外国語を学ぶのもいいけれど2017/03/28 21:01:26

今日のある新聞投書に、「コミュニケーション力には手話」という題の投書があった。

投書主は、さまざまな障がいのある人たちとタイに行ったとき、現地の障がい者グループとの交流で、ぎこちない英語で会話をしているわきで、日本とタイの聴覚障がい者同士が楽しそうに笑いあっていた。
その光景を見て、日本とタイの手話が違うはずなのに仲良くなれたのは、手話を使う人たちはコミュニケーションとは何かを知っている、身ぶり手ぶりででも何とか意思を伝えたいという気持ちがあるからなのではないか、と分析している。

たしかに音声会話でも、意思を伝えたいという気持ちがあれば、なんとかなることもある。
それは聴こえないという聴覚障がい者であれば、聴者同士の音声会話以上に、伝えたい聞きとりたいという思いがお互いに強くあるために……聴こえないという共通の苦悩や思いがあるからこそ……コミュニケーションを知識やアタマで考えるのではなく肌身で知っているからこそなのかもしれない。
わたしもろう者としていろんな場面で手話を使うとき、なんとかして伝えたいし読み取りたいという思いが強くなる。正直、音声言語ではかなり聞き取りにくい聴力であるために、なおさら手話で話すときはその思いが強くなる。

アメリカ手話を学んでいる手前、外国語を学ぶのも大事だとは思う。
けれども、小学校から英語教育に力を入れるという国の教育政策は理解できる一方、なんかピント外れな気もする。外国語を学ぶ前に、この国にもいる、聴こえない人との交流を通して、コミュニケーションをアタマではなく、肌身で知ることが、ある意味外国語を学ぶときにも生きてくるのではないだろうか。
あえてわたしは、外国語を学ぶ以前に日本語力を高めたほうがいいと思う一人だが、それでも外国語以前に小さいころから手話を学んだらずっといいのに、と以前から考え続けている。
できれば義務教育に手話を取り入れてほしいと思うのは、ろう者のわがままだろうか。

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