黄色い電車2014/06/01 23:18:04

終日暑い一日。午後に妻と待ち合わせをして買い物をしてきたが、いやはや干物になるよと、つまらない冗談を妻にいうほど、今日はかなり暑さがこたえた。

わたしは実物を見たことがないのだが、鉄道ファンのあいだでは黄色い新幹線、別名「イエロードクター」が人気らしい。なんでもこの新幹線をモデルに、はしまでつくられているそうだ。
わたしが利用している京成線でもつい先月から、黄色い電車をたまにみかけるようになった。車体全色が黄色のこの車両。新幹線ほどではないかもしれないが、乗っているとなんとなく気持ちが弾むような。

そういえばベースボールでもフットボールでも黄色のユニホームやジャージを着たチームはいくつあるだろう。70年代のピッツバーグ・パイレーツや80年代のNCAAオレゴン大学ダックス、CFLエドモントン・エススキモーズがそうだ。もっとも部分的に使っているチームならいまでもある。ピッツバーグ・スティーラーズがそうだしグリーンベイ・パッカーズはNFLで唯一黄色いヘルメットを使っている。

そんなことをつらつら考えながら、こういうカラフルな車両を見るのも楽しい。

会話できるレベルに至っていないけれど2014/06/02 23:20:39

昨日から6月に入った。東京タワーを妻とおいっこの3人で訪れたり、大雪で一歩も外に出られなかったことなど、遠い昔のような気がする。

そんな今日、久しぶりのアメリカ手話学習会。
テキストのなかにVOGとTTYという言葉が出てきた。前者は手話によるビデオブログ。TTYはテレタイプリレー。手話でカメラで撮影してそれをネットでブログのようにアップするのがVOG。TTYは電話とテレタイプをつないで音声の代わりに同時に文字で表す。
さすが広大な国だけあって、通信網も日本以上に広がっている。さらには聴こえない人のための伝送サービスや通訳サービスが無料で受けられるという。手話で話をしてそれをマイクをつけた通訳者がつないで伝えるという。

まだ決めていないけれども、今年ももし秋にアメリカに行くとしたら、カリフォルニアでひらかれているデフフェスティバルに参加しようと思っている。これは一年中全米のどこかでひらかれている、ろう者中途難聴者のためのイベントで、補聴器メーカーやTTYなどのリレーサービスなどのブースがあるのだそうだ。

まだまだアメリカ人ろう者と会話できるレベルに至っていないけれど、継続は力なり。続けていくことに意味がある。
いまのテキストは早ければ7月には終わるだろう。それ以後のテキストをネットで探しながら、学びを続けていきたい。

手話表現上の工夫もいれて2014/06/03 23:19:53

仕事を終えて今日はわたしだけが手話学習会に足を運んできた。今日から仲間より一足早い、朗読の手話表現にとりかかる。まず台本を手話通訳士と一緒に検討しながらすすめていく。

基本的には原作本通りに進めていくというスタンスだが、手話表現を考えるとき、文章通りのままでは、聴者はよくても、ろう者難聴者がわかるとは限らない。会話部分で、だれが語ったのかわからない文体のばあいはそうだ。ろう者や難聴者のなかには原作を知らない人もいるだろう。
そこで、三浦さんの原作を少しだけ変えて、会話部分で語っている人物がだれなのかをわかりやすくするために手を加えた。

できれば今週土曜日の朗読のレッスン時に完成原稿として提出しておきたい。

これから秋、9月に向けて3カ月間の取り組みが始まる。

大胆さと慎重さと2014/06/04 23:11:35

今年で洗礼を受けて30年になる。
けれども妻が同じクリスチャンであるけれども、異なる教理の教会に通っていることを思うにつけ、あらためて思うことばかりだ。

信仰とは、と考えてみる。
それはめったやたら目の前にあること起きたことをただ疑いもなく受け入れることではない、とわたしは思う。
さりとて疑うのでもない。
疑いを不信仰ととらえる人もいるけれど、本当にキリストにつながっていきたいと思うなら、疑いではなくて、示されていること聞いていることがほんとうに神からでたものなのか、問い続けることだ。

