一方通行の会話は疲れる2013/08/22 21:57:07

一番つらいというか、苦痛を感じること。
なにか、というと音声会話のなかに身を置くのがつらい。

この18日に、浦安教会で青年の会をもった。
わたしが司会進行の一方、話をすることもあった。わたし以外に参加者は聴者の男性2名だけ。
たった1時間だけれど、正直にいって聞き取ることと話が一方通行にならないように注意することのふたつに神経を使って、とても疲れてしまった。

わたしがまだ手話を知らなかったころ、はじめの何分かはうまくスムーズに会話ができていたのだけれど、次第に聞き取れなくなっていって、わたしの口からは「うん、うん」とまるでオウム返しのような、気のないというか生返事もいいところ。終わってひとりになってみて「あれ? きちんとした会話になっていたかな、相手の言っていることを理解した上での会話になっていたかな?」と反省、自己嫌悪に陥ったものだ。

案の定、というか18日のときも、なんだかわたしが一方的に話すか、彼らが話すかのどちらかだったと感じる。一番疲れるのが、これだ。

ほんとうは筆談なり手話なりがあるととても楽なんだけれど。

聴者ばかりの教会で聴こえないのはわたしだけ。
ジレンマを抱えつつ。

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