『かみさまのおくりもの』2017/10/21 22:49:18

今日は立川で子どもを相手に絵本の読み聞かせに挑戦してきた。

『かみさまのおくりもの』という、30年以上前の作品を、手話と声で語った。

よく考えてみるまでもなく、わたしたちもこの絵本の題名そのままに、神さまから贈り物をいただいているのかもしれない。それがなんであるかはすぐにはわからないにしても。
ひとりひとりに贈り物があって、ひとりひとりに個性であったり能力であったりいろんなものが与えられている。
それをどう伸ばしていくかは、子どもの周囲にいる大人たちが子どもをどう見ているか次第なのかもしれない。

読み聞かせ2017/08/12 21:54:31

これは絵本ではないけど
どうなるかわからないけれど、というのは、絵本の読み聞かせで、手話と組み合わせる試みができたらなということだ。

今日のEテレ「ろうを生きる 難聴を生きる」のなかで、絵本を使った読み聞かせ、それもろうの乳幼児向けの活動が紹介されていた。

もともとこういう読み聞かせというジャンルは好きなもののひとつ。加えてわたしがろうである一方で話せるとあったら、手話と音声でやってみたいと思う。

ネットで使えそうな絵本を探したり絵本のサイトをみたり。
「ろうを生きる 難聴を生きる」を観て、意外に思ったのは、ろうの子どもたちに手話を教えるタイミングはいつごろがいいかということがいままで見過ごされてきたということだ。自然に身につく人もいるだろうが、そうではなく親とのかかわり、親が聴者であったらなおさら、そういう問題が見過ごされてしまうことがあるのだという。

わたしはろう者であり話せる。
その神からいただいた恵みを最大に生かすこと。
それもまた大事なことだと思う。

今年も始まった!2017/07/01 23:00:50

2カ月前ごろから、今年秋のコスモス朗読会の台本をどうしようかと思案して、書店を回ったり新聞の新刊広告や書評などをみていたなかで、いまの自分の気持ちに合った作品を、と検討呻吟した末にようやく台本候補と巡り合うことができた。

今年で12回目となるコスモス朗読会は、垣谷美雨さんの『後悔病棟』を読む。

今日、『朗読のレッスン』で出演者それぞれが台本を持ち寄り、講師先生に読み方を指導してもらうクラスが始まった。

今年のコスモス朗読会は9月30日。
場所も例年と同じく、下北沢の「しもきた空間リバティ」で13時開場、13時30分から開始の予定だ。
わたしを含む全出演者の出番は未定だが、わたしは手話をつけて朗読する。

今年も多くの人のご来場をお待ちしております。

補聴器の修理、子どもたちを相手に絵本の読み聞かせ2017/05/20 22:44:08

午前中に新宿へ、補聴器の点検のため行ってきた。昨年のがん入院まえから補聴器のハウリングがみられるようになり、手術退院でやせたためにイヤモールドの耳穴が合わなくなったからではないかと思ったためだ。1時間ほどかけてみていただいた結果は、イヤモールドの切削はせず、本体の設定を変えて本体とイヤモールドを結ぶチューブを交換しただけだった。

午後から立川へ。
はーとふるはんどのメンバーが参加している、同市内の子どもを対象にした、絵本読み聞かせの会の見学が目的だった。

初めて行くところだったから遅れるわけには行かない、と市内のインドカレー店でランチをすませてタブレットの地図を頼りに歩くこと6分ほど。会の開始にまにあい、子どもたちと一緒に絵本を楽しんだ。

正直、音声を聞き取るのはきついのだけど、子どもが楽しそうに集中しているのをみてこちらも楽しい。
わたしだったらこういうふうにやってみたいとか読んでみたいとかいろんな思いをいだきながら、またの見学のときを楽しみに、夜の手話サークルへ移動した。

そろそろこちらも朗読台本の作成にとりかかる。

「第12回コスモス朗読会」台本候補を読んでいます2017/05/06 22:41:30

今日は「朗読のレッスン」と、終わってから手話サークルで教えてくださっている手話通訳士から手話の個人レッスンを受けました。例文表現では、わたしが実生活で経験したことも使われていて、妻ともども、例文を見て( ̄∀ ̄)笑ってしまった。もちろん笑うだけではなく、手話表現上のポイントもあり、なるほど、と感じるものがあったのはいうまでもない。

