朝にファミレスで一服2017/05/10 23:56:26

仕事の前にちょっと済ませる用事があった。その用事を依頼しているあいだにメールやウェブサイトのチェックを、と、地下鉄降車駅から近い、あるファミリーレストランに入った。

店内は出勤途中のビジネスパーソンやご高齢の夫婦などですでに満席。わたしも、お茶を注文してゆっくり、依頼した用事ができるまでのあいだに書き物やネット検索などをしてゆっくり過ごす余裕がもてた。

しかし、まあファミリーレストランは24時間営業だからわからないでもないが、こんな朝早い時間に人が集まるなんてねえ。

この時期に?!2017/05/11 22:59:13

全国的に7月から8月並みの暑さだった今日、仕事中は一歩も外に出ず、職場内で移動しただけ。とはいえこの時期に30℃を超す暑さなんてちょっと聞いたことがない。
熱中症などが早くも心配になってきた。

あすも暑さが続く。週末は雨の予報だけど、さて。

国際看護師の日2017/05/12 22:41:02

国際看護師の日

国際看護師協会
http://www.icn.ch/

昨年12月の入院のときは、看護師にたいへんお世話になったことが忘れられない。とても大変な激務をこなしている姿に、こころから深く感謝した入院生活だった。
夜中に点滴を交換したり補充したりしたほか、医師とのあいだに入ってくださって、病状を聞いたり体温測定などもしてくださった。

あれから体調は相変わらずで、かがむとまだおなかが痛む。

まああせらずゆっくりやっていくほかないね。

「バベルの塔 展」に行ってきた2017/05/13 23:38:13

かねてから行きたいと思っていた、東京都美術館での「ブリューゲル バベルの塔 展」に行ってきた。
http://babel2017.jp/

文字が読める人が少なく、信仰を伝えるためには教会での説教のほか、聖書の記事内容を絵画や版画にすることが一般的だった時代。現在のオランダやベルギー地方で活躍していた画家・版画家、ヒエロニス・ボスやビーテル・ブリューゲル1世らの作品を多く展示し、中心にブリューゲルの名作「バベルの塔」(1568年ごろ)を据えた展覧会。

詳細は上のサイトを見ていただくとして、美術史に詳しくないわたしにも、いかにこの「バベルの塔」を中心に同時代のネーデルラント地方の絵画が優れているか、理解できた。

高層建築技術がいまほど高くなかった時代。しかし詳細な分析から、おそらくブリューゲルが描いた塔は500メートルの高さだっただろう、という。天に届くとまではいかないにしても当時の人々にとってはまさに見上げんばかりの規模で目に迫っただろう。

未完成部分である塔をみて、わたしの脳裏に浮かんだのは『スター・ウォーズ』クラシック第3作、「ジェダイの復活」だった。あの中で登場した第2デス・スター。あれも未完成部分、骨組みが露出していた。
そういえばスペインはバルセロナに建設中のサグラダ・ファミリア教会も同じように骨組みがまだあって、128年たったいまも建設中とか。

ともあれ中世キリスト教史、美術史に関心がなくても、展示されている絵画や版画は一見の価値がある。
ぜひみなさんにもをおすすめいたします。

与えられたことに精いっぱいこたえていく2017/05/14 22:01:25

われわれが人生の意味を問うのではなく、われわれ自身が人生の意味を問われているのであり、答える責任があるのだ。(ヴィクトル・フランクル)

キリストの教会にとって、最大の脅威は、偽善でも無関心でもヘタな説教でも不道徳でも弱い信仰でもなく、未成熟な信仰ではないだろうか。キリスト者の成熟とは、クリスチャン歴何年といったこととは関係がない。キリスト者の成熟とは、神のことばと神の霊に絶えず浸っているいのちが結ぶ実である。知識の量ではなく、成長しつつある識別力によって測られる。キリスト者の成熟のしるしは、有能であることや優れた賜物を持っていることではなく、謙遜さと清い愛である。キリストにあって成熟していく秘訣は、どれだけ多くのクリスチャン的な活動をするかではなく、キリストに信頼していかに自らを委ねていくかにある。(あるクリスチャンサイトから)

このブログを読んでくださる方の中にはクリスチャンではない方もいらっしゃる。
信仰の押しつけととられては不本意だけれど、思いをつづりたい。

わたしはどこに行っても普通に話せる者だ。そして手話と音声・書き言葉の両方で日本語ができコミュニケーションができる。
少数者としてのややこしい立場であり、がん患者になった。
そのことが、ようやく、フランクルの言うところの「人生の意味を問われているのであり、答える責任」を自分のこととして意識させられる。
次に、キリスト者として、自分の正しさやクリスチャン的な活動ではなく、自分が少数者であり、「人生の意味を問われているのであり、答える責任」ゆえにこそ、キリストに信頼をおく、委ねていくこと。

キリスト者であるということはそれだけでも日本では少数者である。さらにろう者で話せて、がん患者。
きついけれどこの与えられたことに精いっぱいこたえていく。それがわたしの生きる使命なのかもしれない。

