしれないし、富士山が膨張しているという報告もあることから、富士山噴火も覚悟したほうがいいのだろう。

地震の話はこのくらいにして、大地ではなくこころが震えた話を。

今日からプロ野球が開幕した。震災発生後、自分たちの都合だけで小手先だけの開幕日延期を2度も試みて世間や政府からたたかれたセ・リーグ。楽天や千葉ロッテという被災地を本拠とする2球団が属するパ・リーグと歩調を合わせようとしなかったのはいまもっても残念だ。
だが、スポーツ選手はプロアマの区別なく、スポーツを通して見る人に希望と感動と、立ち上がろうという勇気をもたらしてくれる。それが選手にもこだまのようにはねかえって、「いいプレーをしよう」という気持ちを起させる。相乗作用とでもいったらいいか。
先日書いた、プロゴルフのマスターズも、19歳の2人がすばらしいプレーを見せてくれた。彼らの大健闘にこころから拍手を送りたい。
もうひとつは、世界的なテノール歌手、プラシド・ドミンゴPlácido Domingoさんが、周囲の反対を押し切って来日し、この10日のNHKホールでのコンサート最後に、日本語で「ふるさと」を歌ったという。ホールの観客も一緒に歌い、静かな感動がわきおこった、ときいて胸が熱くなった。
Jリーグのブラジル出身のある選手が、原発事故の放射能汚染や余震を理由に、婚約者や家族らの反対で帰国したし、世界的なアーティストが来日をキャンセルした。
だが親日家として知られるドミンゴさんは「音楽では、そんなに大層なことは出来ないと思いますが、音楽を聴いている間は、少しでも悲しい出来事を忘れることができるのではと信じています」と語り、ご自身もメキシコ地震で親しい人を亡くした経験をお持ちだという。そういう背景があるから、日本には周囲の反対があっても、来ないという選択肢はなかったのだろう。

ドミンゴ「日本に行くな」振り切り「故郷」
http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201104110026.html
この日のプログラム全曲目は以下のとおり。
http://domingo2011.jp/list.html
聞きたかったなあ。日本語で歌ったという「ふるさと」。

人間とはわからないものだ2011/04/05 23:25:40

先週土曜日の朗読のレッスンで、例年よりかなり早いけれど、秋の舞台の台本を、講師先生にお渡しした。ここでも何度も書いたように、『鬼平犯科帳』をやることにしている。

で、今日、書店をのぞいたら『池波正太郎の世界』というビジュアル雑誌があった。そのなかに江戸時代の古地図があり、今回朗読に出てくる柏屋留右衛門が営む「翁庵」という菓子屋も地図上にあった。これによると永代橋からアイカ八丁に入ったところにあったとされる。

鬼平に出てくるセリフの中で秀逸なものはいくつもあるが、鬼平という人物、ひいてはこの作品全体を指してあげるなら、このセリフだけで十分だろう。

「人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ。
善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だわさ」

鬼平自身が、人間の機微に通じ、「鬼」にも「仏」にもなれる。下情を知らぬものは世の中の仕組みもわからぬ、という信念の持ち主だったと言われるが、それは若いころに「本所の銕」という異名をとるほど放蕩無頼の生活をしながら人間の弱さと強さを知っていたからだろう。

今日、手話通訳士先生と手話の勉強のあとに居酒屋へ行ってきた。
こんな災害が起きた後で、という人もいるかもしれないが、だからといって自粛自粛ばかりでは、息苦しいばかりである。それはけっして被災者や亡くなった人たちを無視したり自分とは関係ないというのではなく、いまこうして生かされ生きている。災害にあったり深い悲しみのなかにいる人たちが立ち上がれるようにする。それは生やさしいことではない。
がんばれ、というだけが励ましではない。わたしたちが生きているいまをどう生きていくかで、彼らにとっても励みになり希望にもなるのだ。

岩手である酒屋蔵が、自粛しないでほしい。自粛すると酒が売れなくなり、ひいては経済の復興が遅れるからだ、という。
自粛を声高にいう政治家や評論家は、ではお前さんは実際に被災地へ行ったか? あるいはどうしたら復興できるか、を考えたことがあるか? あいまいな、はっきりしないないまぜのような、一見正しいように見える理由で、わたしたちに息苦しさを押しつけていないか?

話を舞台に戻す。
手話表現やら練習やらで忙しくなる前に、古地図といまの東京都地図を重ね合わせて、「本所の銕」長谷川平蔵がたどった道、「鈍牛」に出てくる柏屋留右衛門が営む「翁庵」や深川あたりなどを撮影してそれがどこなのかどういうところだったのか、文字を入れ、舞台に投影してみようかと思う。