もう半年 まだ半年2007/06/01 23:46:58

今日から6月。
光陰矢のごとし、をまざまざと実感させられる。

1月。新しい年が始まった。「まだ11カ月もある」
2月。妙に暖かいなと、降雪がない月。「気象異常を実感」
3月。桜を撮影する。「スケッチ写真のおもしろさにひかれはじめる」
4月。快晴の下で桜を撮影。「散る桜が美しい」
5月。映画。ライブショー。「いろいろな刺激をうけた」

これからの半年はどんな出会いがあり、このブログに書きつづるのだろう。

まさか、と思いたくなる出来事が続いた半年。
これからは幸せだと感じることが多くあることを祈りたい。

笑ってくれるというのと、笑われるというのは違いますよ2007/06/02 23:26:11

朗読のステージまであと3カ月。実際はそんなに待ってくれない。練習もあるしBGMの選択もしなければならないし。

聖書を読むと決めてはいるけれど、ひとつの案として「大阪弁聖書」を読んではどうだろうか、というアドバイスをいただいた。
テキストは『コテコテ大阪弁訳「聖書」(愛蔵版)』。データハウス刊  ナニワ太郎 (翻訳)、大阪弁訳聖書推進委員会 (翻訳) 。

キリスト教出版社、あるいは聖書を出版している専門の会社というわけではないが、こういったこころみもおもしろいだろう。そもそも聖書とはどういう本なのか。教会に行く信徒ならまだしも一般の人にとっては聖書は、敷居の高い書物か、遠い世界の本、というのが常識かもしれない。そこにコテコテの大阪弁で書かれた聖書ならどうだろうねぇ、というのがこの本の目的であり意図するところだ。

しかしなぁ。
思うにネィティブ、地元の人ではない人間が、偉そうな顔をして大阪弁の朗読をしていいのかね、かえって失礼じゃないかという気もしないではない。
今日朗読の仲間にきいてみた。やりたいと思うものをやるのが一番。かえって笑いをとればいい。という返事。聖書を読みたいと思ったが、方言とは、かえって失礼だろうという気持ちがまだある。

あのなぁ。笑ってくれるというのと、笑われるというのは違います。
それを自覚する必要がわたしにはある。

というわけで、もう少し思案をしてみよう。
別の案として、「大切な人を失おうとしている、あるいは失った悲しみのある人たちに寄り添う」という目的で、絵本を読んではどうか、と銀座の書店で絵本を注文した。

青空の新宿。
すてきな一日だった。

今日という日は、明日が来れば、二度と帰ってこない2007/06/03 22:11:14

晴れた夕空からみえる月。

「見上げてごらん夜の星を」。ささやかな幸せを祈っている。遠くから、わたしたち一人ひとりを見つめるかのように。

今日から始まる新しい一週間がどんなものになるか。
目標を見定めてしっかり歩いていきたい。今日は明日が来れば、二度と帰ってこないのだから。

文化と健康の兼ね合い2007/06/04 23:08:54

昔、2度ほど水たばこを間近で見たことがある。


水たばこも「有害」 WHOが報告書
http://www.asahi.com/life/update/0530/TKY200705300200.html?ref=toolbar2

16世紀にインドで生まれ、中東からアフリカに渡る広い範囲で普及しているこの水たばこだが、さまざまな香りを付けて楽しむことができるというのが人気を集め、東京でもアラブ系のレストランで吸うことができる。

しかし、紙たばこより時間をかけて吸うために、より多くの刺激を得たいと煙を吸うことで、付帯する一酸化炭素も吸うなど、からだに与える悪影響は否定できない、とWHOが報告書を出したというのだ。

難しいのは、文化がからんでいることだ。
広い範囲で普及しているために、文化を否定する、などの反発が起きかねない。

人間の意識はなかなか変わらないだけに、こういった健康をめぐる問題も、へたをすると文化議論から新たな争いに発展するかもしれない。
ほんとうに難しくこわい。

Cool Biz2007/06/05 22:42:49

生まれも育ちも東京ではない、田舎者のわたしにとって東京での暮らしは、物がたくさんあって豊かであり、世界でもまれに見る、交通機関が整備された都会という印象だ。
その半面、年を追うごとに気温が上がり夏が近づくと、暑さに耐えられないのが苦痛といえば苦痛である。わたしが生まれる前の東京は、暑いといってもいまほどではなかったと聞く。緑が少なくコンクリートに囲まれて熱が逃げないのだから、地球温暖化を考えると、未来に生まれ東京に住む子どもたちが不幸だと思うのはわたしだけだろうか。

