「わたしたちの国籍は天にある」2014/05/05 23:30:39

妻とまだ知り合ってまもないころ、しかもメールだけのやりとりだった8月。妻の母教会の教会学校のサマーキャンプ中、川で流されかけた子どもたちを救おうとして、大人の男女2名が流されて亡くなるという悲しい出来事があった。妻はかなりショックを受けていた大きな出来事だった。
それから2年。
今日、妻の母教会の女性とともに敦賀市にある墓苑の母教会の共同墓へ、亡くなった2名をしのぶために行ってきた。いくぶん心の整理ができていたからか妻は泣かなかったけれど、こころの中にはまだ悲しみがある。

先日のアイルトン・セナもそうだ。
彼は常人とは思えないたぐいまれなドライビングテクニックと才能を持っていた一方、キリスト者としての信仰もまた篤かった。
雨のなか訪れた、敦賀の共同墓苑にはほかにもカトリックやプロテスタント教会の共同墓もあった。
「神は愛」「わたしはいのちである」などと聖書の言葉が墓碑に刻まれていた。
なかに「わたしたちの国籍は天にある」というのもあった。

そう、いつかはわたしも妻も天に帰る。
もしかしたらアイルトンとも会えるかもしれないし、亡くなった妻の母教会の方とも会えるだろう。
墓を訪れるというのは、死を思い考え、自分自身の生を思い死を考えること。それは人生で大事なことなのだ。