わたしの仕事に引き合わせて考えるなら、書かれたことがほんとうなのか、事実なのか、いろいろあたってみて調べてみて、そのうえで疑問があれば聞くし、間違いがなければいい。いくつものプロセスを通っていても人間のやることはいつも不完全だから、過ちも欠けもある。
まして信じるというのは、これがなくては生きられないという一方で、人を誤った方向に導いていく可能性もある。

そう、万が一の可能性があるからこそ、一歩引いてたしかめてみることだ。
もしほんとうに神から出ているものならば大きな宣伝などしなくても人はついてくる。そうではなく神からでていない、聖書に書かれていない、よく考えればおかしいと思うものには、慎重に向き合う。
大胆さと慎重さが、信じるということをより強くしてくれると思う。

そうはいってもなかなか、世の中には自分こそ神から出たものだと吹聴したがるものがいるから、やっかいだ。

補聴器とミキサー2014/06/05 23:38:30

イヤモールドの問題が片づいたと思ったらここ数日、ハウリングが起きていると、周囲から言われている。ごく小さい音か、高い「キーン」という音らしい。それも1日に10回も起きているという。当の本人はというと、よほどイヤモールドが外れている場合でないとわからない。つまり完全にろうであるのと重なってハウリングが聴こえない。

今日の朝刊に、スマホと通信して音を聴く補聴器の発表の記事があった。両耳装用で89万円というのはいくら補聴器が非課税でも、おいそれと買える代物じゃない。
医療器具、生活補助器具であるから誰でも買えればいいのだが、補聴器は使う人の耳や聴こえの状態によって異なるし、スマホと通信するだけが補聴器を使うシーン場面ではないだろう。
もうひとつ付け加えるなら、新製品はユーザーが少ない。いくら高性能をウリにしていても、使い勝手がいいのか悪いのか、長所と短所はどこなのか、ユーザーの評価が定まっていないからわからない。妻と一緒にオークションで購入した一眼レフカメラも、今晩ギターで使わせていただいたミキサー(来週届くらしい)も、それなりにユーザーがいて評価が定まっているから、試しに借りたりいろんな意見を聞いたりして購入した。
知らない人にしてみれば「新製品はどうだ?」とすすめたいところだろうが、かえって合わない、使いにくいということになりかねない。だからこういうのはある程度時間がたってユーザーからの意見などが出た後でもいい。結局は新製品よりその直前、古くても1世代前のモデルのほうがいいということでもある。なんでもかんでも新しいものがいいとは限らない。

今晩はギター教室。
海援隊の『思えば遠くへ来たもんだ』を講師と一緒に、妻がボーカルを担当してレッスンを受けた。ミキサーにマイクとギター用プリアンプをつないでみてはじめは接続機器に電気の負担がかかって補聴器にひっかけたフックが熱くなり、耳が痛かったが、ボリュームを落とすなどして痛みはなくなった。講師がアコースティックギターからベースギターに換えてミキサーとつないだら、さらによく聞こえて楽しかった。
海援隊もステージではたしか中牟田俊男さんはベースギターを使うことがある。千葉和臣さんはアコースティックではなくエレアコースティックを使う。まるで海援隊と同じ気分でとても楽しくできたのだが、講師からテンポとリズムがまだしっかりできていない。独学で覚えたときの指の動きやくせが出るから注意してとアドバイスをいただいた。
自宅に帰って妻のボーカルに合わせて復習。

いつかステージで演奏できたらいいなあ。

会話のキャッチボール2014/06/06 23:19:19

会話がテンポよく進んでいく、あるいは会話の流れを変えたいとき、わたしたちがよくやるのは「相づちをうつ」こと。

手話でも相づちはもちろんある。
たとえばあごに親指をつけて人さし指だけを伸ばすのは「なるほど」。
顔の前に上から下へ、手のひらを手前におろすのは下ろすのは「へえ」。

全国の25歳~29歳の男性会社員200人に「イラッとする相づち」をアンケートで集計したところ、

「はいはい」                           44.8%
「ふーん」「うんうん」                    各23.0%
「へえ」                              19.5%
「ああ」                              17.2%
「ええ」                              14.9%

という結果が出たそうだ。

なるほど。
「はいはい」は言われたことをテキトーに聞いている、真剣に聞いていない、こちらの話に興味がないという印象をもたれやすいし、「ふーん」「うんうん」は相手が話を理解しているんだかいないんだか、話し手がつかみにくい印象をもたれるだろう。