クールビズといいながら、ネクタイ姿のまま会社で過ごす。
似合う人と似合わない人がいるんだよねぇ。わたしは当然、後者である。

無理をして合わせることはない。
しかし地球環境を守るために冷房を下げるなどの努力はできる。
できることでいいから、少しずつ身の丈にあった取り組みをしていきたい。

世界が結ばれて2007/06/06 22:57:37

初めての海外旅行で利用した航空会社というのは一生忘れられない記憶に残る。まして利用した航空会社が吸収合併された後で違う形で利用することができるとしたら、楽しみが広がるだろう。

初めて利用したのはカナディアン航空という会社。トロントへのフライトが初めての海外旅行先だ。機体のデザインがとてもきれいだったのと、初めて乗った航空会社の思い出になるだろうからと、都内にある航空模型専門店まで行ってプラスチックではない、わたしが利用した機体のミニチュアモデルを買ったものだ。
その後、アメリカへの旅行ではユナイテッド航空を、ポーランドへはドイツのルフトハンザ航空をそれぞれ利用した。ポーランドは直行便がないのと、旧ソ連からのアエロフロート航空を利用する方法もあるが墜落事故など、安全性に不安があったのが、ルフトハンザにした理由だ。

ポーランド旅行から2年後の、1997年。
世界の主な航空会社のうち社が連合を組んで、「スター・アライアンス」というネットワークをつくった。1997年5月14日に結成された、当初のオリジナルメンバーは、以下の5社。エア・カナダ、ルフトハンザ ドイツ航空、スカンジナビア航空、タイ国際航空、ユナイテッド航空。その2年後に日本の全日空が正式にスター・アライアンスに加盟。10年たった2007年現在、17社に広がり、就航する国は155カ国にまでふくれあがった。

カナディアン航空はエア・カナダに吸収される形で合併された。ルフトハンザもユナイテッドも全日空も同じアライアンスメンバーということで、マイレッジの共通サービスが受けられるなど、利用者にもメリットがある。ポーランドへはポーランド航空がアライアンスに加盟したことで、選択肢も広がりつつある。ポーランドからヨーロッパ、北米への路線があるからだ。日本への便がないのは残念だけれど。

世界はますます狭くなりつつある。ヒト・モノ・カネの往来は文化や宗教だけではなく、商業や政治的問題に至るまで、さまざまな出会いを生む。
先日書いた、水たばこもそうだけれど、異なる国や文化が出会うのは素晴らしいことである一方、お互いを尊重尊敬していく謙虚さが何よりも求められることでもあるのだ。

「塩狩峠」 三浦綾子著2007/06/07 23:48:37

三浦綾子さんの小説「塩狩峠」
絵本と文語体聖書のどちらかを朗読で読む。あるいはゲイル・セイヤーズという元プロフットボール選手(元シカゴ・ベアーズRB)が書いた「I am Third」(邦題「スーパー・ランナー」)から詩も含めた部分を朗読するか。絵本なら手話つきで読んでみたい。驚いたのはこの「I am Third」という本。アメリカではいまなお出版されているということ。とっくに引退した名選手だけれど、フットボールだけではなく人間として深い影響を与えているということに思いを深くされた。

「I am Third」(邦題「スーパー・ランナー」)について、ヤフーで調べてみた。
Gale SAYERS 「I am Third」
http://search.yahoo.co.jp/search?fr=slv1-tbtop&p=%a3%c9%20am%20%a3%d4hird%20%20Gale%a1%a1Sayers

