音楽の力2008/12/19 23:22:58

仕事を終えて、朗読仲間が合唱団メンバーとして参加している、第9のコンサートを聴きに行ってきた。
2008年12月19日(金) 「第九と皇帝」
18:50 開演(18:00開場) 有楽町・東京国際フォーラム・ホールA
指揮: 熊谷 弘    合唱:東京混声合唱団 / 第九を歌う会

聴こえないわたしには合唱というだけでトラウマとあこがれがごっちゃになってしまう。
小学校から中学校にかけて体育、数学と並んでいやだったのが音楽、とりわけ合唱だった。
音程が合わないから、これみよがしにというか、さもいたぶってやろうとばかりに、わたしの口元に耳をよせる、いじめっ子ども。いまでも彼らを好きにはなれないし、一生会いたいとも思わない。

それなのに、多くの仲間と一緒に何かを作り上げていくという産みの苦しみと共同作業である朗読の世界にはいって、小学校から中学校のころには得られなかった喜びをおぼえる。
手話ソングダンスもいつかまた、仲間と一緒に何かを作り上げていく喜びを感じたいものだ。

さて、「第9」。
合唱部分も含む第4楽章は当然として、その前の第3楽章最終楽章部分。静かなファンファーレのような、穏やかなメロディーラインがこころにしみる。
ベートーベンの難聴ゆえの、苦しみ悲しみ、そしてそれらをすべて受け入れ達観したかのような、穏やかな余韻とでも言ったらいいのか。
一転して第4楽章にはいって怒涛のような、これから喜びに向かって駆けあがっていくような疾走するようなメロディーライン。そして「おお、友よ! このような調べではない! もっとここちよく、もっと喜びに満ちた調べを!」と始まるバリトンの独唱へ。

音楽の力は、いや芸術の力は、ひとのこころを強く動かしてくれる。

コメント

_ マクロス ― 2008/12/20 21:48:43

主をほめたたえます。

お久しぶりです。
実は私は筋金入りの音痴でして、お気持ち痛いほど分かります。
教会に行くようになってから、賛美を歌うときに同じように(口元に耳を寄せる)されたこともあり、大変悩みました。
自分のささげる賛美は、傷のある欠陥品で、神様に受け入れられないのではないかと。
しばらく口パクが続きました。
今でも迷惑かけないように口ごもっています。

_ スマイル ― 2008/12/20 23:51:28

マクロスさん

お久しぶりです。
コメントを下さり、ありがとうございました。

キリスト教会というと聖歌隊だとかクラシックが好きだとかいったイメージでひとくくりにされがちではないでしょうか。
たしかにそういう部分もあります。バッハだとか讃美歌作者に著名な作曲家が何人もいますし。「第9」だって旧賛美歌では歌詞こそ違え歌われていました。

音痴の信徒や教職。いますよわたしの教会にも、音を外している方がいらっしゃいますし、牧師の中にも「歌はダメだけれど楽器でならなんとかできる」と、アコーディオンだとかフルートだとか演奏できる方もいらっしゃいます。

それでいいのではないですか。
口パクでも、こころの奥底から思いっきり賛美しましょう。神さまはマクロスさんのこころを喜んでおられると思います。
わたし? 手話で賛美したいですよ。

スマイル

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