人生は不思議なもの2008/09/04 22:57:19

小学校の低学年のころに2年ほど、ピアノを習っていたことがある。
いま思い出すとバイエルなどの基礎が中心だった。何がいやって、ピアノを弾く時の手の位置。パソコンのキーボードを打つときに手首や手のひらをパソコンに着けて打つでしょう。それがあたりまえだけれど、ピアノは、ぜったいに手首を鍵盤に着けてはいけない。まして指先をべったり伸ばすなんてもってのほか。厳しい先生から、ちょっとでも手の位置が悪かったり正しいフォームでなかったりすると、厳しくたたかれたものだ。

月日はたって、ン何十年。
まさか手話でも手の位置を言われるとは思ってもいなかった。
今回の朗読では手話を交えるのだけれど、あいまいだったり手が動きすぎると、手話が読み取れないと言われたのである。
たたかれることはないけれど(この年でたたかれるようでは、終わりだね 笑)。でも、ご指導してくださる内容も意味も、まったくそのとおりで正しいと思っている。
たとえば一人ぼっちという表現のとき。
わたしは右利きなので左手で人を表わす、親指を上にしたり人さし指を上にしたり(これが人を意味する)右手で指を開かずに4本の指で左手の人を表わす指の周囲を回す。
けれど左手の指が動いては、読み取れない。
こういったことはわたしのくせなのだ。

子どものころに指や手の動きを教えられて、いまもなお違った形で手の動かし方を教わる。
けれどまったくいやであるとか苦痛だとかは全然思っていない。
今回の舞台の練習をしているとき、かえってやりがいを感じるのだ。

人生は不思議なものだね。長い年月をはさんで教わる。
もう一度やれるなら、聞こえない耳だけれど、ピアノを学びたいなと、白と黒の鍵盤を見るたびに思うのだ。