迷っているが、もうひとつ。三浦綾子さんの小説「塩狩峠」も考えてみる。

この小説がわたしをキリスト教会に導いてくれたといってもいい。作品中に文語体聖書が多く引用されている。作者が文語体聖書になじんだこともあるだろうが、舞台が明治末期の北海道に、愛と信仰、人間の存在の意味を問うた実在の人物を描いた、この作品には現代日本語、まして新共同訳聖書は似合わない。文語体がしっくりくる。

週末までに「塩狩峠」をもう一度読み返し、どこを読みたいか決めておき、「I am Third」(邦題「スーパー・ランナー」)と絵本と文語体聖書をそれぞれパソコンでおこしておこう。

「I am Third」と「塩狩峠」。
いつまでも人のこころに残る何かを遺した人に敬意をおくりたい。
できるならわたしも、名誉も出世も財産もいらないけど、生きた証、人のこころに残る何かを遺した人生をおくりたい。

明日を、何かが起こるという期待をもって迎えよう2007/06/08 23:54:41

2006年、学校現場でのいじめが問題になり、いじめを苦にした自殺の報道が相次いだ。報道に出ないケースや自殺を試みたり考えたりしたけれど実行しなかったケースもあるだろう。
2006年1年間の自殺者数は32,155人。05年から397人減というが、9年連続で3万人を超えるというのはやはり異常なことだと言わざるを得ない。

自殺率、16年まで20%以上削減 対策大綱を閣議決定
http://www.asahi.com/national/update/0608/TKY200706080077.html

学生・生徒の自殺者が過去最多の886人 警察庁まとめ
http://www.asahi.com/national/update/0607/TKY200706070176.html

わたしも、ここまで生きてきて、自殺を考えたり思ったりしたことが何度もある。はっきり意識したのは小学校2年生のころだったか。給食の合間に、もしいま飛び降りたらどうなるかなぁ、と漠然とだけど思ったのが初めての思いだ。
それからうつ病を経験して、何度も死の誘惑にかられた。しかしいまこうして生きている。

今日の新聞に、ある若手アイドルタレントのインタビュー記事があった。
彼はこう語っている。
「生きることより死ぬことの方が簡単」

何度も人の死に出会い、葬儀に出席もした。
死んだ人は、もうこの世では会うことはないし話を交わすこともない。逆に言えば故人をどうしのんでいるか、何を言っているか(わたしの悪口も?)死んでしまったら、聞くことも言い返すこともできない。

生きることは容易ではないし、つらいこと苦しいこと、逃げ出したいこと、たくさんある。しかしそれらが過ぎ去ってしまえば笑い話にすることもできる。

今日の新聞の別の記事でこんな言葉を見つけた。
「人生そのものが創造性に満ちている」

だから今日苦しいことがあったとしても、明日がくればまたきっと何かがあるに違いない。その明日をワクワクする期待をもって迎えよう。

いのちを粗末にするな。勝手に捨てるな。

みてごらん。こんなに素晴らしい青空があるじゃないか!

夢を追い続けていればいつかはかなうもの2007/06/09 23:09:07

昨年がめったやたらスポーツに関する話題が多かった反動からか、ましてブログの紹介欄に「手話と出会い音楽や朗読など、表現することの喜びに目覚めた」とある手前、今年はできるかぎりスポーツの話題を避けて手話、本、映画、音楽、朗読をテーマにしようと思っていたのだが、やっぱり話題ができてしまった。
前巨人の桑田真澄投手が3Aインディアナポリス・インディアンズから昇格してメジャーリーグのピッツバーグ・パイレーツへ行くことになった。インディアナポリス・インディアンズのウェブサイト(http://web.minorleaguebaseball.com/index.jsp?sid=t484)には「Japanese Baseball legend arrives in Indianapolis」とあるが、昇格の報道はない。その後の新しい報道では背番号は巨人在籍時代と同じ18番だという。
新聞社および通信社系のホームページからの情報だが、ピッツバーグ・パイレーツの公式ウェブサイトにはまだ、発表がない。時差を考えると明日午前中にはアップされるのだろう。

夢を追い続けていればいつかはかなうものなのだと、思いを強くさせられたニュースだ。

さて。

昨今のニュースや新聞を見ると、いつ人間不信に陥ってもおかしくないほど事件がたくさん報道されている。犯罪。社会的弱者を食い物にした事件。
政治家がからんだ事件も。

聖書から。

義人なし、一人だになし、聡き者なく、神を求むる者なし。
                       (新約聖書 ロマ人への書 3章10)

今日、友人とこれら社会的事件や問題について話し合ったのだけれど、たしかに聖書はニヒルな目で、ただしい人は一人もいない。まして神を求める人はいないとまで書いている。
それでは、この世界はまったく希望も夢もなく、あるのはただただ絶望だけなのだろうか? 希望がなく絶望しかないところにはたして、生きる意味や勇気目標を見いだせるのだろうか?

