与えられたことに精いっぱいこたえていく2017/05/14 22:01:25

われわれが人生の意味を問うのではなく、われわれ自身が人生の意味を問われているのであり、答える責任があるのだ。(ヴィクトル・フランクル)

キリストの教会にとって、最大の脅威は、偽善でも無関心でもヘタな説教でも不道徳でも弱い信仰でもなく、未成熟な信仰ではないだろうか。キリスト者の成熟とは、クリスチャン歴何年といったこととは関係がない。キリスト者の成熟とは、神のことばと神の霊に絶えず浸っているいのちが結ぶ実である。知識の量ではなく、成長しつつある識別力によって測られる。キリスト者の成熟のしるしは、有能であることや優れた賜物を持っていることではなく、謙遜さと清い愛である。キリストにあって成熟していく秘訣は、どれだけ多くのクリスチャン的な活動をするかではなく、キリストに信頼していかに自らを委ねていくかにある。(あるクリスチャンサイトから)

このブログを読んでくださる方の中にはクリスチャンではない方もいらっしゃる。
信仰の押しつけととられては不本意だけれど、思いをつづりたい。

わたしはどこに行っても普通に話せる者だ。そして手話と音声・書き言葉の両方で日本語ができコミュニケーションができる。
少数者としてのややこしい立場であり、がん患者になった。
そのことが、ようやく、フランクルの言うところの「人生の意味を問われているのであり、答える責任」を自分のこととして意識させられる。
次に、キリスト者として、自分の正しさやクリスチャン的な活動ではなく、自分が少数者であり、「人生の意味を問われているのであり、答える責任」ゆえにこそ、キリストに信頼をおく、委ねていくこと。

キリスト者であるということはそれだけでも日本では少数者である。さらにろう者で話せて、がん患者。
きついけれどこの与えられたことに精いっぱいこたえていく。それがわたしの生きる使命なのかもしれない。