早いもんだわ2008/06/01 22:12:51

今日から6月。2008年の折り返しにはまだ日があるけれど、ついこのあいだ「寒い、寒い」と冬スーツを着ていたのがウソのような。

子どもと大人とではからだで感じる時間の流れが違うと聞いたことがある。それだけ子どもは生活の中でいろいろな体験をしたり学習をしたりし、大人はそれまでの人生で蓄積した体験や経験をもとに判断したり行動したりする。言い換えれば「これから」の子どもや若者と、「終着駅に向かって」歩く大人との違いだろう。

暑かったけれどいろいろ予定を立ててほぼ達成することができた。
残念だったのは、教会の礼拝だけ。説教はまあなんとか隣で書いてくださった方のおかげで理解できたけれど、司会者がマイクを動かすわ、しかも牧師の立ち位置からかなり離れた所にマイクを置くもんだから聞こえないっていうの<`ヘ´>。なんでマイクをわざわざ動かすのか、と理解に苦しむ。

そんな不愉快な出来事はさっさと忘れて、今日から始まる新しい一週間を、また全力を尽くそう!

前を向いて2008/06/02 22:41:53

梅雨入りになったとみられる、というニュースに、毎年だけれどまた雨かとうんざりする。けれど梅雨が明けなければ暑い夏がやってこないからね。

今日は仕事もそれなりに順調。からだもこころも、前を向いていられた一日だった。

写真のような青空の日が必ず来ると信じているから、梅雨空のすっきりしない天気も、そのためのステップだと思える。

楽しかった会話2008/06/03 22:43:07

仕事からの帰り際、職場の同僚に片手のこぶしを反対側の手首にあてる「おつかれさま」というあいさつの手話をしたら、その表現についてきかれた。
で、少しだけこの手話の由来意味の説明を交えながら、手話と表現を教えてあげた。

あげた、といっても高所から見下ろしたつもりは全くない。そうではなく、ごくささいな小さなことだけれど、手話がきっかけで少し話ができたことが、とてもうれしい。

態度が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。
運命が変われば人生が変わる。

以前に書いた言葉だけれど、その通りだなと実感する。
けれど、変わった変わったと自己宣伝をする必要はない。やたらめったら宣伝する人がいるようだけれど、見苦しいばかりで、かえってうざったいというかうそのようにみえる。

自然とどこかでみているだろう。

自分のこころしかコントロールできない2008/06/04 23:52:31

しかし、負けたとはいえこれまでの大会よりも、すとんとこころに納得できた、先日の第9回東京都障害者スポーツ大会・個人競技の卓球。

試合前にも思ったことだけれど、自分のこころしかどうすることもできないんだよね。対戦相手のことを考えたりどうこうしようなどということはできない。
だから自分がこれまでにやってきたことをそのまま全力で出し切るしかほかにない。あとは冷静かつ沈着に状況をみつめるしかない。

そう思ったら余計なことを考えることがなくなり、からだからいい意味で力が抜けた、自然体でいられた。だから第2セット、あと一歩まで追いついたのかもしれない。

これはそのままこれからの歩みにも言えるのだろう。
自分が歩きたい、こうありたいと思う目標に向かって歩いていくしかない。
神さまはわたしに聞こえない耳と普通に話せる口と手話を与えてくださった。この土の器であるわたしが、聞こえない耳と普通に話せる口と手話を与えてくださったことで変えられ成熟できますように。

大丈夫 ダイジョウブ2008/06/05 23:35:19

卓球の練習日。
今日も少ないメンバーだったけれど、仕事が遅くまであって遅れて練習に出たにもかかわらず、マイボールを使って練習に付き合ってくださったメンバーに、ささやかなお礼を差し上げた。

今日の練習ではからだの姿勢に気をつけてみた。
スマッシュ、決定打を打ちたいときに上体がぶれてしまったりラケットを力任せに振り回したりするのがわたしのくせ。
どんなに体勢が崩れてもハードな打球がかえってきても、絶対にまっすぐに上体を起こすこと。上から下へ振り下ろすのではなく、下から上へ、からだをひねって、ラケットを後ろへ引いてパワーとスピードを伝えること。
おかげでスマッシュが何回も決まったし、ハードな打球のラリーが続いた。

仕事はちょっときつかったね。
けれどどんなにきつくても、負けないぞと。
自分が変えられる、変われるように、変えられ成熟できますように。
大丈夫、ダイジョウブと言い聞かせながら乗り越えられたのだった。

できるところからやっていこう2008/06/06 23:46:48

6月6日というとわたしは1944年のこの日を挙げる。
「間違いなく、ラング、上陸作戦の最初の24時間がすべてを決するだろう……。ドイツの運命はその結果いかんによって決まる……連合軍にとっても、われわれにとっても、この日こそはもっとも長い一日となるだろう。」ドイツ軍の司令官、ロンメルが副官に語った言葉である。ここから「一番長い日」、「史上最大の作戦」を指す。

