明日世界が終わるとしても、わたしはリンゴの木を植える2008/10/01 21:52:34

きょう未明、大阪市浪速区難波3丁目の7階建て雑居ビル1階にある、個室ビデオ店で出火があり、店舗約220㎡中約40㎡が燃え、利用客の男性15人が亡くなるという大惨事が起きた。事件後、火元とみられる部屋に宿泊していた男性が放火をほのめかす供述をしたとして、逮捕された。
その後の報道では「生きるのが嫌になった」というのが放火の理由だと供述しているという。

……またか。生きるのが嫌になった、と。そういう理由で人をあやめる事件が今年になっていくつ起きたろう。

時間を巻き戻して、わたしが中学生から高校時代にかけてのことを思い出す。
ノストラダムスの予言が話題になり、予言を解説した本などが爆発的に売れたことがあった。――1999年7の月、人類滅亡――1999年前後、ノストラダムスの予言を集めた原典「諸世紀」の翻訳本が出版されたこともある。だが1999年7月、なにごともなく、いまに至っている。2012年に人類が滅亡するという予言があることも以前、ここに書いた。

そのノストラダムスの予言を解説したという本には、新約聖書のヨハネ黙示録、旧約聖書のエゼキエル書を引用して、人類滅亡が書かれている、とあった。
しかし、教会では、聖書は、人類滅亡などという話をしたことはない。いつ何年、どこで、人類が滅亡するという話は語らないし、聖書にも書いていない。

中学から高校にかけての多感な時期、これらそのノストラダムスの予言を解説したという本を読んで熱中した時期もあったし、いつ人類が滅亡すると信じた時もあった。未来に希望を感じられなくなりこの先生きていてもしょうがないんじゃないか、と本気で心配したり不安になったりしたこともあった。多感な時期だったからだろうといまは思う。
だが教会に導かれ洗礼を受け、信仰を抱いてからは、きれいさっぱり、つきものが落ちたかのように消えてしまった。

宗教書や予言書などというものからくる、脅迫まがいの、不安をあおりたてるものと、人生や生活上の個人が抱える不安。換言すれば社会的不安と個人的な不安は別のものだ、と思うかもしれない。しかし、不安や恐怖につけこんで人を脅迫し、あおりたてるようなものはどんなに正しいとしても、けっしてゆるされるものではない。

たしかに教会でも、この世の終わりについて触れることはある。しかし恐怖をあおったり、終末が近いから何かをしなさい、などという、脅迫まがいのことは語らない。本当に正しい聖書理解をもっている牧師や神父なら礼拝でもほかの集会でも、そんなことは語らない。
昔からこういう手合いはあった。そしてそのたびに予言が外れた。

ヨハネの黙示録にはたしかに、それらしきくだりはある。第4章に「ここに登れ、我この後おこるべき事を汝に示さん」とあり、5章から10章にかけてラッパの音が響き、巻物がひらかれ、強いみ使いが天から下ってきた、というくだりまである。
けれどもわたしたちは、少なくとも教会はこれらをもって、だから人類滅亡だ、などと受け取ったり語ったりはしない。

はっきり言っておくけれど、たしかにいまの地球や人類を含む生物の環境はけっして明るいとは言えない。けれど未来を希望を抱いていなくて、どうして生きていけるだろう。

1995年に訪れたアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所を生き延びた、ヴィクトル・フランクルは、生き延びた理由として希望を失わなかったからだ、と語っている。いつガス室に送られるか、あるいは暴力や飢餓、伝染病にかかって死ぬかわからない極限の状況下でも、絶対に生きるんだという希望を失わなかったからこそ生きて帰ってこられたのだと。

宗教改革者、マルチン・ルターの言葉として伝えられているものに、「明日世界が終わるとしても、わたしはリンゴの木を植える」というのがある。
たしかにいまの世は明るいとは言い難い。経済も社会も暗く重苦しい。
けれど、大きなことではなく、小さなことで。自分の人生をたしかな足跡を残すのだ、明日はもっといいことがある。
そう信じ続けよう。明日はリンゴの木を植えるのだと。
未来はけっして門を閉じることはない。

