ひとのいのちがなくなるということ ― 2007/04/27 23:36:51
今日の夕刊に、死刑執行の記事があった。
3人の死刑囚が刑を執行されたという。
いろいろな本を読んでいて、外部にはあまり知られていない死刑の姿が、おぼろげながら浮かんできた。
死刑が確定した後、刑法では6カ月以内に執行されなければならないとあるが実際は、7年を経過してから刑を執行されることが多い。逆に言えば確定囚は6年から7年の間は生きていられるが、それを過ぎたら忍び寄る死の恐怖とたたかわなければならない。
刑の執行は朝食後に行われる。食事を終えたあとに前触れもなく囚人番号で呼び出され、刑場に行かなければならない恐怖。
もちろん犯罪にあい、理不尽な目にあい、いのちを奪われた人たちの悲しみ苦しみは、いくら強調しても消えることはない。
と同時に、死刑に相当する犯罪を犯してしまった人間に、後悔から更正へ立ち直る機会を永遠に奪っていいものだろうか。
終身刑ということも考慮されるべきではないだろうか、と思いは千々に乱れる。
生きている限り、人はみな死刑を背負っているともいえる。犯罪を犯したからではない。生はいつかは終わりが来るということだ。
ひとのいのちがなくなる。もう二度と会えない。
それほどに、生は貴いものなのだということを、こころに忘れずに生きていこう。
3人の死刑囚が刑を執行されたという。
いろいろな本を読んでいて、外部にはあまり知られていない死刑の姿が、おぼろげながら浮かんできた。
死刑が確定した後、刑法では6カ月以内に執行されなければならないとあるが実際は、7年を経過してから刑を執行されることが多い。逆に言えば確定囚は6年から7年の間は生きていられるが、それを過ぎたら忍び寄る死の恐怖とたたかわなければならない。
刑の執行は朝食後に行われる。食事を終えたあとに前触れもなく囚人番号で呼び出され、刑場に行かなければならない恐怖。
もちろん犯罪にあい、理不尽な目にあい、いのちを奪われた人たちの悲しみ苦しみは、いくら強調しても消えることはない。
と同時に、死刑に相当する犯罪を犯してしまった人間に、後悔から更正へ立ち直る機会を永遠に奪っていいものだろうか。
終身刑ということも考慮されるべきではないだろうか、と思いは千々に乱れる。
生きている限り、人はみな死刑を背負っているともいえる。犯罪を犯したからではない。生はいつかは終わりが来るということだ。
ひとのいのちがなくなる。もう二度と会えない。
それほどに、生は貴いものなのだということを、こころに忘れずに生きていこう。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://todaywesonghands.asablo.jp/blog/2007/04/27/1471336/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
|
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。