あれから60余年が過ぎた。いまは世界戦争がない一方で、われわれの住む生活環境が脅かされている。食糧やエネルギーをめぐり紛争が起きている。そしてわれわれの身の回りでも、これらが身近な問題になりつつある。

以前、マイはしを使っていることを書いた。
ここ数日から、コンビニで購入した弁当などの容器を洗って再利用することを始めてみた。
ゴミに出してもいいけれど、使えるなら再利用なり、どんどん使ったほうがいい。

できることから、身近なところから少しずつやっていこう。
人に評価されなくてもいい。評価されることを望まずに。

間をとれ!2008/06/07 23:59:53

久しぶりの朗読のクラス。指名されたところを読んで、全体的にはOKだが、間をとるようにと教わる。
そうか。間をとる、舞台で読む時に、いったんとめて周りを見渡すように、呼吸を整えること。

9月の舞台では、手話と映像、音楽も交えてやるつもりだが、さらなるレベルアップが大切だ。

難しいけれど2008/06/08 23:10:27

教会から帰って夕方に、葛飾区の水元公園へ出かける。
菖蒲まつりとあって、たくさんの人出でにぎわっていたが、まあ広いこと広いこと。自転車があれば十分回れるくらいだねあそこは。

で、持ってきた一眼レフカメラで野鳥の撮影に挑戦してみた。菖蒲を撮影するのがもともとの目的だけれど、いつものような自然写真では物足りない、動きのある写真を撮りたかった。たまたま頭上を飛んでいた何羽もの野鳥に目を奪われたのだった。

これが難しい。
スポーツ写真ならある程度動きや位置が予測できるが、空を飛んでいる鳥はどこをどう動くのか予測がつかめない。しかもスピードが速いから、あっというまにファインダーから外れてしまう。気づいたときはもう遠くへ、というわけだ。
それでもだいたいつかめることができ、何度かファインダー中央におさめたり、池に棲む魚をとるために急降下ダイブする姿、獲物をとらえて急上昇する場面など、いくつかおさめた。

難しいけれど、経験を重ねていけば。

わたしたちにとっていつも悩まされる問題2008/06/09 22:32:00

お借りし続けている、新しいデジタル補聴器。
う~ん。はっきりよく聞こえる半面、パワーがありすぎて疲れてしまう。
まだ慣れるまでには時間がかかりそうだね。

しかし、みんな新しい補聴器だというと、それだけでもう十分だと思っているらしい。どっこい、音が聞こえるだけ、詩的な表現をするなら音を届けることができるだけであって、どういう音なのか正確な音までは伝えるに限度があるのだ。

そのへんをどう知ってもらうか。
見えないだけに難しく、わたしたちにとっていつも悩まされる問題だ。

翼をください2008/06/10 23:27:05

今日はまたわたしのお気に入りの曲をつづってみたい。
「翼をください」。1972年の曲である。

この曲は手話でも学校などの合唱団でも歌われているし、また多くのシンガーによってカバーされている、とても知られた曲である。ゆえにこの曲の歴史などうんちくめいたものは、書く必要がないだろう。

しかしわたしがこの曲を聴くとき、こころ揺さぶられる歌詞がある。

         子供のとき 夢見たこと
         今も同じ 夢に見ている

         この大空に 翼をひろげ
         飛んで行きたいよ
         悲しみの無い 自由な空へ
         翼はためかせ 行きたい

子どものときに夢見たこと……。なんだろうね。遠い目で振り返ってみる。
そうだなあ。運動であれ勉強であれ秀でているというわけではなかったし、耳が不自由で背が小さいからいじめられていた。けれど、本を読む、読み聞かせなどは好きだった。自分の世界に閉じこもるということもあったけれど、だからといってひきこもるわけでもなかった。

外の世界へ出ていくのは厳しいしつらいことだったけれど、なんとか生きてこられた。
つらいこと苦しいこと、たくさんあったけれどまんざら悪いものでもなかった。そう今だから言えるのかもしれない。

悲しみのない自由な空へ。
本当にやりきれないかなしい出来事ばかり続く。いったいどうなってしまったのだろう。
鳥のように自由に羽ばたけることができたらどんなにかいいなと、今でも思う。
けれどかなわないこと。
滑空したり急降下したりする翼をもっていないけれど、人のこころを思いやり、痛み悲しみをわかちあえることはできる。

つらく苦しいのは自分だけではないぞ。だからこそ空飛ぶ翼の代わりに、勇気と優しさを持って生きることができる。そう強く思う、ここ数日の悲しい出来事。