人間の尊厳を、自分の人間性を守る2015/12/20 21:43:44

今年もいろいろ映画を妻と一緒に観ることができた。
まだひとつ残っているけれど、今日、『杉原千畝』を観てきた。

ご存じない方もいらっしゃると思う。
第2次世界大戦中、ナチスドイツの迫害から逃れるために、在リトアニア日本総領事館に多くのユダヤ人難民がやってきた。リトアニア総領事だった杉原千畝は、本国の意に反する行為とわかっていたが、苦難の中にある難民を見捨てることができず、計2000人以上のポーランド系ユダヤ人難民にビザを発給した。一方で杉原は、戦時下にあるソ連(現ロシア)やドイツの情報を入手し、本国に戦争を思いとどまらせるよう、働きかけてもいた……。

いつの世にもある、個人と組織の相克。組織の中にあって個人を主張するのはたやすいことではない。映画の中で、ナチスドイツ兵が多くのユダヤ人を射殺する場面がある。「立て」と「伏せ」を交互にユダヤ人に命じて立ち上がったユダヤ人を見境なく乱射して射殺を命じる上官。何回目かの命令のときに、ある兵士がためらい射撃できない。上官はその兵士に「臆病」となじる。

杉原さんもおそらく、ためらっただろうし迷っただろう。だが目の前にいる難民を見捨てるわけにはいかなかったのだろう。個人と組織、国家の相克の場面に立たされたとき、はたして国家に従うべきか、それとも人間の尊厳を、自分の人間性を守るべきか。

難民の問題は、70年がたった今も変わらない。
シリア、イラクの人たちがヨーロッパに逃げてきた。だがあのフランスで起きたテロのために、これ以上難民を受け入れるなという声が欧州各国であがり、アメリカ大統領選共和党候補のドナルド・トランプ氏が「イスラム教徒の入国禁止」と発言するまでになっている。

そしてイスラエル。
あれだけ苦難を味わったはずの国が、なぜ戦いをやめないのか。それはそのまま中東の各国にも言える。

映画の中でこんなせりふがでてくる。
肌の色も目の色も違うけれど、こころは同じはず。
なのになぜ、争いはやまないのだろう。

わたしはできる限り、人間らしくありたい。他者への思いやりと優しさを失った、後世の人間に恥ずかしいと思われる人間になりたくないし、そういう生涯をおくりたくない。少しでも、よかったと言える、誇りに思える人生でありたい。

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