手話でもよく相づちを打つ。むしろ聴こえない分だけ相づちを打つことで「聞いていますよ」というサインを相手に送ることができる。
けれどめったやたら考えなしに相づちを打っても、「お前、話聞いてんのか」と逆効果になることもある。
じゃあ、どうすればいいか。
「なるほど」ばかりを言っていてはキャッチボールにならない。
なるほど、といってきたら「そうですよね」と相手の話に肯定的な相づちを返すこと。そうすることが会話のリズムを生み、キャッチボールでも効果的ないい返球ができる。

ひるがえって、手話を身に着ける前のわたしを思い出す。
聴こえないから、聴者の言っていることをわからないままに、相手に二度三度同じことを言わせてはいけない、相手に合わせよう、と「はいはい」などを多用していた。そしてわたしはきれいに普通に話せるから相手も「話が理解できた」と思ってしまい、結局かみ合わなかったり中途半端だったりとフラストレーションがたまってしまう。別れてから「あれ? いまの話、通じていたっけ?」と。

会話は聴者でも難しい。聴こえている人同士でも通じていないことがあるそうだ。
まして聴こえない人にとってはなおさら。
だからこそ、効果的な会話のキャッチボールと相づちができるよう、気をつけたい。

尋常ではない梅雨入り2014/06/07 23:11:53

まったく信じられないような梅雨入りである。
関東地方は今日一日で一カ月分にも相当する降雨量を記録したというのだから尋常じゃない。おまけに関東地方が梅雨入り直前の北海道は37.5℃なんていうとんでもない気温だった。わたしが子どものころの北海道はどんなに厳しい暑さでも30℃を超すなんて日はそう何日もなかったと記憶している。

明日は手話サークルの仲間を自宅にお招きしてしばし手話べりとなるだろうか。
けれどこんな天気では、来るのも大変だろうと思う。

補聴器のハウリングトラブルを、けさ都内の行きつけ補聴器販売店にてみてもらった。わたしの見立て通り、イヤモールドと本体を結ぶチューブが短かったらしい。オーディオに例えるなら、マイクとスピーカーが近くなっていたようなものだ。

やれやれ、一安心である。

生きていればいいことはあるよ2014/06/08 22:18:15

いま、1時間ほど軽くギターの練習をしたばかり。

午後から、わたしがたまに通っている手話サークル、千代田一麦会の健聴者会員と以前住んでいた江戸川区在住の健聴者で手話を学んでいる方、計3名をお招きして交わりのひとときを持った。

自宅近くにあるピザレストランで昨日注文しておいたピザを妻が受け取り、わたしはお客様をお迎えに駅で待っていた。
駅から自宅にご案内してピザやお菓子などを囲み、なぜ手話を学び始めたのかやわたしたち夫婦の出会いなどいろんな話題で話が弾んだ。

そのなかで妻がわたしの趣味について触れだした。
いろいろ話してもいいのだけれど、アメリカンフットボールに触れたら長くなる(笑。わたしのギターが話題になって、いま教わっている海援隊の「思えば遠くへ来たもんだ」をお聞かせすることになった。できはあまりよくない。さっきまで練習していたのはその反省があるからだ。

お客様のなかにピアノをやっていらっしゃる方がいて、ピアノ楽譜を持っていたので、童謡や文部省唱歌「ふるさと」や「四季の歌」の手話表現を教えて一緒にやったりギターに合わせて歌ったり。
そうこうしているあいだにどういうきっかけか、病院や介護施設でご高齢の方のボランティア活動をしよう、手話ソングとわたしのギターをみなさんに披露して楽しんでもらおう、という話がでた。文部省唱歌や昔のフォークなど10曲余りをリストに挙げて、手話通訳士に手話ご指導をお願いして7月から始めようと具体的なプランが出来上がった。

グループ名はまだ決まっていないし、どこの施設に行くかなどといったことはまだ先の話だけれども、場合によっては練習に、この自宅があるマンションの集会室をお借りできるかもしれない。
まさかこんな話が出るなんて、今日お客様をお招きするまではまったく考えてもいなかったしそのつもりもなかった。
人生何が起こるかわからないものだ。
ギターを教わっているいま、まだ人前でお見せできるレベルではない。
けれども手話を身につけて妻と出会い、千代田一麦会の会員はじめかつて住んでいた江戸川区の手話学習聴者と一緒に手話ソングをやろうなんて、いったい誰が予想できただろう。

