できたらいつかグループをつくってみたいなあ2023/12/24 22:34:26

わたしは来年洗礼を受けて40年になるプロテスタントクリスチャンで、今年わたしが所属する教会は新しい会堂を建てました。まだ日も浅い会堂で礼拝に臨んでいると、歌声やオルガンの音の反響がとてもよく、音が抜けるというのでしょうか、よく響きます。会堂建築にかかわった建築会社の方にお聞きしましたら、構造上とてもいい音響だそうです。
ギターレッスンを受けて10年以上になりますが、残りの人生も計算に入れて、できたらいつかグループをつくってみたいなあと思いが生まれてきました。最初に書きました新しい教会堂で演奏できたらいいなあ。

ここでも何度か書きましたが、わたしはろう者です。今日、ある教会員から、聞こえ具合について聞かれまして、補聴器だけではもうほとんど聞こえず、補聴器を外すとまったく聞こえません、とお答えしました。
なのにアコースティックギターを学んでいるのは、大学時代に買ったギターを捨てたくない、ギターを始めるきっかけになった海援隊を覚えたい、というのと、クリスチャンですのでアコースティックギターで弾き語りがしたいなあというのがありました。
けれど大学を卒業してから徐々に聞こえの悪化がすすみ、さきに書いたような聞こえぐあい。歌はといいますと学生時代の音楽の授業が苦痛で、「口パクでいいから」と言われたほどです。
ギターレッスンでも、いつもリズムやテンポでダメ出しをもらうのが恒例行事になりましたが、10年続けて手話通訳も入って、少しはマシになったかなと。

そんなレベルだけど、グループをつくってみたいなと思います。
ジャンルは昔の海援隊のようなアコースティックギターの弾き語り。ゴスペルよりは教会で歌われている讃美歌などですね。飾ったり大きなことを歌うようなゴスペルフォークではなく伝統的な讃美歌が好きです。
もちろんクリスチャンでなくても、フォークソングなどご一緒にいろんな曲が弾けたらいいなあと思います。まだまだレパートリーがないので、教えていただくというのが適切な立ち位置です。
歌はダメなのだけど手話をつけたいなとも。教えていただけたら幸いです。

シンプルなつくり2023/12/08 22:15:52

手放せない愛用品
半年以上かかってやっとカタチになった海援隊・中牟田俊男さんのソロ曲「俺の人生真ん中あたり」のあとは引き続き海援隊の「えきすとら」に挑戦することになった。できるだけ早くマスターしたいと思う。ところがこの曲の歌詞はカラオケやネット上で見ることが可能なのだがメロディースコアがネットでもみつからない。家族が処分した海援隊のギター全曲集は1982年解散直前の『海援隊 全曲集』(日音楽譜出版)ではなく、「こらえちょっときない」などが収録されている、古いものだった。解散直前の全曲集を買っておけばよかったな。アリスやオフコースなどはいまなお楽譜集やバンドスコアなどを楽器店などでみるが、海援隊だけを収録した楽譜集は出版されておらず、再結成以後の曲を収録したものもない。
まずはギターを早く覚えることに専念して歌部分はいつか一緒に歌ってくださる方が現われたとき、わたしと一緒に歌おうと言ってくださる方ができたときに。

ところで、この写真にある、ギターチューナーとカポタスト。なんで2つもあるのかというと、以前イベントで弾こうということになって、カポタストを忘れたことに気づいて楽器店で買い求めたのが左下のものだった。
シンプルなつくりが気に入って、シンプルなつくりが気に入り、レッスンでも毎年の合同発表会でも使っている、手放せない愛用品のひとつだ。

集中力が高く、一点集中型2023/11/26 21:46:44

昨日わたしが通っているミュージックスクールの合同発表会で、海援隊・中牟田俊男さんの『俺の人生真ん中あたり』をショートバージョンですが演奏しました。
感触としてはほとんどノーミスで演奏できました。来年3月の朗読発表会や来月からの新しいギター課題曲につながる意欲がわいてきます。新しい課題曲は、引き続き海援隊の「えきすとら」、わたしが高校を卒業する年に発表された曲です。でもこの曲は歌詞がネットやカラオケ店サイトなどにあるけれど楽譜がありません。まして歌のスコアもありません。なんとか楽譜をおこして覚えようと思っています。