ごらんなさい。生きていられるからこそ、こんなにも美しい夕焼けを見ることができるのだ。

ベジタリアンカレー2008/10/02 23:35:38

今日は久しぶりの晴天。いやあいつ以来だろうとつぶやいたほどの青空。まだまだ冬物を出すには早いなあと思ってしまった。

数日前、銀座を歩いていてカレーレストランが目にとまった。ふむふむ、こんなところにもあるんだね、とのぞいてみたのだが……。

ここは自然派インド料理を専門にしているという。
自然派インド料理 NATARAJ 銀座店 (東京都中央区銀座6-9-4 銀座小坂ビル7F~9F TEL03-5537-1515 FAX03-5537-1516 URL http://www.nataraj.co.jp/)。

今回いただいたのは、大豆グルテンを使ったというカレー、ナタラジカレー(Nataraji Curry)。
はじめて口にしたとき、ふむふむ、なんてやわらかい肉なんだろう、どこの肉かな、と想像してみたのだが、スタッフに聞いてみると――肉ではないのだそうだ。植物性タンパク質は肉の2倍。肉の食感に似ているけれど、脂肪分はごくわずか。ノンコレステロールで、スパイスとの相性が抜群だという大豆グルテンを使ったのだと聞いて、目が点になった。

え? 肉ではないの? 辛さはそれほどきつくなく、女性にも十分口にしてもらえるだろうと思う。

インドは国民の多くがベジタリアンだという。
メニューには揚げナスとカリフラワーやインゲン、ニンジン、ポテトなどを使ったベジタブルカレー(Vegetable Curry)、レンズ豆とホウレンソウが入ったマイルドでコクのあるサイバジ(Sai Baji)などというものもあるそうだ。なるほどね。さらには玄米正食に対応したスペシャルセットもあるとか。う~ん、徹底しているなあ。

宗教や文化の違いも含めて、なるほど、こういうものなんだと認識を新たにさせられた、ベジタリアンカレーだった。

過ぎたるは及ばざるが如し2008/10/03 20:47:33

バナナとポタージュスープ
昨年あれだけ話題になり、はてはテレビ番組になって間もなく、データねつ造が発覚して消えてしまった「納豆ダイエット」。最近はバナナを朝食べるとやせられるというブームが起きているらしい。

少し太めだと意識しているわたしは、卓球のほかにも、歩いたり自転車をこいだりしているが、バナナを食べるようにもしている。写真は、朝食で食べるバナナと冷たいポタージュスープ。高血圧予防などに効果があるというカリウムが多く含まれているそうだし、熱量は100gで86㌔カロリーと、イチゴやミカンなどよりはある。だからか、けっこうお昼まで、これで十分なほどだ。

はっきり言っておくけれど、昨今のブームだというその話題に便乗したのではない。卓球の練習前にいつもバナナを食べているが、いつも聞かれて答えているようにダイエットのためではなく、メジャーリーグのスプリングトレーニングで選手らが合間にバナナをとっているのを見聞きして、激しい運動量のある卓球の前にバナナを食べると、栄養素を豊富に摂取することができるのではないか、と考えたからだ。

ブームというやつはほんとうに恐ろしい。
昨年の「納豆ダイエット」のときも店頭からきれいさっぱりみごとなまでに納豆がなくなったものだけれど、今回も例外ではなく、スーパーでは棚いっぱいのバナナが完売したとか、パック詰めでないと入荷しないとか、そのパック詰めでも本数を減らしてわずかではあるが値上げしているとかいった、異常な状況が起きている。

おもな産地である南米とフィリピンから、経済成長と食生活の多様化が進む中東と、日本のあいだでバナナ輸入をめぐって「争奪戦」が起きているともいわれている。さらには中国などもバナナ輸入市場として注目を集めているといわれ、ますますバナナ輸入が難しくなっているのだそうだ。

