障碍者が希望を持って生きられるために ― 2008/09/17 21:14:10
数々のドラマと感動をわたしたちに見せてくれた北京五輪の後で、障害者スポーツの祭典、2008北京パラリンピック競技大会(Beijing 2008 Paralympic Games)が終わった。
近年は障碍者のスポーツを積極的に取り上げるようになってきたけれど、彼らの競技やトレーニングをめぐる環境はけっして恵まれたものとは言えない。種目によっては練習場がなかったり、時間の制約があったりお金がかかったりと、ほんとうにたいへんだ。
たとえば卓球。車いすの卓球をみたことがあるしわたしも試合で車いすの選手と対戦した経験があるけれど、車いすの使用持ち込みが許可されるところがまだまだ足りない。そんなたいへんな環境のなかで、生きる希望を、自分の能力を最大限に生かしたいと、あきらめずに努力を続けている、彼らアスリート。もっともっと一般スポーツとして理解と支えが広がってほしいと思う。
ところで中国語ではパラリンピックをどうあらわすのだろう。
「第十三届残疾人奥林匹克運動会」、略称「第十三届夏季残奥会」あるいは「2008年夏季残奥会」というらしい。
残奥会というのは、オリンピックの後の、という意味だろう。が、残疾人というのはしばし考え込まざるを得ない。疾という言葉に、人間として生きている意味がないと感じさせるのだ。
昔わたしは、障害という言葉の「害」に強く抵抗を感じ、わたしたちは害でもわざわいでもない、迷惑な存在でもないのだ! そう書いたり発言したことがある。このことをめぐってしばし論争になったほどだ。
いまでもわたしはあえて、障碍と書いている。あるいは障がいと書いている。障碍の「碍」は常用漢字外であることは重々承知しているが、それでも害ではないぞ! そう強く思っている。
同じように「残疾人」についてもだ。疾とはなんだ。人間としての尊厳をまるっきり否定しているのではないか!
聞くところによれば中国では障碍者の存在は公的にはないものとみられているときく。自閉症などはその最たるもので公的な援助が得られず、家族間のつながりがなんとか微々たるレベルで続けられているときいたことがある。
そういえば、昔まだ耳が聞こえていたころに、海外短波放送の「モスクワ放送」に、ソ連では難聴者はいるのか? と尋ねたところ、手紙で「ソ連には障碍者なるものは存在しない」という返事をいただいたことがある。けんもほろろに、まるで無視されたかのように。
いったい社会体制とはなんだ。イデオロギーとはなんだ。やりようのない矛盾と怒りを感じた。
ともあれ。
パラリンピックは障碍者のリハビリテーションから始まり、機能回復から、人間らしく生き生きと生きられる目標意欲を、さらには高いレベルでのスポーツへの挑戦という目的がある。
わたしたちはけっして、障害者でも残疾人でもない。
朗読でも、わたしたちはひとりぼっちではない、どこかでつながりあっていると語る。聞こえなくても何かができるのだと。
近年は障碍者のスポーツを積極的に取り上げるようになってきたけれど、彼らの競技やトレーニングをめぐる環境はけっして恵まれたものとは言えない。種目によっては練習場がなかったり、時間の制約があったりお金がかかったりと、ほんとうにたいへんだ。
たとえば卓球。車いすの卓球をみたことがあるしわたしも試合で車いすの選手と対戦した経験があるけれど、車いすの使用持ち込みが許可されるところがまだまだ足りない。そんなたいへんな環境のなかで、生きる希望を、自分の能力を最大限に生かしたいと、あきらめずに努力を続けている、彼らアスリート。もっともっと一般スポーツとして理解と支えが広がってほしいと思う。
ところで中国語ではパラリンピックをどうあらわすのだろう。
「第十三届残疾人奥林匹克運動会」、略称「第十三届夏季残奥会」あるいは「2008年夏季残奥会」というらしい。
残奥会というのは、オリンピックの後の、という意味だろう。が、残疾人というのはしばし考え込まざるを得ない。疾という言葉に、人間として生きている意味がないと感じさせるのだ。
昔わたしは、障害という言葉の「害」に強く抵抗を感じ、わたしたちは害でもわざわいでもない、迷惑な存在でもないのだ! そう書いたり発言したことがある。このことをめぐってしばし論争になったほどだ。
いまでもわたしはあえて、障碍と書いている。あるいは障がいと書いている。障碍の「碍」は常用漢字外であることは重々承知しているが、それでも害ではないぞ! そう強く思っている。
同じように「残疾人」についてもだ。疾とはなんだ。人間としての尊厳をまるっきり否定しているのではないか!
聞くところによれば中国では障碍者の存在は公的にはないものとみられているときく。自閉症などはその最たるもので公的な援助が得られず、家族間のつながりがなんとか微々たるレベルで続けられているときいたことがある。
そういえば、昔まだ耳が聞こえていたころに、海外短波放送の「モスクワ放送」に、ソ連では難聴者はいるのか? と尋ねたところ、手紙で「ソ連には障碍者なるものは存在しない」という返事をいただいたことがある。けんもほろろに、まるで無視されたかのように。
いったい社会体制とはなんだ。イデオロギーとはなんだ。やりようのない矛盾と怒りを感じた。
ともあれ。
パラリンピックは障碍者のリハビリテーションから始まり、機能回復から、人間らしく生き生きと生きられる目標意欲を、さらには高いレベルでのスポーツへの挑戦という目的がある。
わたしたちはけっして、障害者でも残疾人でもない。
朗読でも、わたしたちはひとりぼっちではない、どこかでつながりあっていると語る。聞こえなくても何かができるのだと。
コメント
_ 美幌音楽人 ― 2008/09/20 19:12:58
_ スマイル ― 2008/09/21 01:01:22
美幌音楽人さま
お久しぶりです。コメントをお送りくださり、まことにありがとうございました。
障害者でも残疾人でも、言葉狩りになってはいけないなと思います。わたしは「障害」を使うなと言っているのではなく、「害」を使うなら使ってもいいけれど、尊厳をもってかかわって、と言いたいのです。
インコを飼っているのですが、癒されています。
朗読練習の時も、「このオッサン、ダイジョウブかね」というように首を傾げたり、練習中に声を上げたり(やかましいけれど不愉快になんか感じません 笑)。
美幌音楽人さんも、どうかご自愛専一でお過ごしください。
スマイル
お久しぶりです。コメントをお送りくださり、まことにありがとうございました。
障害者でも残疾人でも、言葉狩りになってはいけないなと思います。わたしは「障害」を使うなと言っているのではなく、「害」を使うなら使ってもいいけれど、尊厳をもってかかわって、と言いたいのです。
インコを飼っているのですが、癒されています。
朗読練習の時も、「このオッサン、ダイジョウブかね」というように首を傾げたり、練習中に声を上げたり(やかましいけれど不愉快になんか感じません 笑)。
美幌音楽人さんも、どうかご自愛専一でお過ごしください。
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今日は、私がよく寄り道する三つのサイトを紹介します。
北京メディアウオッチ [ブログ]
http://pekin-media.jugem.jp/?eid=422#comments
広告宣伝課 クッシーが行く!! http://petio.weblogs.jp/kushibe/2008/09/post-3617.html
(メルモ)動物愛護習慣は今日からです
http://petio.weblogs.jp/master/2008/09/post-5b03.html
Lyric room 夕月馨
http://yuzuki.halfmoon.jp/
(スッテン コロたん)
では、また。(健康留意)