もともとわたしは音楽は好きだけれど自分でやるのは嫌いだった。中学校時代の合唱の時間、音程が合わず「お前だけ口パクでやっていろ」といじめられたのが、いまでも傷になっているくらいほどだ。
しかしこんな話が出るのは、やっぱり楽しいし、昔の傷をいやせるかもしれない。生きていればいいことはあるよ。うん。

ともかく末永く、じっくり続けていきたいものだ。

チャレンジ2014/06/09 23:17:41

仕事終わりに妻の友人夫妻が経営している船橋市の歯科医院へ、1時間以上かけて治療に行ってきた。
妻は若いころに下の前歯の神経を抜く治療を受けてその影響か、歯の根元が茶色く変色していた。口に言わないけれど女性だから気にしていたのではないか、と結婚したいまでも思っている。
で、友人夫妻の夫君が歯科医ということで「いくらお金がかかっても糸目をかけないから」と、妻の歯の治療をお願いした。

レントゲンで状態を調べてもらって、クリーニングや根元の神経があった部分をあらためて治療してもらった。
終わって出てきた妻の歯を見ると、治療前とは全然比べ物にならない、真っ白な歯になっていた。妻もわたしもうれしくなって顔の表情が変わった。

これを言わずしてなんというのだろう。
真の医療というのは、単に体の悪いところや病気を治すだけではなくて、生きる力、前向きに生きていこうというエネルギー活力を生むのだ。

わたしは聴こえなくなってまもないころに、ある仏教系の新興宗教がやっていたお祓いと称して、1万円を出してもらってお祓いを受けたけれども、何にも効果がなかった。もちろんお金を出してもらったのは親だが、40年がたったいまも「あれはなんだろうね」と笑っている。
笑っていられるうちはまだいい。

もちろんそれらにすがりたい心境や信じたい思いは否定できない。
だけれど、現実にはどうしようもない、治らないものもある。わたしの感音性難聴がそうだ。神経が傷ついていて、現代医学では完治が難しい。
それを受け入れてその限界の中でいかに生きていくか。そう思ってわたしは手話を学び、昨日のようにギターをきっかけに出会いが生まれた。

やはりわたしはああいうお祓いがある、すがりたい人たちの気持ちを受け入れつつ、いま生きているいろんな限界のなかでチャレンジしていく。
そのほうがずっと、生きた何かを遺すことになると、キリスト者だからこそ確信している。

これから先をどうしたいか2014/06/10 23:40:22

先週日曜日に手話サークルの仲間を含むお客様をお招きしたとき、昔の歌、「みかんの花咲く丘」など、小さいころに聴いた歌で涙腺がゆるむ、といったら彼女らがおなかをかかえて笑っていた。
それはまだいいのだけれど、だんだん年齢を意識して、残りの人生というか、これから先をどうしたいか、ということを思うようになってきた。
そういえば今日のある全国紙夕刊の一面を飾ったのが、オヤジがリングに上がるという話。そう、格闘技、ボクシングの大会に50代60代などというオヤジが出場するという。わたしも例外ではなく、小学生から中学生時代はちょうどプロレスリングがブームだったころと重なる。最近はCS放送でたまに妻がいないときに観る。なぜって妻は格闘技が好きではないから。なるほど日本のプロレスは真剣勝負、勝ち負けを重視しているが、アメリカのそれは勝負というよりエンターティンメント色が強く、おまけにストーリーというか誰と誰がからんで抗争をして、という話がテーマになる。WWEはさすが魅せるのがうまいけれど。

話が大きくそれてしまった。
もしわたしだったら、フットボールにチャレンジしたいな、という夢も抱かないではない。妻はあきれてしまうだろうが。
ともかく、男はいつになっても夢というかロマンを追いかけていたい生き物なのだ。若いころにはいろいろなしがらみがあってかなえられなかった思い。その思いを抱いたまま死んでもいいけれど、かなえられなかったからといってそのままにしてしまうのも、なんだかもったいない。

なにも格闘技やフットボールとは言わないが、わたしももうすぐオヤジ世代に突入する。
何にもしないで生きるより、なにかを遺して生きようよ、というあの水戸黄門の主題歌「あゝ人生に涙あり」がしみじみと実感してくる、今日このごろだ。