今年9月30日に開催予定の「第12回コスモス朗読会」台本を来月中に完成させるため。いま鋭意どこを読むか、何度も読み返しながら絞っている最中。読んでいてジーンとこころにしみてくるところばかりだ。
先月からいろいろああでもないこうでもないと、書店に入っては手当たり次第に新刊小説を立ち読みしたりしてみたが、ピンとくる、読みたいなと琴線に触れるようなものがなかったため、ゆっくり気長に待ちましょう、としていたところに、「おっ」という作品を見つけた。
来月中に朗読クラスの講師、手話通訳士それぞれに台本を提出するがどんな作品を読むかはまだナイショ(笑)。

来月中にはここでも発表できると思う。

「コスモス朗読会」の日時はまた詳細がわかり次第、ここなどでお知らせご案内します。今年も多くの方に、ろう者難聴者手話がわかる方にも来ていただきたく思います。

デリカシーとは、小さなやさしさのことだ2017/03/18 23:46:00

、
ううむ、まだまだ腹痛が治らない。

さて今日は朗読のレッスン、2016年度最終日。テキストは奥田英朗著「ワーキングマザー」(集英社文庫『ガール』所収)。

発表会はいつものように、からだの向きを変えたり声のトーンや台本を読むときに間をとったり、いろいろ工夫してみた。聴こえる人と同じにはできない耳が聞こえないぶん、違うところでいろいろやっていかないと。

この作品のなかにこういうくだりがある。
「弱い側はささいなことで傷つく。弱者救済を声高に叫ぶつもりはなくても、気づいてくれるとうれしい。デリカシーとは、小さなやさしさのことだ」
「子育てしてるとね、ときどき、こっちは大役を果たしてるんだっていう傲慢な気持ちになるの。ベビーカーを押してそのへんを歩いている主婦がそうでしょ。守られて当然って顔をしているのが大勢いる」

発表会の前週、つまり今月4日のことだ。
このくだりをきっかけに、講師から、受講生を前に、わたしの耳のこと、実際の耳の聞こえ具合、補聴器をつけた時と外した時の違い、がんになったあとのこと、ヘルプカードをつけて街を歩くようになってからのこと。いろいろわたしは質問を受けた。そのひとつひとつに丁寧に答えていくなかで、あるテーマが出た。つまり弱者救済のようでいて実は傲慢な社会、ということだった。

わたしもヘルプカードをつけているけど、これみよがしになにかしてもらいたいとは思わない。守られて当然という顔をするのもいやだ。しかし現実には、ヘルプカードを見ても気に留めないどころかなんの反応もしない人までいる。
「ワーキングマザー」はバツイチで子どもを育てている女性社員と、独身女性の仕事上の対立を描いているようでいて、立場は違っていても合わせ鏡のような、女性の置かれた状況、さらには独身既婚子どもいるなしに関係なく、お互いへの思いやりということの大切さを描いている。

結婚して女性の大変さを感じるとともに女性同士の怖さも妻から教えてもらったこともある。
同じようにろうであり話せてがん患者であるからこそ、守られて当然って顔をしないように気をつけつつ、弱者であることを伝えていく、弱者でも生きる価値生きる意味があることを、いろんな活動を通して伝えていく。朗読もその一つ。

難しい問題であるけど、挑戦しないことには風穴はあかないだけでなく、あとに続く人たちの道もひらけない。
弱者だからこそ小さなやさしさを忘れずに生きていきたいと思う。

やりとり部分を入れ替えて読んでみる2016/11/19 22:36:08

朗読のレッスン、2016年最後のテキストは、清水義範氏の『苦労判官大変記』。

この人らしい皮肉のきいた文章、と評価されているように、読んでいてニヤリとさせされる部分が多い。
昔わたしが小学校のころによく見た、源頼朝の画像。冠をかぶりひげをたくわえた精悍な男の画像。近年の研究では、どうも源頼朝本人ではないのではないか、という学説があるらしい。

頼朝、尊氏、信玄 肖像画が別人だった理由を教科書会社解説
http://www.news-postseven.com/archives/20141123_285285.html

