汝らの求を神に告げよ ― 2008/11/16 22:53:25
礼拝後に、教会の「青年の会」に出席してきた。
かれこれもう青年会とは20年以上のかかわりがある。というか、わたし自身が青年のころからのかかわりだった。
ところが正直言ってつらい。
年齢から言ってももう「青年」なんて恥ずかしくて口にできない上に、気力が続かない。若い時ならいいけれど。
というわけで、昨日今日と、教会の方に「今年度いっぱいで『青年会』から降りたい」とお伝えした。
ある姉妹は「教会にとって残念ですね」と言い、別の姉妹は渋面をつくり「年齢は関係ないよ」とおっしゃってくださった。
お二人のご意見はもっともだけれど、現実としてあるべき姿ではないのだから、いまの状態はおかしいと思う。
礼拝で、いったん自宅に戻ってから行きつけの喫茶店に久しぶりに(!)おじゃましてコーヒーを飲みながら、神に祈った。
これからのわたしの人生を導いてください、と。
汝ら常に主にありて喜べ、我また言ふ、なんぢら喜べ。凡ての人に汝らの寛容を知らしめよ。主は近し。何事をも思ひ煩ふな、ただ事ごとに祈りをなし、願をなし、感謝して汝らの求を神に告げよ。
(文語体 新約聖書 ピリピ書 4:1~7)
かれこれもう青年会とは20年以上のかかわりがある。というか、わたし自身が青年のころからのかかわりだった。
ところが正直言ってつらい。
年齢から言ってももう「青年」なんて恥ずかしくて口にできない上に、気力が続かない。若い時ならいいけれど。
というわけで、昨日今日と、教会の方に「今年度いっぱいで『青年会』から降りたい」とお伝えした。
ある姉妹は「教会にとって残念ですね」と言い、別の姉妹は渋面をつくり「年齢は関係ないよ」とおっしゃってくださった。
お二人のご意見はもっともだけれど、現実としてあるべき姿ではないのだから、いまの状態はおかしいと思う。
礼拝で、いったん自宅に戻ってから行きつけの喫茶店に久しぶりに(!)おじゃましてコーヒーを飲みながら、神に祈った。
これからのわたしの人生を導いてください、と。
汝ら常に主にありて喜べ、我また言ふ、なんぢら喜べ。凡ての人に汝らの寛容を知らしめよ。主は近し。何事をも思ひ煩ふな、ただ事ごとに祈りをなし、願をなし、感謝して汝らの求を神に告げよ。
(文語体 新約聖書 ピリピ書 4:1~7)
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