友人の1周年追悼記念会2013/08/03 23:10:19

昨年の夏に、予期せぬ水の事故で、二人の友人を天国に送った。

この8月2日で1周年になろうとしている。元気だった二人があっと言う間に、この世を去った。あの信じられない出来事から、はや1年経とうとしている。あっと言う間だった気もするし、随分昔のような気もする。

明日の午後(8月4日)に、墓地礼拝と1周年記念合同礼拝が、プロテスタント教会で持たれる。
残された家族は、愛する妻を、愛する夫を、愛する母親を、愛する父親を突然、喪失する辛さを、それぞれに受けたこの1年間だったと思う。

私もこの1年間、彼女達のいない現実を受け止めるのに、抵抗を感じて辛い思いをした。今も時々、空から懐かしい彼らの声が聞こえる時がある。以前と変わらぬ声で、私の名前を呼んでくれる。
魂に語りかける声があるなら、その声を忘れたくない。

私もいつか、天国に帰るときがくる。その時には、ずっと傍にいてその声を聞くことができるだろう・・・

明日の礼拝に多くの方が集い、涙する場面が沢山あるだろう。
私はその場に立ち会えないけど、同じ哀悼の意を持って過ごしたい。

新しい家族ができた今は、遺族の辛さがよく理解できるようになった。
神様の慰めと癒しがあるように祈りつつ・・・

だからこそ2013/08/03 23:28:08

8月最初の「朗読のレッスン」ご指導をいただいた。
休暇など事情がおありなのだろう、何人か欠席された方がいらっしゃったけれど、ほとんどの受講生が顔を出した。

わたしはセリフ部分を、感情を入れすぎないようにとアドバイスをいただいた。その一方で顔やからだの動きで表現するように注意したい。

手話訳がおおむねできていたからだろう、台本に目を通すことなく読むことができた。
もっともっと読みこなし、手話も表現をたしかなものにしたい。

妻が一年前に事故で親しい人を失ったことを書いていたが、今日の手話サークル前に、数年前に脳梗塞で倒れたままお会いしていなかった手話サークル立ち上げ時からの古参メンバーが先月亡くなったときかされた。サークルで細かい手話表現を教えていただいたことが、つい昨日のことのように思い出される。
実は朗読でも、毎年舞台に立っていた受講生がこの春に亡くなった。心臓発作だったそうだ。

わたしもいずれはこの世を去らなくてはならないときがくる。
だからこそ、生きているあいだに何をしたかしなかったかが問われる。

このからだでなにかしら、生きたあかしというか、生きてきたといえるものを遺したいと強く思う。

天国に帰ったときに恥ずかしくない歩みだった、といえるように。