昔高校時代に教会の集会で、バナナの産地であるフィリピンや南米などの農業はどうなのだろう、バナナを輸入しているわたしたちだが、産地のことも考えるべきではないかと議論したことがある。実際、バナナを増産するとしても畑を作って収穫するまでに約10カ月かかるという。いくらバナナがほしいといっても、そのためだけに開墾、土地を破壊していいのだろうか。そんな疑問も感じる。

「過ぎたるは及ばざるが如し」。いくら話題になり健康にいいといっても、度を過ぎるのは問題ではないだろうか。
ブームだけのことではなく、広く世界経済や地球環境などのことも考えて、深く味わいたいと思う、バナナ好きである。

伝統のゴールドとブルージャージ2008/10/04 23:59:22

舞台から2週間、朗読のレッスン教室に。その舞台発表を休んだために4週間ぶりに、手話サークルに参加してきた。

久しぶりのサークルと朗読はとても楽しかった。朗読ではセリフ部分の表現と、地の文の表現に気をつけて、メリハリをつけるようにと言われた。なかなか難しいが、やりがいがある。

さて。その手話サークルの合間にとんでもないビッグニュースが入ってきた。
2009年に、OBとはいえ、アメリカのカレッジフットボール名門校のひとつ、ノートルダム大学ファイティング アイリッシュ(University of Notre Dame Fighting Irish)が単独チームをつくって来日し、「ノートルダム・ジャパン・ボウル2009(Nortre Dame Japan Bowl 2009)」として7月25日(土)、日本で試合をするという。日本アメリカンフットボール協会からもプレスリリースがこのほどあり、対戦相手は日本代表であると発表された。

カリフォルニア州にある南カリフォルニア大学(USC)、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)などと並んで日本のアメリカンフットボールファンにもなじみがあるノートルダム大学。
インディアナ州サウスベンドにあり、カトリックによって創設された。宗教学、哲学、ビジネス、政治学、会計、法律、工学、建築学は全米トップクラスの評価だそうだ。
全米でもトップクラス。フットボールチーム「ファイティング アイリッシュ」は1887年のチーム創立。プロフットボールNFLに何人もの選手をおくっている。知られているところではジョー・モンタナ(元サンフランシスコ、カンサスシティーQB)、ティム・ブラウン(元オークランドRB)ほか。1924年から88年まで11回、ナショナルチャンピオンに輝いている。NFLのスーパーボウルという、優勝を決める試合ではなく、メディアの投票によるとはいえ、名門校がいるなかで11回のナショナルチャンピオンに選ばれたのはやはり強豪校だからこそ。

そのノートルダム大学の、OBによるとはいえ単独チームが来日する。現役、つまり学生はNCAA規定で国際試合には参加できないという。
プレスリリースによれば、同校を長く率いた名コーチであるルー・ホルツ氏がヘッドコーチを担当。ファイティング アイリッシュの卒業生に参加を呼びかけるとともに、来年春にトライアウトを行うという。名だたる選手も数多い、卒業生の中から選抜してチームをつくるというのだから、並々ならぬ本気度がうかがえようというものだ。
まだ次回の開催地が決まっていないが、昨年の日本で開かれた第3回アメリカンフットボールワールドカップ大会で、日本はアメリカ相手に惜しくも決勝戦で敗れた。有名大学出やプロレベルの卓越した選手ばかりではない、並みのレベルのアメリカ代表相手に敗れたのだから、もし本気でアメリカに勝ちたいと思うなら、それ相当の高いレベル相手でないと、と思う。一方でそんなとんでもないレベル相手に勝てるのか、試合になるのかという不安がないでもない。