しかし。
これだけたくさんの事件や問題が報道されている裏側に、ひっそりと、報道されることも知られることもなしに、いのちを、今日という日を全力を尽くして生きている人がいる。

今日の桑田真澄投手も、巨人在籍時代はいろいろたたかれたり批判されたりした。最後は引退するのではないかなどとも書かれた。渡米してメジャーリーグへの挑戦ときいて、やゆする人、通用しないと言う人もいたようだ。
だが、スプリングキャンプでメジャー昇格まであと一歩、と言われたその試合中に審判との衝突でけがをし、昇格はならなかった。そのままチームから解雇されてもおかしくない状況だった。なぜならメジャーへの昇格が約束された契約ではなく、招待選手としての契約だったからだ。
解雇されるまえに日本へ帰るのではないかとも思われたようだが、チームは彼の真摯な姿勢と態度に、解雇ではなくリハビリとマイナーリーグでの調整をすすめた。彼はすすんでそれらを受け入れ、リハビリからようやくメジャーリーグへ昇格することができた。

いろいろ批判されたこともあったけれど、ひたむきな真摯な姿勢が、周囲に影響を与え、夢をつかむことができた。

さて、わたしだ。
わたしも「手話と出会い音楽や朗読など、表現することの喜びに目覚めた」のだから、ゆっくりあせらず目標に向かって歩きたい。
絶望失望ではなく、勇気と希望を見失うことのないように。
名誉だとか賞賛だとかを求めずに。

おのおのが生きた証、生きた意味が表れる2007/06/10 21:24:58

公園に咲いていた花
昨日からの疲れが今日も残っていておまけに明日は手話ソングダンスのレッスン予定。早朝に会社へ入らなければならないため、いつもよりかなり早めに眠りにつくつもり。

朗読の発表会で使いたいテキストをパソコンに打ち込んではみたが、なんだかしっくりこない。読みたいテキストではあるのだけれどこれでいいのかという思いがぬぐえない。
で、昨晩眠りにつきながらひらめいたのは、「アンネの日記」から抜粋しようかということだ。
第2次世界大戦終了から50年目の秋にわたしはポーランドのオシフィエンチム・ドイツ名アウシュヴィッツを訪れた。
何度も書いたことだけれど、衝撃は一生忘れることはできない。

秋晴れの空、太陽の日差しが差し込む強制収容所跡と収容者を運んだ列車の引き込み線路。収容者が銃殺処刑された処刑場と石の壁面に残る無数の弾痕。収容者の身代わりとなって薬物で処刑されたカトリックのマキシミリアン・コルベ神父。

極限の状況に立たされたとき、その人の存在と生きてきた価値、生きざまが如実に現れる。
いつかは誰しもが訪れる死という場面という意味で、平等であり共通しているのかもしれない。おのおのが生きた証、生きた意味が表れるのだ。

で、今日の礼拝。
聖書はマタイによる福音書16章24節~28節。

ここにイエス弟子たちに言ひたまふ「人もし我に従ひ来たらんと思はば、己を捨て、己が十字架を負ひて、我に従へ。己が生命を救はんと思ふ者は、これを失ひ、我がために己が生命をうしなふ者は、之を得べし。人、全世界をまうくとも、己が生命を損せば、何の益あらん、又その生命の代に何を興へんや。人の子は父の榮光をもて、御使たちと共に来たらん。その時おのおのの行爲に随ひて報ゆべし。まことに汝らに告ぐ、ここに立つ者のうちに、人の子のその國をもて来るを見るまでは、死を味はぬ者どもあり」