ギターレッスンを受けて10年になります。
覚えるまでがおそろしく時間がかかるんですけど、覚えたらスムーズにいく。朗読の仲間も不思議に思っているそうなんですけどね。手話通訳がないと同じことを何回も言われてようやくなんとか理解できたというところ。手話通訳がついて理解度が格段に向上したのだけど発達障害もあってやっぱり時間がかかります。
発達障害って、そういうところがあるんですよ。時間がかかるんだけど、いったん覚えたら、集中力が高く、一点集中型なんですね。
マスターに要する時間を短くしたいのだけど、なかなかいかない。
それでも前述しましたように、来年3月のコスモス朗読会発表会などにつながる自信と意欲が生まれました。
がんばっていつか海援隊のレパートリーをステージでやりたいなと思った昨日の発表会でした。

海援隊をステージで演奏してみたい2023/10/15 22:59:46

今年春から取り組んできた、海援隊・中牟田俊男さんのソロ曲『俺の人生真ん中あたり』がようやくかたちになった。
来月23日にある、わたしも通っているミュージックスクールの合同発表会で、講師のサポートを得て、ショートバージョンながら演奏する。

海援隊のアルバムなどから弾きたい曲が5つほどあり、これまで『思えば遠くへ来たもんだ』『そんぐ・ふぉあ・ゆう』『誰もいないからそこを歩く』を学んだ。そしてこの『俺の人生真ん中あたり』を終えたら、1982年の解散直前に発表した『えきすとら』に挑戦したい。『思えば遠くへ来たもんだ』『俺の人生真ん中あたり』『誰もいないからそこを歩く』と演奏してみたいいっぽう、歌のうまい人に、武田鉄矢さんよろしくボーカルを担当していただけたらなあと厚かましいことを考えたりする。

この3曲は歌詞も曲もとてもこころにしみる。
歳を重ねてきたからだね。

指を鍛えなくては!2023/09/26 21:51:17

ギターも10年やってきて、いろいろ自分の技量の足りないところ身につけるべきところがみえてきた。
聞こえないのはしかたないとして、できるところからカバーしていくしかない。

そのひとつが弦を押さえる指。
セーハ(英語)。スペイン語ではバレーともいう、 1本の指で複数本の弦を押さえる奏法だが、いかんせん独学で身につけたくせがなかなか抜けない。
たとえばGコードの場合、1弦を小指で押さえるわけだが、指が傾き、爪が当たってしまいきれいな音にならない。
そこでいろいろ考え、楽器店でギタリストがよく使うというグリップ(写真左)を買った後で、指を広げるトレーニングも必要だ。
そう思って、100均ショップで妻が見つけた指を鍛えるグッズを借りている。

耳が聞こえない、リズムをつかむのもうまくない。
それはもうしかたないけれど、それ以外のところで補って、練習を重ねていくしかないと思う。
失われたものを数えるのではなく、残されたものを最大に生かす。
次の課題曲に挑戦できるよう、いまの課題曲を早く終わらせるためにもトレーニングも大事だと思う。

