自戒を込めて2013/09/01 22:44:19

急に暑さが戻ってきて、体調を崩しそうなほどである。

礼拝のあと、夕方から自宅に手話通訳士先生をお招きして朗読舞台についてご指導をいただく。表現の手直しもあり、充実した内容。

今日は防災の日。
いつまた大きな震災がくるか、だれにもわからない。ここ数週間は東京では大きな揺れがないとはいえ、今後もまったくないと言い切れるほど、現実は甘くないだろう。

地下鉄車内で弁当をひろげたり、イエローゾーンでケータイやスマホをいじくったり、お化粧をしたり。

自宅でやっていることと同じ感覚で、外でも同じような行動をする人をいつもみかける。
話し合ったことだけれど、自分と他者の区別認識ができていないのか、自分の視野に入らないから、そういう行動に走るのか。

物がいくらでも手に入る、豊かな社会に住むわたしたち。
だけれどどこかでゆがんでいるのかもしれない。

久しぶりに外食2013/09/02 22:45:12

夜、妻と一緒に、妻の誕生祝いでほしいという腕時計を見に行く。誕生日当日はわたしが入院していたのでなにもしてあげられなかった。まして今年は新婚である。なおさらプレゼントをしてあげなくてはならない。
いまからいろいろ思案を巡らしている最中だ。

そんなこんなで久しぶりに有楽町で外食。わたしも妻もスパゲティーを頼んだ。
けっこうなボリュームのせいか、めずらしくごはんを残してしまい、妻と分けてようやく胃袋に収まった。

毎朝、妻と一緒に自宅を出て途中まで地下鉄車内で過ごす。
けさはマンションから横断歩道橋を降りたところで、猛スピードで走ってきた自転車と危うく衝突寸前の目にあった。わたしだけだったらもしかしたらぶつかっていたかもしれない。

その、けさ危うくぶつかりそうになった自転車を運転していた男性は、イヤホンをつけていた。
昨日も書いたけど、自分の世界にはいりこんで周りが見えないほどの行動は、やっぱり危険である。

一人ひとりの自覚と意識に期待するしか、ないのだろうか。

地球温暖化が原因?2013/09/03 21:23:06

月がかわっても厳しい暑さが続く。昨日、千葉県や埼玉県を襲った竜巻が示したように、自然災害はいつどんなところで起きるか、被害がどのようになるか、予測できない。

大気の不安定な状況はまだまだ続いている。
台風17号の接近が伝えられているし、落雷や竜巻などにも注意が必要なことはいうまでもない。

今日の朝刊では、地球温暖化が原因だと伝えられていた。
はたしてこのさき、日本は、地球は人間にとって住みやすいままなのだろうか?

昨日、風邪気味だった体調は今日になって、いくぶん落ちつき、からだの節々にあった痛みが消えた。
独身のときはどんなことがあっても自分しか頼れない、自分しかどうすることもできなかった。家族をもって、家族の助けと支えがあって風邪を乗り切ることができる。もはや自分だけの問題ではない、家族にも迷惑をかけてはいけないという思いも、風邪を乗り切る力になっているのだろう。

レジェンド・シリーズ2013/09/04 23:49:36

けさ会社に着いてまもなく、ひさびさの揺れを感じた。天井からつりさげられているボードが揺れているのと、テレビのテロップと映っている番組内の女性アナウンサーの表情から地震だとわかった。
妻にメールで聞くと、発生時、エレベーターフロアの前にいたが揺れはわからなかったと返信があった。
先日に続いて栃木で竜巻が発生、名古屋や岐阜県でも大雨が降ったという。まさに異常な秋のスタートか。

話は変わって。
プロ野球、パ・リーグの試合では、先月30日から6球団による共同企画「レジェンド・シリーズ2013」が始まった。
テレビで見るだけでも、懐かしいデザインのユニホームに胸がドキドキする。しかも一時代を築いたOB選手が始球式に出たり対戦するチームのOB同士が一打席勝負をみせてくれたりと、ファンのこころをくすぐる。
今日、手話サークルはこんな天気だったからか参加者が少なかったけれど、千葉ロッテのファンだという女性と、このテーマで少し話が弾んだ。

わたしの世代ならともかく、若い人には新鮮に感じられるだろう、オールドユニホーム。
アメリカでは昔のユニホームを着て試合をすることがある。それだけ、先人を敬い、歴史をつないでいくという意識が高いことの表れだ。

こういったイベントをこれからも続けていってほしい。

朝からものすごい2013/09/05 21:57:30

朝5時に目が覚めた。外はものすごい雨や雷。
日中まったく会社から一歩も出なかったのだが、都内は朝から雷雨のために交通網の遅延などが起きた。

明日は雲が広がるという予報もある。
週末はいい天気になるといいのだが。

楽しみ喜びを分かち合えた2013/09/06 22:10:36

妻とわたしは、通う教会こそいまはまだ同じではないけれど、クリスチャン同士ということで共通の話題ができている。さっき、讃美歌を一緒に歌ったりお互いの知っている曲を歌ったりしてきた。
人生をともにするなかで、全部でなくてもいいから、一緒に分かち合えるものがあると、喜びも悲しみも共有できる。

明日からまた、声だけの朗読のご指導をいただく。
ろうであるわたしには音楽はよく聞こえない。まだ補聴器をつけていたころに聴いていた歌や音楽なら楽しめる。
今回の朗読では久々にベートーベンのピアノ、2つのロンド・作品51を使うことにした。

