ぼく的にはやばくない?2008/07/20 00:36:13

今日あるテレビ番組を見ていて、ある有名な日本人シンガーがこんな言葉を使っていた。

「ぼく的には」「やばくないか?」

……。
彼の年齢はわたしとそう変わりないか少し上の世代の人なんだけれど、一瞬、聞いたわが耳を疑った。

「的」という言葉について、「広辞苑」第4版にはこうある。
的、めあてという意味のほかに、『中国語の「的」(助詞の「の」にあたる)をそのまま音読した語』名刺に添えて、その性質を帯びる、その状態をなす意を表す。「私的」「一般的」という用例を挙げている。

これについてならうなら、「ぼく的には」も「ぼく」が名詞であるから間違いではない。間違いではないのだけれど、なんだろう、しっくりこないのだ。「あなた的には」という言い方をする人もいる。でも「ぼくにとっては」「あなたにとっては」でいいのではないか。なぜ「的」をつけてまであらわすのだろう。

もっとおかしいとおもうのは「やばい」だ。
同じく「広辞苑」第4版をひらくと、もともとは「やば」という言葉で、不都合なこと、けしからぬこと、奇怪なこと、という意味だったようだ。それが「やばい」と変化して、形容詞として「危険である」という意味の隠語になったようだ。

この日本人シンガーが「やばくないか」と言った、テレビに映った光景は、きれいな、プールサイドか海岸を思わせるしゃれたレストランだ。ここのどこが「危険」なのだろう。

言葉は時代とともに変わるし、使い方も表現も世代や時代、状況で変わって当たり前だ。
けれど、こういう表現を見聞きすると、おいおい、と言いたくなる。

それこそ違和感を感じないことのほうがずっと「やばい」と思うのだけれど。