希望は恥を来たらせず2008/12/31 22:49:38

例によってというか、大みそかの今夜、これを書きながらベートーベンの「第9」合唱部だけを集めたCDを聴いている。1番目のフルバージョン。ヘルベルト・ブロムシュタット指揮、シュターツカベレ・ドレスデン演奏、ヘレーナ・ドゥーゼ(ソプラノ)マルガ・シュイムル(アルト)ベーター・シュライヤー(テノール)テオ・アダム(バリトン)。ライブツィヒ放送合唱団・ドレスデン国立歌劇場合唱団だという。へえ。ドレスデンか……。もう一枚、1966年録音だというNHK交響楽団の「第9」も注文してきた。

さてほんとうに今年も残り少なくなってきた。
仕事の後に少し足を延ばしてめったに行くことのない、東京タワーへ、展望台の夜景を楽しもうと思ったのだけれど、とても楽しむどころではない。観光客や年の瀬のタワーを見ようという人たちなどで混雑するわ、窓のすき間からようやく明かりの灯るビル街を見ることができた、という程度。

写真に何を使おうかと迷ったのだけれど、秋の手話サークル旅行の2日目早朝に撮影したなかから選んだ。イルミネーションや東京タワーよりも、希望を感じる絵を使いたかったからだ。

いろんなことがありすぎて、とても一口で言い表せない一年だった。
2009年もどんなことが起きるのか、国際国内、個人的にも予測できないだけではなく、とても恐怖を感じる。
1995年、第2次世界大戦終了から50年目の年にポーランドのクラクフとオシフィエンチム(ドイツ名アウシュビッツ)の2つの強制収容所跡を訪れたことを思い出す。
いつ殺されるかガス室へ送られるかわからない恐怖。それはほんとうに筆舌に尽くしがたいものだったろう。だが「夜と霧」を書いたヴィクトル・フランクルは、希望を失わない者だけが生き延びることができた、と書いている。

タイトルに挙げたのは新約聖書ロマ書5章5節。新共同訳では「希望はわたしたちを欺くことがありません」とある。
昔の人は欺く、欺かればかにされることを不名誉と感じていた。そこから「恥」という言葉を使い、現代日本語では不名誉というよりさらにすすんで欺くという言い方をしている。
つまり信仰を抱いて生きていくなかでの希望は人からあざけられようが笑われようが、恥でも不名誉でもないのだ、ということだろうか。

2009年、いろいろやりたいことがあり、こう生きたい、生きていきたいという夢やビジョンがある。
たどりつけるかわからないけれど、必ずたどりつけるのだと確信して。
明日からの新しい一年を、ゆっくり力強く歩きだしたい。

「第9」合唱部。最終部の合唱が続いている。
幾百万の人々よ! 互いに抱き合おう!
兄弟たちよ! 星空のかなたには 愛する父が必ず住みたもう!
星空のかなたに主を求めよ! 星のかなたに主は必ず住みたもう!