AKB48だけではなく、いまの歌は歌詞の中身、言いたいことがよくわからない。ところが昔の歌は、讃美歌でもポピュラーでも、こころによくしみとおる。
なぜか。
歌詞や言葉を大事にしているから。

妻と讃美歌を一緒に歌い、朗読のBGMを決めた夜。
音楽の楽しみ喜びを分かち合えたひとときだった。

3週間後2013/09/07 23:42:37

今日の『朗読のレッスン』開始前に、今月28日に下北沢である、第8回コスモス朗読会の案内はがきと出演順発表があった。
わたしは第2部ラスト。

いよいよこれからが大事になってくる。

3週間後。いい舞台にしたいものだ。

正直に言って2013/09/08 22:01:23

2020年夏季五輪の開催地が、ここ東京に決まった。けさ5時にテレビで、IOC総会が開かれているアルゼンチン・ブエノスアイレスからの生中継をみて、東京に決まった瞬間、おもわずあほらしさを感じた。

正直に言っていまも「なんで東京か」という疑問がぬぐえない。

決定後、東日本大震災被災地の福島や宮城、岩手の人たちからは「喜ばしい話には違いないだろうが、被災地で避難所生活をしているわたしたちにはとてもうれしいとは思えない」「明日の生活も見通しが立たない。7年後、故郷や震災前に住んでいた家に帰れればいいけれど、いまはとてもそんな先のことを考える余裕はない」といった声がきこえてきた。

みんな忘れているか、意識から遠ざけているのだろうか。思い出してほしい、さきの参院選挙後、福島第一原発から汚染水が漏れているという報道が出てきたことを。なんで選挙後にぞろぞろ出てきたのだろう。政府や東京電力が事態を隠していて、選挙後ならいいだろうと情報を流してきたのか、という疑問もある。

今回のIOC総会でも安倍晋三首相が「問題ない。政府自ら先頭に立って事態をコントロールする」と言い切った。だけど、震災から2年6カ月になろうというのに、まだ原発は収束していない。被災者も帰れない。

誇らしげな表情を見せる、安倍首相や猪瀬直樹・東京都知事だが、あれだけ国際社会の前で言い切った以上、責任もってあたってほしい。うそや情報隠しは許されない。
それと、こういう結果になったことで傲慢というか不遜な政権運営や政治を進めてほしくない。支持していない人もいるのだということを忘れてはいけない。わたしたちもまた、しっかりと彼らを注視していく責任がある。

7年後どうなっているか。そのころわたしは50代なかばだ。
原発、インフラ、五輪後に、施設をどうするのか? 人口もおそらく確実に減少しているだろう。
7年のあいだにまた大きな震災が起きないという保証はひとつもない。
まさに課題山積である。

新しいコンタクトレンズ2013/09/09 21:50:58

先週金曜日にコンタクトレンズをすべて使い切り、その前にメガネ店に注文していた新しいレンズがようやく昨日になって届いた。
新しいコンタクトレンズは乱視用だが、度数というか数値が左右で異なる。いままでは左右ともに同じ数値だったので入れ違えても問題なかったのだが、今回からは右用と左用を間違えてはとんでもないことになる。見えぐあいはもちろん、平衡感覚にも影響を及ぼしかねないので、絶対に間違えてはいけない。

高齢化社会ということで、最近は40代ユーザー向けコンタクトもつくられている。少し前までは将来そうなるだろうときいていたのが、実際につくられているのに驚いた。
昨日の朗読のご指導後、手話通訳士先生や妻を交えていろんな話をしたが、やっぱりわたしも老眼にさしかかりつつあるらしい。
耳は子どものころからだから受容できているけれど、それ以外でのからだの衰えはまだ受容できていない。
いずれコンタクトも使えなくなる日がくるのかなあ。

たいまつのような存在でありたい2013/09/10 22:34:54

五輪開催地に決まって、さっそく案の定、社会は「五輪バンザイ」とお祝い一色になってきた。7年後に選手となるかもしれない若い世代にインタビューをしたり、1964年の東京五輪経験者らの思いをきいたり、施設建設予定地を取り上げたりしている。
街の人の声も「これで財布が少しはゆるむかもね」などと笑顔で語る人もいる。

だがわたしは、そんな雰囲気から一歩ひいて、シニカルというか冷ややかな目でみている。

文春ジブリ文庫に『腰抜け愛国談義』という作品がある。著者は日本近現代史に詳しい、半藤一利さんと『耳をすませば』、最新作の『風立ちぬ』で引退を発表したアニメーション作家の宮崎駿さんだ。  

  《若い人たちはやたら「不安だ、不安だ」と言うんですが、
 ぼくは「健康で働く気があれば大丈夫。それしかないだろう」
 と言い返しています。「不安がるのが流行っているけど、流
 行に乗っても愚かなる大衆になるだけだからやめなさい」と。
  「不安なときは楽天的になって、みんなが楽天的なときは
 不安になれ」とね。よくわかんないけど(笑)》

宮崎さんはこう語っている。とてもよく理解できるね、いまなら。

五輪が決まったのはいいけれど、昨日も書いたように課題山積だ。とてもバンザイともろ手を挙げて言える状況ではない。1964年当時とは時代も社会もまるで異なる。
キリスト者のわたしは、こういう時代状況の中でどうしたらいいのだろう。
宮崎さんが語っておられるように、「みんなが楽天的なときは不安になれ」と。世の中の動きをしっかりみつめ、おかしい時はおかしいと声を上げる、たいまつのような存在でありたい。