世界人口70億人時代2011/10/31 23:29:41

今日の新聞夕刊に、今日10月31日で全世界、この地球という星に住んでいる人間の数が70億人に達したという記事があった。
ここでも取り上げたので記事の詳細は省くが、いろいろなことを思い考えさせられる。

70億という想像もつかないこの数。はたしてこの星にある限られた資源で、食料などをまかなえるのか。生命を維持するための医療、教育などが平等に分配されるのかいやそれ以前に手に入れることができるのか。

土曜日のサークルの旅行のときにある新聞の一面下、専門用語でいうなら「サンヤツ」と呼ばれる広告にある出版社から出ている本として、「難聴」聞こえがクリアになる、CDブックというのがあった。広告によれば脳幹を刺激する聴覚トレーニングなのだそうだ。英語のリスニングで、耳に聞いて覚えるというCDを知っているけれど。聴こえない人間には意味がないような気もする。隣の席に座っていた手話を教えてくださる、手話通訳士先生と、この広告を見ながら「はたしてこれ、効果あるんですかね」「これを聞いてよくなったという人を知らない」などと話をした。

もちろんビジネスだから、こういうものがあることを一概に否定はしない。CDブックにすがりたい、耳が聞こえるようになりたいとわらをもつかむ思いでいる人がいるのなら、こういうものもあっていい。現にわたしは子どものころ、親にすすめられてある新興宗教に、お金を払っておはらいをうけさせられた。親にしてみればそういうよくわからないものにすがりたい気持ちはあたりまえだろう。結局奇跡もなにも起こらず「ムダだったねぇ」と笑って話したけれど。

昔、同じように新聞広告に出ていた「これで聞こえがよくなる!」とうたった補聴器(みたいな)ものをすすめられたことがある。ありがたいと受け取りつつ、でも――もう何度もそういうのは試してきたし、いまつけている補聴器がベストだとプロの目からも判断して使っているのだ。
ありがたいけれど、かえってそういう効果が疑わしいものは手を出さないほうがいいのだ。補聴器だって専門家と共同で何度も試して購入した。逆に言えば、わたしの耳の聴こえをまったくしらない素人が善意ですすめてくれても、それがもしわたしの耳に合っていなかったらどうするの。

70億人のなかにはいまもなお、病気になっても満足に治療が受けられない、学校教育を十分に受けられない、食料が得られないなどと、わたしたちこの国に住んでいる人から見たら信じられないような状況下にある人がたくさんいる、ということだ。
幸いかどうかわたしはいま、こうして電気も食料も水も手に入れられる国に住んでいるが、そうではない人のほうがはるかに多い。

70億人時代になって、一見なんでも手に入るような気さえするいま。はたして生きるとは、障がいがあるとは、病気になるとはどういうことなのか、問われているように思えてならない。
こう書くと、物が手に入らない地域や国の人たちの生存権や生きる意味を否定していると誤解されかねない。彼らがどうなっても関係ない、富める国や地域にとってじゃまだというのではない。
そうではなく、障がいがあっても病気があっても、一度しかない人生を生きてよかったといえるか。

とかく人は善意のつもりでもどこかで見下してしまうのだろう。富める国からの援助も、わたしに補聴器のようなものをすすめるにしても。
気持ちはありがたくいただくが、できればわたしに限ってはそういうことはしないでいただきたい。
70億人の人間が住むこの星。
富める国に住むひとりとして、いまの状況に矛盾を覚えつつ、できるかぎり他者のためになにができるか。わたしにとっても物が手に入らない地域や国の人たちにとっても「障がいがあっても病気があっても、一度しかない人生を生きてよかった」と感じられるように。