2つの大事なこと2017/05/15 22:43:05

どんな学習でもそうだけど、2つ大事なことがある。ひとつは、やりがいと喜び、達成感が感じられなかったら意味がない。二つめは、本気でやろうという意思がなくてはならない。

その意味ではーとふるはんどのけいこ、ギター練習、舞台発表や教室でのレッスンの朗読、最後に今日のASLレッスンはすべて、わたしにとってやりがいと喜びを感じられ、聴こえないけれど自分からやりたいとすすんでやっていることだからこそ達成感もある。

今日のレッスンでは単語学習やトピックスなどいろいろ学ぶことができただけではなく、わたしからも質問をして積極的意識してアメリカ手話での会話に挑戦してみた。手話の学習で大事なことは、意識して手を動かすこと。ろう者であれ手話ができる聴者であれ、音声ではなく手を動かすことが大事。意識していくなかで自然と、手話で話すということが身につく。

残念なのは、喫茶店でもいいしレストランでもいいし、実際にアメリカ手話で会話ができる場所がほとんどないこと。しかしインターネットという空間で短く限られた時間であっても、学べることはとてもわたしにとっては欠かせない。
いつかまたアメリカを訪れたときにろう者と話せるようになりたい、Marlee Matlinと話がしたい、ギターに合わせてASLで"The Rose"(Bette Midler)を歌うというか表現したいという夢もあるし、いつかNFLの試合でNational anthemを歌いたいなんていう無謀な夢もある。

聴こえないからだに生まれてろう者になって、病気を得てよかったなと思うこのごろである。

こんな乱暴なことはとても納得できない。2017/05/16 22:04:56

ヤマハ、JASRACを提訴へ 教室演奏の著作権めぐり
http://www.asahi.com/articles/ASK5H5DV7K5HUCVL01R.html?iref=com_rnavi_srank

以前にもこのテーマで書いたことだが、「教室での演奏には著作権は及ばない」という、ヤマハを含む音楽教室側の意見に同感である。JASRACが「人気曲を使い、魅力を生徒が味わっている以上、聞かせることが目的」ということを言うなら、逆に人気曲以外の曲を使えという論法もありえるが、それでいいのか。人気曲だから自分も弾いてみたい覚えたいという意欲が生まれる。ベートーベンの第9もモーツァルトも、」ビートルズやAKB48も人気があるからCDが売れる。長い歴史の中で伝えられてきた。JASRACの言い分だと人気以前に音楽振興を妨げることになりかねない。ひいては音楽や文化の振興に逆行しているとしか思えない。

わたしも音楽教室で学んでいる一人として、こんな乱暴なことはとても納得できない。

仕事が終わろうという今日午後5時45分ごろ、強烈なめまいをおこしていすから落ちてしまった。まわりは誰も気づいていない。おちつこうとするも視点がやや合わず、フラフラ泳いでいるような感じ。春先など季節の変わり目にめまいを起こすことはこれまでもあったけど、立て続けに2回もあるのは経験したことがない。気をつけていきたい。

久々に飲み会2017/05/17 23:00:37

手話サークル後、久々に(ホント!)飲み会に顔を出してきた。
病気になってからサークル後の交流会にはほとんど顔を出さずに直帰していたのを、先日会社の飲み会に行ったのをきっかけに再開することにした。といってもやっぱりまだまだ体調が戻らないから毎週とはいかないが。

手話について、今日のサークルの感想……。話題は尽きず、あっというまに終わった。

出る直前にトイレに行ってみたら、やっぱりまだ体調が良くない。
ま。仲間は「久しぶりに来て顔色もよくなったし」と、あせらずゆっくりまたおいで、と誘ってくれた。

あきらめずに続けけていくことが大事2017/05/18 23:00:10

あきらめの悪いわたしだが、まず何よりも続けていくこと。

今日のギターレッスンで、「川の流れのように」(美空ひばり)のイントロからエンディングまで通してやってみた。歌部分(スコア28小節目)の苦手な部分もやっとこなせる。妻に聴いてもらったところ「だいぶよくなった」と言われてすなおにうれしい。
来月からいよいよ、妻のリクエストである「THE ROSE」(Bettie MIDLER)に挑戦する。
「THE ROSE」を覚えたら次は、まだ完全に覚えていない、「心の瞳」(ママ・エ・セフィーユ)に挑戦!

あきらめずに続けけていくことが大事。手話でも朗読でもダンスでもギターでも!

聖人君子なんてことは言わない。でもねえ2017/05/19 22:39:55

誰にもそういう部分って多かれ少なかれあるんだけど、その自覚があるかないか。

ちょっと批判されるとツィッターで猛烈な報復のような発言をしたり、激高したりする。
まるで子どもじゃないかと、こういう人物が国の指導者になるというのはどうだかねえ。

聖人君子なんてことは言わない。だれでも神の前では罪ある者だから。
しかし自分が子どもっぽいという自覚がない、発言が子どもっぽいようじゃ安心して国の指導者としてゆだねられない。