練習は絶対に裏切らないから2014/06/26 23:24:15

夜のギターレッスン。久々に強いストレスを感じながらレッスンを受けた。
というのも、ギターの音はミキサーとアンプの効果で、とてもよく聴こえた。ケーブルをお借りして妻のギター、にもアンプをつないで妻の演奏がいまひとつつかめない。『思えば遠くへ来たもんだ』はいいのだけれど『バラが咲いた』は何度も間違えた。

聴こえない人は、聴こえを補うために視線で情報を得ようとする。たとえば口の動きを見て言っていることを理解しようとするように。中途難聴者が読話をするのもそうだ。しかし唇の動きが似たものになると混乱してしまう。
今日のわたしの場合では、妻の口の動きに視線が行ってしまい、楽譜を見ていないと何度もダメ押しをされた。
分かっているのだけれど、音が聴こえていても、いまどこを歌っているのかがわからないからついつい妻の唇に目を向けてしまう。

思い余ってマイクをミキサーにつなげてみた。妻の声が聞こえたが、合わせるのはちょっとたいへん。やっぱり聴こえないのは大きな壁だね。
だからといってやめるとかあきらめるとかいう選択肢はわたしにはさらさらない。

今回で分かったのは妻の練習不足もあるし、わたしの側にも練習不足がある。
妻は練習が足りないから、ギターの持ち方弾き方にくせがついてしまいかねない。くせをつけないためには、ギターに慣れていく、何度も弾いていくしかない。
ギターは木でできている、いわば生き物でもある。なんども弾いていけば弾くわたしたちにこたえて精いっぱい音を出してくれる。くせをつけないためには、ギターに慣れていく、何度も弾いていくしかない。「コードが見えないから」というが、練習していなかったら弾いていないと同じで、見えないばかりだ。わたしだって何度も弾いてからだで覚えていった。わたしと違って聴こえるのだから、できないはずがない。
マイクを購入して、妻に声とギターの両方でやってもらって合わせる。
とにかく練習しかない、ということだ。

練習は絶対に裏切らないから。