来年の課題曲2022/12/15 23:09:41

12月4日(土)、足立区綾瀬のライブホールでクリスマス合同コンサートを終えて2週間休んだ後のギターレッスン。
そのあいだ、次の課題曲をあれこれどうしようかと迷っていた。今年デビュー50周年を迎えた海援隊の曲を覚えたいと思って『誰もいないからそこを歩く』(1982年解散コンサート版)と『思えば遠くへ来たもんだ』を覚えた。実は『贈る言葉』以外にもいい曲がたくさんあるこのグループ。あるネットサイトが今年デビュー50周年を迎えた海援隊の「みなさんのお気に入りは?」というアンケートで1位『思えば遠くへ来たもんだ』、2位が『贈る言葉』だったそうだ。
来年も海援隊をやりたいと決めて『風景詩』(中牟田俊男さんのソロ曲)『そんぐ・ふぉあ・ゆう』『俺の人生真ん中あたり』(これも中牟田俊男さんのソロ曲)『贈る言葉』を来年の課題曲にしている。
手元にある海援隊のアルバムだったか、自己流でCD収録曲を入れ替えてミニディスク(MD)に入れたのだったかは忘れたのだけど、とてもいい曲セットだと感じたのが『贈る言葉』『そんぐ・ふぉあ・ゆう』『えきすとら』(同名の映画の主題歌)、『思えば遠くへ来たもんだ』、最後に『誰もいないからそこを歩く』の曲順。同じようにこの曲順で演奏してみたいなあと思っています。
ところが、『えきすとら』だけ肝心の楽譜とギター譜がない!
『えきすとら』の楽譜とギター譜を探している最中です。この曲はあまり知られていない曲の一つですが、『誰もいないからそこを歩く』『そんぐ・ふぉあ・ゆう』とともに海援隊楽曲の中でもコーラスワークのある曲です。とりわけ『えきすとら』は解散直前のラストシングルだったこともあってコーラスワークが美しい! わたしにはとても歌えません。
『えきすとら』の楽譜とギター譜を探しています。来年には歌える方、聞こえる人と組んでフル演奏してみたいなあと思っています。聞こえませんから歌はからきしだめなのだけど、どなたか一緒に組んでくださる方教えて下さる方がいらっしゃらないかなぁ。

欲が生まれてきた2022/11/17 23:37:27

年をとると月日が過ぎる速さを実感する。
人生3回目のギター教室発表会が来月4日に迫ってきた。今日を含めて残り2回しかない。
発表曲は、海援隊の『思えば遠くへ来たもんだ』。全体5分を超える曲を講師がアレンジして、短くまとめて下さった。
もちろんフルバージョンでもできるのだけれど、今回アレンジして短縮してくださった部分を覚えたが、数回進行を間違えたけれど確認を重ねてでラストの練習はノーミスで、レッスン時間30分ちょうどに終えることができた。あとは来週しかない。
舞台に立ってみて、朗読もそうだけれど楽しさと難しさの両方を感じるとともに、どなたかとバンドというかグループを組んでみたいなという欲が生まれてきた。
病気だからこそチャレンジしたいものだ。

周りを見ること2022/08/14 23:29:52

ギターを学んで今年で10年目になりますが、舞台に上がるのは2回目。
その、わたしが住む葛飾区四つ木ミュージックスクールグループの合同Summer Concert2022が、同区青砥にあるテクノプラザかつしかでひらかれました。なんと、今回はYouTubeで配信もあり、わたしの知人友人に、QRコードを送ってお知らせしました。

以前にも書きましたが、今年の通年課題は今年で結成50年になるフォークグループ海援隊。
『贈る言葉』『母に捧げるバラード』などが知られている曲ですが、今回わたしは、海援隊の1982年解散コンサートin日本武道館で演奏した『誰もいないからそこを歩く』を、ギター講師のサポートを得て演奏しました。サポートしてくださった講師先生に、この場を借りて感謝とお礼を申し上げます。
もともとは1980年12月にリリースの10枚目のアルバムに収められている曲ですが、今回、解散コンサートと同時に発売されたアルバムバージョンのほうを演奏したかったのは、初めのアルバムにはない、3番目の歌詞と間奏エンディングがあったからです。けれど合同コンサートは時間制約があるため、フル演奏はできず、泣く泣く曲をカットしたり演奏を変えたりしてみましたが、お客さんも手を鳴らしたりからだを動かしたりしてリズムをとってくださいました。
高校時代の弁論大会のときから自然にからだにしみついているのが、下を向かない、手前から奥にいるお客さん、隅から隅まで見ること。これはある意味、演奏テクニック以上にとても大事なことだと思っています。周りを見ることで聴衆もこちらに目を向けてくださるし、つたない演奏であっても聴いてくださる。こちらが伝えようという気持ちでいること、言い換えればお客さんを見ていなかったら、お客さんとステージの間に交流が生まれない。キャッチボールにならない。人前に立つ、話したり演奏したりするということは見られることでありお客さんを見ること。それを恥ずかしがるのではなく、楽しむとともに自分をさらけ出すこと。舞台は演じる側のすべてが如実に表れるからだ。下を向いていてはどんなに弁舌が巧みであったりすばらしい技量であったとしても、お客さんは見ない。見てくれません。
今回、ギター講師と一緒に演奏したのですが、もっともっと演奏したい、レパートリーを増やしたいな、ろう者であるわたしは歌えませんが、歌える人と一緒に組んでみたいなという夢がさらにふくらんできました。そのためにはもっともっと練習しなくてはならないし、技量も高めなくては。
今回はカットした部分を加えて『誰もいないからそこを歩く』をやってみたいなとも思います。
1曲だけであったけれど充実したステージでした。聞こえないわたしに、いろいろ教えてくださり、演奏ではサポートしてくださった講師先生に感謝を申し上げますとともに、次回を楽しみに、さらなる練習に励みます。

