人としての尊厳を誰も否定できないし奪い取ることもできない2007/05/24 23:21:29

けさの新聞に、学生時代の事故がもとで斜視になっていたあるテレビタレント・評論家が手術を受けて、斜視から回復したという記事があった。

うーん。

というのはわたしも、右目がやや斜視ぎみだからだ。わたしと会ったことのある人ならすぐに気づくだろう。
真理子さんに生前、斜視のことをきかれたことがあるし、コンタクトを着けるとたまにではあるけれど、斜視が気になる。実際、気持ち悪いだのどこ向いているのだの、いろいろ言われた。カメレオンなんてうれしくないあだ名ももらったことがあるし。わたしは左目で見ることが多いけれど、まず右目で見てからピントを合わせるような感じで両目でみることもある。落ち着いていれば両目とも、普通に変わらず視線は斜視ではないのだけど。

このテレビタレントは手術に払った額が3万円だという。

3万円で人生が変わるなら、受けたいなぁという誘惑にかられないでも、ない。

でも補聴器や難聴と同じく、斜視だからこそ得られたものもあるし。
隣にいてわたしの斜視や補聴器や難聴が気になる、嫌いだというのなら、それはそれでその人の気持ちなのだから、わたしにはどうすることもできない。斜視であろうが難聴であろうが補聴器をつけていようが、人としての尊厳を誰も否定できないし奪い取ることもできない。わたしはわたしなのだから。

人生なんて斜視だの障碍だの難聴だので決まるものじゃないだろう!
そう声を大にして言いたい。