ちなみに日本のチームはNCAA1部A校単独チームと対戦経験がある。
1977年12月17日、24日に、東西の全日本が、ブリガムヤング大学(BYU)と対戦。17日の東日本対BYUは13対61と善戦。24日の西日本対BYUは0対71で完敗した。『堂々たる前進 日本アメリカンフットボール60年史』によれば、「両試合共に得点差以上の実力差は歴然で、日米交流のあり方の再点検を示唆する交流となった」と書いている。以後、アメリカの単独大学チームが来日して日本チームと対戦するのは1989年1月8日のウイリアム&メアリー大学対日本学生選抜戦まで途絶えるのであった。

ともかくである。
OBとはいえ、日本のファンにとってもプレーヤーにとってもあこがれである、ブルー&ゴールドのチームが日本代表相手にどんな試合を見せるのか。おそらく2~3年以内には開かれるであろう第4回アメリカンフットボールワールドカップで優勝するためにも、なにがなんでも勝たなければならないと思うのである。勝つことが至上命題であるとさえいえる。
来年、2009年のシーズンが今からとても楽しみになってきた。
ノートルダム大学ファイティング アイリッシュのウェブサイトは、http://und.cstv.com/sports/m-footbl/nd-m-footbl-body.html
日本アメリカンフットボール協会のウェブサイト、「ノートルダム・ジャパン・ボウル2009(Nortre Dame Japan Bowl 2009)」のプレスリリースは、http://www.americanfootball.jp/indexj.html

疲れたらしい2008/10/05 23:59:03

博多ラーメン
礼拝を終えてそのまま都内を回る一日。行きつけの喫茶店から、コンタクトを使っているため、検眼を。その後食事を済ませてようやく帰宅。

普通の会話ではなく、手話で人とおしゃべりできたひとときが、何よりも楽しい。
けれど疲れた。
週の始まりにしてはちょっとなあ、とぼやいてしまうのだった。

雰囲気は味わいたいし大切にしたい2008/10/06 21:55:44

昨日の疲れは、日付が変わる直前にいったん目が覚めた後でまた眠りについたけれど、ゆっくり休めるというには遠かった。
なによりも肩こりがひどくて、もう慢性そのもの、である。肩こりから、ときどき歩いていて急に止まると腰に痛みがくる、なんて笑えないありさま。

同世代と出る話題は、政治世相のことに次いで、健康が出るようになった。いわく、からだが痛いだの、手術しただの、病気だの、というように。

だんだんそういう年齢にさしかかってきたんだなあと、若いころむちゃをしたことをふりかえって苦笑する。

とはいえ、実はわたしはたばこもお酒もまったくダメ。アレルギーが出るらしく、大学時代に調子に乗ってビールをのんで全身にアレルギーが出たこともある。そんな具合だから、お酒がのめる人を、心底からうらやましいなあと思うこともある。口の悪い友人が言うには、「あなたはお酒もダメ、たばこもダメ、そんな人間で何がおもしろいの」と笑う。
ふん、ダメなものはダメなんだってば。いいんだよ無理をしてまでやりたいとは思わないから。朗読をやっているから、自分の声は大切にしたい。

いちばんこわいのは、無理をして周りに合わせようとすること。ここでいう無理とは、できないことをできるようにしようとすることだ。
のめないわたしだけれど、そういうのめる雰囲気は味わいたいし、わいわいやりながらおしゃべりをして過ごすひとときは大切にしたい。

どんなに歳月がたとうとも決して色あせることはない2008/10/07 22:05:06

1987年といえば、まだ東西ドイツを分かつベルリンの壁があり、世界は冷戦のさなかにあったときだ。
その年に公開された映画「愛は静けさの中に」。
20年以上が過ぎて、まさか原作とオリジナルサウンドトラックのCDを買うとは夢にも思っていなかった。

たしかに古さはあるけれど、音楽はとてもいい。じっくり落ち着いた感じで聞かせてくれる、美しい曲ばかりだ。ジャケットのマーリー・マトリンとウィリアム・ハートはいま見ても、とても美しい。

