BABEL こころを込めて伝えよう2007/05/30 23:55:02

パンフレット
治療を待ち望むスーザンとリチャード。とりあえずの治療を受けたはいいが、トイレもシャワーもない劣悪の環境。尿意をもよおしたスーザンを励まし、排せつの介護をすすんで行うリチャード。ふたりは死の淵に立たされてきずなを取り戻し、あつい口づけを交わす。どんな極限状況下にあっても、生きようとする意志あるかぎり、生きる希望を失うことはない。

モロッコの山間。
銃弾を放ったふたりの息子を逃れさせようとするが、警官に追われてアフメッドは撃たれた。ユセフが応射するも、最後は銃を壊して投降する。

日本のチエコ。
自宅を訪れた若い刑事に、母親の自殺の真相を筆談で説明したあとで、全裸になって迫る。さびしさ、苦しさ、言葉にならない感情を表すために、全裸にならなければ感情を出すことができなかったのだろう。裸になる。自分のあるがまま、すべてをさらけだす覚悟がなければ、なにかを伝えることはできない。

ストーリーはモロッコ、アメリカ、メキシコ、日本の、それぞれ状況も文化も社会も違う国で起きた出来事をジグソーパズルのように描いていく。まったく関係がないようにみえて、言葉が通じない。文化が異なる。そこに生きている人の営みが違う。同じ星に生きている4つの国は、そこに住む人々は、はたして分かりあえるのか。分裂したままなのか。

菊地凛子さんはこの作品のパンフレットで、こう語っている。
「言葉が通じないから心が通じないのではなく、もっと深い部分でわかり合おうとしなければ、言葉が同じでも家族間でもすれ違ってしまうというコミュニケーションの本質を伝えてくれる」

ストーリーの底に流れるのは、コミュニケーションであり分かりあえるかということだ。
しかし4つの国をむすびつけたのは、たった一発の銃弾だった。皮肉にも、銃というコミュニケーションをもたない道具が人を傷つけ、苦しめるのだ。
言葉をもたない銃(=暴力)によって結びつけられる、この地球という星に住む人々は、ほんとうに旧約聖書に描かれたように、神さまからの罰を受けたままなのだろうか。永遠に分かり合うことはないのだろうか。

こころを込めて伝えよう。すべてをさらけだすほどの覚悟をもって。もっと深い部分でわかり合おう。

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