チャレンジ2014/06/09 23:17:41

仕事終わりに妻の友人夫妻が経営している船橋市の歯科医院へ、1時間以上かけて治療に行ってきた。
妻は若いころに下の前歯の神経を抜く治療を受けてその影響か、歯の根元が茶色く変色していた。口に言わないけれど女性だから気にしていたのではないか、と結婚したいまでも思っている。
で、友人夫妻の夫君が歯科医ということで「いくらお金がかかっても糸目をかけないから」と、妻の歯の治療をお願いした。

レントゲンで状態を調べてもらって、クリーニングや根元の神経があった部分をあらためて治療してもらった。
終わって出てきた妻の歯を見ると、治療前とは全然比べ物にならない、真っ白な歯になっていた。妻もわたしもうれしくなって顔の表情が変わった。

これを言わずしてなんというのだろう。
真の医療というのは、単に体の悪いところや病気を治すだけではなくて、生きる力、前向きに生きていこうというエネルギー活力を生むのだ。

わたしは聴こえなくなってまもないころに、ある仏教系の新興宗教がやっていたお祓いと称して、1万円を出してもらってお祓いを受けたけれども、何にも効果がなかった。もちろんお金を出してもらったのは親だが、40年がたったいまも「あれはなんだろうね」と笑っている。
笑っていられるうちはまだいい。

もちろんそれらにすがりたい心境や信じたい思いは否定できない。
だけれど、現実にはどうしようもない、治らないものもある。わたしの感音性難聴がそうだ。神経が傷ついていて、現代医学では完治が難しい。
それを受け入れてその限界の中でいかに生きていくか。そう思ってわたしは手話を学び、昨日のようにギターをきっかけに出会いが生まれた。

やはりわたしはああいうお祓いがある、すがりたい人たちの気持ちを受け入れつつ、いま生きているいろんな限界のなかでチャレンジしていく。
そのほうがずっと、生きた何かを遺すことになると、キリスト者だからこそ確信している。