市民が涙を流さなければならないのか2008/12/09 22:30:42

雨が降る肌寒い夜。

今日一番わたしのこころを深く苦しめたのは、カリフォルニア州サンディエゴ市内の住宅街に、米軍の戦闘機F/A-18<ホーネット>が墜落し、破壊され炎上した家屋2棟のうち、1棟の内部にいた3人が死亡した、というニュースだ。

第一報を聞いた瞬間わたしの脳裏をかすめたのは、1977年9月27日、米海兵隊所属のF-4B<ファントム>戦闘機がエンジン火災を起こし、神奈川県横浜市緑区(現青葉区)の宅地造成地に墜落、幼子2人が事故翌日に死亡、母親も事故から4年4カ月後に亡くなったという事故だ。

1977年の事故も、今回の事故も、パイロットは墜落する前に脱出したという。
そのあとも沖縄で米軍ヘリコプターが墜落するなど、軍用機の事故は絶えない。

今回はアメリカ国内の事故だけれど、いつの世も軍隊によって市民が涙を流さなければならない。
広島も長崎もドレスデンも。バグダッドもそうだ。

米軍だけが悪いというのではない。ほかの国の軍隊はきれいだ正しいのだとは絶対に言えない。
軍隊は市民を守ると言いながら、見殺しにしているのではないだろうか、ということだ。

何ともやりきれない悲しい思いを感じた、今日一日である。