聞こえないひとと聞こえるひとのあいだに愛は成り立たないのだろうか? 
古くて新しい問いであり、どんなに歳月がたとうとも、決して色あせることはない。

いまだけがすべてではない2008/10/08 23:51:25

人生は何が起こるかわからない。思いがけないところで予想もしなかったことがきっかけで変わるかもしれないということ。

ノーベル賞物理学賞に、3人の日本人学者が同時に選ばれたというニュースは驚きだったけれど、さらに驚かされたのは、受賞のきっかけだったという論文はいずれも30年以上前に発表されたものだということだった。なにも最先端だけが対象ではないということだろうか。

と書いてまで、思うことがある。

いまの若い人は……。たとえば恋愛。
男性に多いそうだけれど、「お金がかかる」「人間関係がややこしい」「もめたくない」などといって恋愛について積極的ではないそうだ。
わからないではないけれど、だからといって若いうちの貴重なある時期を、自分の世界あるいは自分と相性のいい関係、いいかえれば居心地の良い関係だけにとどめて、自分を成長させる機会をみすみす手放していいのだろうか?
また仕事でも、合わないからといって短期間で見切りをつけるのはどうだろう。与えられた、任された、命じられたということは、それをこなす力あるいは果たす能力があるから見込まれたわけで、自分に合う合わないはまずやってみてからでも遅くない。

科学の分野は門外漢のわたしだけれど、認められるに時間がかかったり認められなかったりすることが多いのは理解できる。逆に独創的であればあるほど、理解されるのに時間がかかるのかもしれない。これは科学だけではなく人生にも言えることなのだろう。30年たって賞をもらえることもあれば、生きていって自分にふさわしい生涯のパートナーとめぐりあえることもあるかもしれない。

あきらめるのは早すぎる。
どんな苦労や苦しみにも、意味がある。
乗り越えられない苦難は、神さまはけっしてお与えにならない。
そういまだから確信できる。

人生は何が起きるかわからない。だから困難もたしかに多いけれど、壁や困難を乗り越えたときの喜びを小さい時から積んでいけば、人生はなにものにも代えがたい貴重なものになるということを実感できるようになる。

若い人たちよ。見切りをつけるのはまだ早すぎる。

負けない!2008/10/09 23:08:20

2週間前に一泊して検査を受けた、過眠症の精密検査の結果が今日、出た。
結論から先にいうと、特発性過眠症だということだった。

いろいろ調べてみると――
夜間の睡眠時間は正常で日中に10分程度の断続的な睡眠を繰り返すという症状。わたしはこれにあてはまる。
さらには、日中の強い眠気が3カ月以上続いている・周りは寝ていないのに自分だけ眠い・緊張を強いられる場面でも眠い……というのが症状だそうだ。これもあてはまる。
 
というわけで、活動時間、つまり朝9時から12時間、眠気を抑える薬「モダフィニル」を2週間分処方していただき、2週間後にあらためて診察を受けることになるらしい。慢性疾患だということで、生涯続く可能性があるけれど、治療を受ければ治るかもしれない。

病院に行く前の勤務中から、いろいろなことを考えてみた。
いのちにかかわる病気ではないけれど、こういう病気をもったこともなにかしら意味があるのではないだろうか。
人生で大事にしたいのは神さま、次いでわたしとつきあってくれたり話をしてくれたりする、会社や難聴者、卓球、朗読などの仲間。教会。最後に自分自身。自分のことは一番最後でいい。

神さまのために、仲間やいろいろな人のために。たいしたことはないけれど、こんな病気になんか負けないで、次の舞台や仕事に向けて、いのちをかけて自分のすべてをかけて生きたい。

体育の日とホームラン2008/10/10 23:06:06

この日はわたしの子どものころは「体育の日」だった。今年プロ野球界からの引退を発表された王貞治さんが、現役選手時代の1976年10月10日の阪神戦で、ベーブ・ルースのもつ本塁打最多記録714号に並んだことを覚えている。たしか小学校の教室でテレビの前にくぎづけになっていたと記憶している。
そんな記憶があるからだろうか、どうしても体育の日というと10月10日とつい口にしてしまう。

年をとったなあ(苦笑)。