愛するものを亡くした悲しみは2008/11/23 19:32:58

今日、残っていた一羽のペテロも天に召されていった。

けさまでは食べていたし、ケージにつかまっていたのだけれど、夕方に帰ってみたら、冷たくなっていた。

写真は、パソコンのキーボードに乗っていた、ペテロ。つい8日前の写真である。

たしかに毛をふくらませたり羽をふるわせたりしていたのを覚えているし、なんとなく動きも俊敏ではなかったと思う。それでも朝は食べていたし問題ないように思えたのだが。

ケージを整理してきれいにして、外に出して干しておく。
明日早朝に、ペット病院を介して葬祭業者に遺体を送る。ペテロもまたパウロのときと同じように、羽を何枚か抜いてラミネートのしおりにしたい。青と黒のきれいな羽は一生忘れることはないだろう。

ついこのあいだの厚生省事務次官を殺害したという事件.。
報道されている限りでは、逮捕された人物は「昔、保健所にペットを殺されたから」というのが犯行の動機だと語っているそうだ。犯行理由を書いた手紙を報道機関に送ったとも。厚生労働省がペットを担当することも扱うこともない。なのに、なぜだ? いったいどういうことだ? ペットを殺されたことと厚生労働省の役人とがどういう関係にあるのだ? 年金問題ではなく、たんなる私怨なのか? 

インコを天に送った深い悲しみと、やりきれない事件のふたつで、わたしはいま、とても混乱している。

愛するものを亡くしたという悲しみは、人間であれペットであれ変わりはない。
同時に身勝手な理不尽な理由で家族を殺された悲しみは、どんなに時間がたっても癒されることはない。