疲れ果ててもかまわないくらいの覚悟 「BABEL」2007/05/30 23:46:45

バベル パンフレットとチケット
ようやく今年上半期最大の話題作のひとつ、「BABEL」を見ることができた。
Alejandro Gonzalez INARRITU監督。主演はBrad PITT,Cate BLANCHETT,Gael Garcia BERNAL, koji YAKUSHO,Rinko KIKUCHI。

ひとことで言えば、見るにはものすごくエネルギーを消費する覚悟。疲れ果てても明日目覚める力がなくなってもかまわないくらいの覚悟が要る作品である。実際、何度も生々しいシーンの連続で苦しくなり、最後はおう吐する寸前だった。なんとか帰り着くことができたのだけれど、この作品ほど重苦しくハードな表現をした映画を見たことがない。

モロッコ。アメリカ。メキシコ。日本。
4カ国を舞台に、それぞれの国で起きた出来事。登場人物はモロッコの険しい山間に住む男性と、旅行で出会った日本人、ヤスジローを除いては、ひとりとして最後まで一面識もない。しかし、ヤスジローがモロッコのアブドゥラに売ったライフルが、4カ国の人間を結びつけた。アブドゥラのふたりの息子、アフメッドとユセフの手に渡る。ふたりの息子は憎しみあっていた。アフメッドはユセフの、姉の裸をのぞき見すること。ユセフの射撃の腕前にいらだっていたのだ。いらだちと憎しみが生んだ、一発の射撃が、思いがけない事態を招く。

BABEL たった一発の銃弾が見知らぬ人を結びつけた2007/05/30 23:50:34

そのユセフが無邪気にも撃った一発の銃弾が、アメリカ人観光客を乗せたバスの女性に当たってしまう。リチャードとスーザンの旅行は一転してスーザンを救うための旅に変わってしまう。救急車も満足な医療も望めない。出血多量で死が目の前にある。アメリカ人が巻き込まれたということでテロの疑いが生じ、国際問題に発展する。モロッコ政府は空域飛行を認めないために救助のヘリコプターさえ飛ばせない。いつスーザンのいのちが消えてもおかしくない。

遠くアメリカ、カリフォルニア州サンディエゴ。
リチャードとスーザンの子ども、マイクとデビーの乳母、アメリアはアメリアの甥、サンチャゴの乗る車で国境を越え、メキシコへ。アメリアの息子の結婚式に参列するためだ。知らない文化の国に戸惑い、にわとりの首を絞めて殺す風景に戸惑うふたりの子ども。だが徐々にメキシコの文化になじんでいく。だがメキシコからアメリカへ戻る途中、サンチャゴの飲酒運転がばれ、国境突破を計るも、アメリアとふたりの子どもは道に迷い灼熱のカリフォルニアへ放り出されさまよってしまう。

太平洋をはさんだ、日本の東京。
耳がきこえないろう者のチエコは、母親の急死後、ショックから立ち直れず、父親のヤスジローとこころの溝ができてしまう。それゆえに周りとの関係もうまくつくれず、治療を受けていた歯医者にさえ反抗的な態度を示す。さびしさを埋めることができない。街で見かけた男性への恋も自分のさびしさの感情も、きこえないために、周囲に伝わらないもどかしさ。

BABEL こころを込めて伝えよう2007/05/30 23:55:02

パンフレット
治療を待ち望むスーザンとリチャード。とりあえずの治療を受けたはいいが、トイレもシャワーもない劣悪の環境。尿意をもよおしたスーザンを励まし、排せつの介護をすすんで行うリチャード。ふたりは死の淵に立たされてきずなを取り戻し、あつい口づけを交わす。どんな極限状況下にあっても、生きようとする意志あるかぎり、生きる希望を失うことはない。

モロッコの山間。
銃弾を放ったふたりの息子を逃れさせようとするが、警官に追われてアフメッドは撃たれた。ユセフが応射するも、最後は銃を壊して投降する。

日本のチエコ。
自宅を訪れた若い刑事に、母親の自殺の真相を筆談で説明したあとで、全裸になって迫る。さびしさ、苦しさ、言葉にならない感情を表すために、全裸にならなければ感情を出すことができなかったのだろう。裸になる。自分のあるがまま、すべてをさらけだす覚悟がなければ、なにかを伝えることはできない。

ストーリーはモロッコ、アメリカ、メキシコ、日本の、それぞれ状況も文化も社会も違う国で起きた出来事をジグソーパズルのように描いていく。まったく関係がないようにみえて、言葉が通じない。文化が異なる。そこに生きている人の営みが違う。同じ星に生きている4つの国は、そこに住む人々は、はたして分かりあえるのか。分裂したままなのか。

菊地凛子さんはこの作品のパンフレットで、こう語っている。
「言葉が通じないから心が通じないのではなく、もっと深い部分でわかり合おうとしなければ、言葉が同じでも家族間でもすれ違ってしまうというコミュニケーションの本質を伝えてくれる」

ストーリーの底に流れるのは、コミュニケーションであり分かりあえるかということだ。
しかし4つの国をむすびつけたのは、たった一発の銃弾だった。皮肉にも、銃というコミュニケーションをもたない道具が人を傷つけ、苦しめるのだ。
言葉をもたない銃(=暴力)によって結びつけられる、この地球という星に住む人々は、ほんとうに旧約聖書に描かれたように、神さまからの罰を受けたままなのだろうか。永遠に分かり合うことはないのだろうか。

こころを込めて伝えよう。すべてをさらけだすほどの覚悟をもって。もっと深い部分でわかり合おう。