いろんな話ができた2011/10/23 22:40:55

夕焼けがきれいだ
教会の礼拝後、時間を気にしながら足を都内へ運んだ。
都内でろう者・中途難聴者のある交流パーティーがあった。今年3月の震災前に会の存在を知り、忙しい合間を縫ってようやく今日参加できたのだ。

参加者の年齢はさまざま。若年層から高年齢者まで幅広い。最高齢は60代だ。
自己紹介でわたしは声と手話で趣味や将来の思いなどを語った。そのあと、ある参加者から「あなたが聴こえない聴覚障がい者だとは思えない。発音も発声もきれいなのになぜ?」と聞かれたのだ。初対面の聴者からこういう質問をされるのはもう慣れっこだが、ろう学校を卒業された同障者からこういう問いをされたのは初めてだ。
だが、あいまいにするつもりはなく、自分がろう者と中途難聴者のあいだにいる者、いわばどっちつかずの微妙な立場であることを説明した。
日本手話を学び、できるだけろう者に近い立ち位置であることも説明して、それなりにわかってもらえたと思う。
これは聴者にはなかなか分かってもらえないことだ。やはり聴こえない者同士だからこそ、説明をして「なるほど」と納得してもらえる。同じ仲間がいるということほど、こころ強いことはない。ほかにもスーツにつけた難聴者協会のバッジについてやコミュニケーション方法などについてきかれた。ろう者は難聴者協会のバッジを知らない。逆に言うと、ろう者はろう学校など地域での結びつきが強いために主張する力、発言力も強く大きい。一方で中途難聴者は聴こえの程度も障がいの態様もばらばら、しかも自分が聴こえないことを伝えにくい立場でもあるため、難聴者協会のバッジを示して自分が難聴者であることを明らかにする。聴こえの程度に個人差があることはときとして社会のなかで発言力が弱いこともあるのだ。

こういうパーティーや手話サークル以外ではなかなか手話で語る機会がない。もちろん手話でやる試みをしているが、筆談で返ってくるから正直、肩すかしというか不完全燃焼のような感じを受ける。

でも今日、こういう機会があって、ほんとうによかった。参加してよかったと思う。

今日、日本時間(19:41:23)、トルコで7.3の強い地震があった。
現地からの報道では死者もいるらしい。
最近日本は地震が減っているように感じるが、いつどこで起きるかはわからない。
備えておかなくては。