50年かぁ。2022/03/28 21:28:18

https://www.nikkansports.com/.../news/202203270001480.html
https://www.nikkansports.com/.../news/202203280000351.html
今日の日刊スポーツに、とても興味深い記事が2つあった。
ひとつは結成50周年になる、海援隊を取り上げたテレビ番組が4月第1週と第2週にわたって放送されること。
ふたつ目はアカデミー賞で「コーダ あいのうた」に出演したトロイ・コッツァーさんが助演男優賞を受賞されたこと。男性ろう者俳優として初だという。
今年の通年ギターレッスンの課題曲は海援隊に決めているが、手元に海援隊の楽譜はあるのだけど、学びたい、楽譜がない曲をいま探している。
いま学んでいる曲は手話通訳士のおかげで徐々にわかりかけてきた。
歌うのは無理だけど、一年通して海援隊の曲を少しでも覚えられたらと思う。
そしてアカデミー賞助演男優賞を受賞されたトロイ・コッツァーさん。
いままでも手話のできる俳優さんがろう者を演じた舞台や映画はあったけれど、ろう者がろう者を演じるものは日本ではなかなかない。さすがアメリカだなと思うとともに、障がい者のことは障がい者にしかわからないわかりえない部分もある。障がいのない人が演じるとどうしても違和感がついてまわる。
https://www.huffingtonpost.jp/.../story_jp...
 上の記事で、「ろう者の役はろう者自身で」ということがなぜ日本で広がらないのか、逆に言えばろう者の役はろう者が演じることの重要性を理解していただけるのではないかと思う。
 先日のコスモス朗読会で2年ぶりに舞台に立ってみて、やっぱり演じることの楽しさと難しさの両方を感じ、もっともっと場数を踏みたいと思いが深まった。
 手話訳を手話通訳士と一緒につくり、台本と手話も覚えていく作業はとてもたいへんだけど、表現したいと思う気持ちが、覚える苦労よりもまさって生きている充実感さえ抱かせてくれる。
 ギターもそう。リズム感もテンポもたいへんだけど、覚えるのが楽しい。いつか舞台で演奏したいと思う。歌はさすがにダメだけど。
 今回の舞台から、コツコツまた練習や手話のレベルを上げていきたい。アカデミー賞とまではいかなくてもいいから、聞こえなくても何かができるのだという思いをこめて。

海援隊と讃美歌を2022/01/11 22:48:14

今年もはや10日を過ぎてしまった。いろんなことを考え、目標を抱いているが、そのひとつ、ギター教室でのレッスン。通年目標の一つに「海援隊」と「讃美歌」を覚えようと思い、まず海援隊の1982年日本武道館ライブで演奏された曲『誰もいないからそこを歩く』をお願いした。オリジナルをプロギタリストである講師にみていただいて、さっそくレッスンを始めた。もうひとつの讃美歌のほうは、3月の朗読舞台が終わってから少しずつ時間を増やしていきたいと思う。朗読も手話の学びもある。指導者コースの講習会もある。たいへんだけどやりがいがある。今年一年最後になにを演奏するかはわからないけれど、しっかり覚えたい。