『苦労判官大変記』は、頼朝の弟、義経は本物ではなく、武蔵坊弁慶が京都にいた、名も知られぬあるチンピラをつかまえて偽物、偽義経に仕立てた。仕立てた武蔵坊弁慶が、実は義経本人だった、という小説。
実際、弁慶についていろいろ言われている話は『義経記』を中心とした後世の物語を基にしたもので、史実の弁慶についてははっきりしない部分があるようで、実在を疑う意見もあるとも。

そんなこんなは横において。
義経(偽義経)と弁慶(実は義経)のやりとり部分を、2人で交互に入れ替えて読んでみるとまたおもしろい。
掛け合いの妙であったり、感情の出し入れ、間合いであったり強弱であったり。
こういう読み方もおもしろいものだとあらためて感じたのだった。

お越しくださいましたみなさん、ほんとうにありがとうございました!2016/10/01 23:07:04

2016年10月1日、下北沢の「しもきた空間リバティ」で第11回となる、コスモス朗読会がひらかれました。
わたしは大トリとなる一番最後の演技。いもとようこ作『かぜのでんわ』を。

次に演じる人がいないというのは、ある意味プレッシャーがかかります。第1部からずーっといい流れで来ていたのが、最後の最後でなにかあったらすべて台無しになりかねない。一方でわたしのあとにやる人がいないのは時間など気にせずに思いっきりやれるということでもあります。

前々回から、舞台演者と作品紹介を舞台出演者が担当することになり、わたしの担当を別の方がアナウンスしてくださいました。
おぼろげにかすかに聞こえてくるそのアナウンスを聞きながら、わたしはいろんな思いが去来しました。

熊本震災直前にこの作品を読むと決めてからおよそ9カ月。
どうにか終えることができて、ホッとすると同時に次回もまた楽しんでもらえるものを、と思っています。

お越しくださいましたみなさん、ほんとうにありがとうございました!

とてもやりきれない。2016/07/15 23:33:54

いつもよりちょっと早いかな。仕事を終えて今年10月1日にひらかれる第11回コスモス朗読会のテキスト「かぜのでんわ」(いもとようこ作)の手話訳ができあがった。
とはいえ、これでもう終わったわけではなく、できあがった手話表現を何度もビデオで見たり修正したりしてよりよく仕上げていかなくてはならない。

けさ飛び込んできた、フランス南部・ニースで起きたトラック突入事件は、テロ事件の可能性が高い。子どもを含む84人が亡くなったという。

あまりにも悲しい。事件を起こした人物は射殺された。
事件にあった人たちは、生きたかっただろう。こんなかたちで人生を終えるとは思っていなかっただろう。
とてもやりきれない。

「かぜのでんわ」の物語をあらためて考えながら読み手話で表したい。

第11回コスモス朗読会の台本2016/04/16 23:46:29

今日は朗読のレッスン日。
レッスン後、先生にお預けしていた、聞き取り用マイクを受け取りに行って先生から「今回あなたが選んだテキスト選択はとてもいいね」と、おほめをいただいた。
2週間前に、今年10月1日に予定されている、第11回コスモス朗読会の台本を提出した、そのことについてのお話だった。

今回選んだ作品は、わたしにとっては初めての、絵本である。

「かぜのでんわ」 (金の星社刊 いもとようこ 作・絵)。
岩手県大槌町にある「風の電話」。この電話には、実は線はつながっていない。しかし、この電話の受話器をとって電話をかける人がいる。それはどうしてだろう……。

連載「風の電話をたどって」
http://www.asahi.com/topics/word/%E9%A2%A8%E3%81%AE%E9%9B%BB%E8%A9%B1%E3%82%92%E3%81%9F%E3%81%A9%E3%81%A3%E3%81%A6.html

ベルガーディア鯨山
http://www4.plala.or.jp/bell-gardia/

14日の震災発生から2日がたった。けさも大地震があってさらに犠牲者が増え、被害も大きくなってきた。
大切な家族、愛する人を失った悲しみはとても大きく、簡単に消えるものではない。
5年前の震災もそうだし、今回も、ほんとうに胸が張り裂けんばかりの痛み悲しみを感じる。
だからこそ、少しでも悲しみをいやすというより、いやされるというより、悲しみの中でも少しずつゆっくり、ゆっくり、こころの復興につながっていったら。

そんな思いでこのテキストを選択した。
来月から5カ月、手話訳と舞台表現に取り組んでいく。