とてもやりがいのある舞台になるかもしれない2008/07/05 22:14:18

9月にひらかれる、3回目の朗読舞台に向けた練習が始まった。

手話については横に置くとして、まず声のほうから始める。
今回のテキストでは聴覚障碍についての説明など、やや専門用語、医学用語が少し出てくる。「伝音性」と「感音性」のふたつの難聴について語るくだりが今日の課題だ。
講師は、このふたつを語る上で、聴く人によっては初耳、聞いたこともない言葉であるから、声の高低やトーンなどで変化をつけ、聴く人に伝わるような工夫をしなさい、とおっしゃられた。そこでわたしは「伝音性」と「感音性」をそれぞれひとつのパッケージというかひとかたまりに考え、語る時に声の出し方で変化を持たせるように気をつけた。あとから手話表現がつくわけだが、たぶん手話でも、同じように一本調子にならないような、分かりやすい表現が求められると思う。

さきに聴く人によっては、聞いたこともない言葉だ、と書いた。
実際そうだったようで、講師はじめ、一緒にいる仲間は聴覚障碍についてまったく知識がないか、初めて聞くことばかり。講師がわたしに「あなたは伝音性と感音性のどちらなのか?」と聞かれて、「感音性だ。補聴器では聞き取りにくい。できるならゆっくりはっきり話してほしい」と説明して、仲間たちは驚き納得したようだ。第一、朗読のクラスの参加者中、難聴者はわたしだけである。9月の舞台にはほかのクラスも参加するが、手話でもやろうというのはわたしだけなのだ。

余談であるがテキストに「大きな声でなくていいから、ゆっくりはっきりめに話してほしい」とある。講師は「いままで(わたしに対して)そうしてこなかった。ごめんなさい」とおっしゃられた。けれどわたしはまったく気にしていないし、不快に思ってもいない。今回舞台で声と手話で演じるなら、なおさらわたし自身が、「ゆっくりはっきりめに話し手話で表す」ことを心がけなければならない。そう自らに言い聞かせている。

昨年の「アンネの日記」はいろいろなおほめをいただいた。
今年は、聴覚障碍について、障碍者である当事者が、同じ当事者の声を、声と手話で語る。そのことが少しでも、みえない障碍である聴覚障碍者に対する理解の向上につながり、また舞台を見に来てくださる、同じ障碍のある仲間たちにとってもささえになればと思う。さらに考えるなら、手話も含めた自分の成熟、intergradeになることを望んでいる。

とてもやりがいのある舞台になるかもしれない。