短絡な発想から起きたのだろうか2015/12/28 23:55:44

国内外ともにいろんなことがありすぎた、2015年。
今日は仕事納め。
職場も、同じフロアにいる他部署の方はほとんどおらず、いつもに比べて閑散としたもの。ランチも混雑しておらず、ゆっくり落ち着いて食事ができた。

なんとも言いようがないやりきれない事件が相次いだが、千葉県君津市でまた、少年犯罪があった。しかも、祖父母を殺したというのだ。
ここでも出てきた言葉は「誰でもよかった」。「通行人でも殺そうと思ったが逃げられると思い、身内にした」という。
時代が時代なら、身内家族に手をかけた事件は、市中引き廻しの上、はりつけになったという。封建制度下では、身分や立場が下のものは上のものに従うという。となると当然、それに反したわけだから結果は極刑しかない。

時代の違いが問題なのではない。
誰でもよかった、ストレスがあった、というそれだけで人のいのちを平気で殺めてしまう、その発想考え方が恐ろしい。
だれだってストレスがあるしストレスのない生活はありえない。しかしそれを、他者への暴力という形で発散させる、ましていのちを奪っていいという理由には、絶対に同意できない。

現代人、特に若い人にとっては、ストレス耐性がない、思ったらすぐにこうだ、と短絡的に行動してしまうのか。
加害者と親の関係がどうだったのかわからないけれども、親子関係がうまくいっていなかったのだろうか。

被害者も加害者もともに自分の肉親であるだけに、加害少年の親が受けた衝撃を思うと、ほんとうにやりきれない。