何を信じて食べればいいのだろう2008/09/11 22:52:52

昼食に選んだのは今日もカレー。ダイエットしたいのだけれど、といいつつ、ついつい手が伸びてしまう。よっぽど好きなんだねと、人からからかわれたけれど、やっぱり好きだからしょうがない。

写真を見ておや、と思った人がいるかもしれない。ルーがグリーン色なのだ。玄米とジャガイモをのせてあるのは前回と同じ。
お店の人に聞くと、ナスと鶏肉のグリーンカレーだという。

教会の礼拝後に、近くの深夜まで営業しているスーパーマーケットに、弁当を買いに行くことがある。売られているのは切り身の魚だったり、パック詰めになっている肉だったり。はじめはどれもが生きた、わたしたちと同じ生き物だったということを忘れてしまいやすい。いや、おそらく忘れているのかもしれない。
若いお母さんたちは、魚の目を見るのがこわいというらしい。なぜって、目が閉じていないから、気持ち悪いのだと。でもそんなのあたりまえではないか。水族館にいけばいくらでも魚をみることができる。速く泳いでいるマグロ。悠然と泳いでいる魚。わたしたちは食卓にあげて食べているではないか。

今日の鶏肉にしても、生きていた生き物である。
わたしたちは、その生きていた生き物をいただいて生きることを許されている。

きょうの朝刊に、食料自給率を上げるという記事があった。
いまも伝えられている食料の偽装事件。先日読んだ写真週刊誌によれば、居酒屋では賞味期限切れ間近の在庫や余ってしまった食材を使い切るためのメニューがある、などと書いてある。

多くの生き物の犠牲の上に成り立っているわたしたちの生活が、安全性をないがしろにしているとしたら。考えさせられることばかり起きている。
何を信じて食べればいいのだろう。