客観的と主観的の両面で2008/07/19 20:18:49

朗読の練習日。暑いねえ。バナナを食べて、終わってから小さいロールパンを口にする。こんな感じがちょうどいい。

今回のテキストは難聴者が書いた文を同じ難聴者であるわたしが声の朗読と手話表現の両方で語る。
今日読んだところは、セリフ会話の部分がでてきたので、ややオーバー気味に演技を入れてみた。ところが講師はだめとはおっしゃらなかったが、よくないという。
問題の個所は、呼んでいるのに無視して、なんだこいつは? という場面。次に呼ばれても聞こえないからわからない! と叫ぶ。最後に「多くの人は補聴器をつければ聞こえる(のではないか)と思う」。
ここで、聞こえる人が「なんだこいつは?」と思うのは、怒りというより疑問であるのだと。聞こえる人はそんなに怒っているわけではないのだ。
最後のセリフも、「のではないか? と思う」くらいの、いくぶん疑問を込めた読み方をすべきだというのである。

なるほど。
なかには頭から湯気が出るほどに怒る人もいるかもしれないが、ごく普通のひとは障碍者に対してそんなにあからさまに感情をぶつけているわけではないのだと。
逆にわたしたちは、理解されない理解してもらえないというジレンマの中にいて、緊張感の中で生きている。ある意味絶えずビクビクしているともいえる。

このギャップジレンマを、どう演じたらいいのか。
講師と話していて、今回のテーマである難聴者が書いた文を当事者でもある同じ難聴者が語るということに気をつけたいというのだ。一歩引いて客観的に読みつつ、当事者としての共感性を込めて語る。
これはすごく難しい。ついつい当事者としての意識が頭によぎるから。

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