コンプレックスだらけのきみへ。自分に自信を失っているきみへ。2008/09/05 22:03:01

高校2年生から最終学年までの2年間、文部大臣旗杯全国高等学校弁論大会の北海道予選に出た。当時わたしは2回、北海道代表として全国大会に出場した。
その時の経験があるからだろうか、舞台や人前に立ってもあまりあがらないほうだと思っている。

高校時代のこの文化活動はわたしにとって大きな財産だと言える。
勉強もあまり得意な科目がない。運動もからきしだめ。思春期なら高校時代ならあるはずの、クラスメートと付き合ったとか、異性に思われたとか思いを寄せたとかいった、いまでいうなら<モテ期>とはまったく縁がなかった。おまけに耳が聞こえない。そんなコンプレックスだらけのなかで唯一、自分らしくいられるのは弁論のときだけだったかもしれない。

高校生というと、甲子園だとか総合スポーツ大会だとかいったスポーツ系が注目されることが多い。
けれど文化活動も、とてもすばらしいものが多い。新聞制作だとか放送部のアナウンサーだとか写真、演劇など、3年間に打ち込んだ成果を舞台やパネルにして発表し、見てもらえる。
甲子園のように華々しくないかもしれないが、高校生の文化活動をもっともっと多くの人に見てもらいたい知ってもらいたいと、3年間を弁論に打ち込んだかつての思い出を振り返って、世に大きな声で伝えたい思いだ。

見られることで成長し成熟するということもある。スポーツに限ったことではない。
もちろん見られるからにはそれなりに見てもらえるに値するものがないと、とは思う。
しかし、結果がどうであれ、たった7分の弁論であっても、手話ソングであっても、その短い時間に自分の持てる何か、すべてを注ぎこみ、訴えかけ、表そうとすることは、大観衆に囲まれてではなくても大きなホームランを打つことではなくても、貴重なかけがえのない財産である。

コンプレックスだらけのきみへ。自分に自信を失っているきみへ。

いつかきっと、きみにも実りあるなにかがみつかるよ。
自分の力と夢と希望を失わないように!
3年間を何かのために打ち込むということはけっしてその向こうの人生において、むだではない、むだにならないと信じている。
なぜならわたしがいまこうしていられるのは3年間があったからだ。