山路越えて2007/05/12 22:21:19

奥多摩の山渓
以前購入したハイキング用シューズを脱いで久しぶりに、足の皮がむけて靴ずれになっている。その痛みさえもなんとなく心地よい。

あるルートで交誼をいただいている、わたしの通っているキリスト教会とは別の教会で手話通訳の奉仕をしておられる方、ろう者の信徒の方がたと早朝から奥多摩湖周辺をハイキングのため歩いてきた。靴ずれと日焼けはその成果というか名誉の傷跡(?)である。

奥多摩山渓を歩きながら浮かんだのは、賛美歌「山路越えて(原題Golden Hill)」である。
この曲は勤労青少年への伝道に尽力された西村清雄さんが愛媛県宇和町と吉田町の山道を歩いていた日暮れ時に浮かんだのだという。欧米でもよく歌われている賛美歌だが、原語の歌詞はどうなのだろう。関心を寄せている。「山路越えて」は格調高い文語体の歌詞と重なって、わたしのこころをとらえて離さない名曲のひとつだ。

           山路越えて  ひとり行けど
           主の手にすがれる 身は安けし

           松の嵐 谷の流れ
           み使いの歌も かくやありなん
           
           峰の雪と こころ清く
           雲なきみ空に 胸は澄みぬ

           道けわしく 行く手遠し
           志す方に いつか着くらん

           されども 主よ われ祈らじ
           旅路の終わりの 近かれとは

           日も暮れなば 石のまくら
           仮寝の宿にも み国しのばん

歩きながら手話ソングを考えてみた。文語体だからイメージでつかむしかないかな。
ともあれ人生も山路を歩くのに等しい。なだらかな道あり、石が転がっている道あり、踏み外したら真っ逆さまに落ちる恐れあり、上り坂あり下り坂あり、歩きやすいときがあれば歩きにくいときもある。

しかしどんなときも神さまのみ手が差しのべられているのだ。
いつかやってくる人生という旅路のその終わりの日まで。
あきらめずあせらずしっかり歩いていこう。