お年寄りや障がいのある人にやさしい街を ― 2010/02/01 23:31:51
早いもので今日から2月に入る。ついこのあいだ正月だと思っていたのにねえ。
【路面電車】高齢者が外出する機会が増える !?
http://www.47news.jp/47topics/e/97702.php
3年前に訪れたサンフランシスコは、坂の多い街で市内を走る路面電車を何台もみたものだ。いろんな車体があってあきないくらいだけれど、アメリカは基本的には車と飛行機が主な長距離移動機関である。東西に5時間も時差がある。はっきりいって日本の感覚ではとても考えられない国土の広さ。
だけれど、今日の新聞にも出ていたけれど、いくつかの都市を結ぶ高速鉄道の計画があり、日本の新幹線やリニアモーターカーを導入するというプランもあるそうだ。それはたしかにCO2を減らすだけではなく、日本が誇る「安全で確実な輸送」という点からも、大いに検討してもらいたいと思う。
アメリカの話ではなく、日本に舞台を移そう。
北海道札幌市で育ったわたしにとって、札幌五輪以前に市内を移動する手段といえば車と、路面電車だった。「チンチン電車」の愛称で親しまれて、いまも市内を走っている。上にあげた記事によれば、札幌では路面電車の路線を延ばす方針だそうだ。ほかにも富山市で日本初の次世代路面電車(LRT)の整備で、高齢者が街に出る機会が増えたという報告もある。
東京でも路面電車があったときくが、いまは都営交通に1路線を残すだけ。江戸川区にはかつて走っていたことを示す名残が残っていると聞く。
国土交通省は次世代路面電車(LRT)を整備する方針を決めた、ともある。
車もいいけれど、路面電車の、のんびりした、せかさない、ゆったりした乗り心地も捨てがたい。
たしかに電源や架線を設置する問題に加えて、既存の道路にレールをつくるか、車線を変更するかなど、いくつも問題があるだろう。
けれど、新幹線やリニアモーターカーを開発するくらいの技術力があるのなら、こういった問題も解決する方法を見いだせるのではないだろうか。
お年寄りや障がいのある人にやさしい、ということは障がいのない人や健康な人にとっても過ごしやすい、ということだ。
何十年か先になるのかもしれないが、東京でももっと路面電車が走る光景を再び見たいなあと、思う。
【路面電車】高齢者が外出する機会が増える !?
http://www.47news.jp/47topics/e/97702.php
3年前に訪れたサンフランシスコは、坂の多い街で市内を走る路面電車を何台もみたものだ。いろんな車体があってあきないくらいだけれど、アメリカは基本的には車と飛行機が主な長距離移動機関である。東西に5時間も時差がある。はっきりいって日本の感覚ではとても考えられない国土の広さ。
だけれど、今日の新聞にも出ていたけれど、いくつかの都市を結ぶ高速鉄道の計画があり、日本の新幹線やリニアモーターカーを導入するというプランもあるそうだ。それはたしかにCO2を減らすだけではなく、日本が誇る「安全で確実な輸送」という点からも、大いに検討してもらいたいと思う。
アメリカの話ではなく、日本に舞台を移そう。
北海道札幌市で育ったわたしにとって、札幌五輪以前に市内を移動する手段といえば車と、路面電車だった。「チンチン電車」の愛称で親しまれて、いまも市内を走っている。上にあげた記事によれば、札幌では路面電車の路線を延ばす方針だそうだ。ほかにも富山市で日本初の次世代路面電車(LRT)の整備で、高齢者が街に出る機会が増えたという報告もある。
東京でも路面電車があったときくが、いまは都営交通に1路線を残すだけ。江戸川区にはかつて走っていたことを示す名残が残っていると聞く。
国土交通省は次世代路面電車(LRT)を整備する方針を決めた、ともある。
車もいいけれど、路面電車の、のんびりした、せかさない、ゆったりした乗り心地も捨てがたい。
たしかに電源や架線を設置する問題に加えて、既存の道路にレールをつくるか、車線を変更するかなど、いくつも問題があるだろう。
けれど、新幹線やリニアモーターカーを開発するくらいの技術力があるのなら、こういった問題も解決する方法を見いだせるのではないだろうか。
お年寄りや障がいのある人にやさしい、ということは障がいのない人や健康な人にとっても過ごしやすい、ということだ。
何十年か先になるのかもしれないが、東京でももっと路面電車が走る光景を再び見たいなあと、思う。
産みの苦しみ ― 2010/02/02 23:54:29
日本手話教室も2月に入った。
今日は自然気象の単語表現と、これまでの短文表現から、長文の表現に入った。
香りと空気。人さし指と中指を鼻に向ける、においをかぐところから。同じ動作だが空気は2回。香りは1回。というように、手の動きの回数に気をつけなければならない。
また、雷は速く動かす。反対に、曇りは雲の形をイメージしてゆっくり。
「大事」と「大切」の違いはどうか。
MOTTAINAIという言葉が国際語(?)になりつつあるそうだが、「惜しい」「もったいない」というニュアンスの「大事」は片手のひらを、反対側のほほにあてる。
重要、愛しいという意味の「大切」は片手こぶしを上からなでる。愛するように。
さて話は変わって、朗読。
舞台は夏を過ぎた9月に予定しているが、今年も当然、手話つき朗読舞台になるだろう。
まだテキストを決めていないが、いろいろ本を読んでは、自分のこころに「これが読みたいか」と問いかけている。昨年の『塩狩峠』、おととしの『アンネの日記』のように、こころからわたしが得た感動、表現したいという情熱をかきたてるものでないと。言い換えればそういうテキストに巡り合ったとき、舞台の9割は成功すると言っていい。
そんなテキストと巡り合うまでのかっとうや苦しみもまた、大切なプロセスでありステップなのだろう。
今日は自然気象の単語表現と、これまでの短文表現から、長文の表現に入った。
香りと空気。人さし指と中指を鼻に向ける、においをかぐところから。同じ動作だが空気は2回。香りは1回。というように、手の動きの回数に気をつけなければならない。
また、雷は速く動かす。反対に、曇りは雲の形をイメージしてゆっくり。
「大事」と「大切」の違いはどうか。
MOTTAINAIという言葉が国際語(?)になりつつあるそうだが、「惜しい」「もったいない」というニュアンスの「大事」は片手のひらを、反対側のほほにあてる。
重要、愛しいという意味の「大切」は片手こぶしを上からなでる。愛するように。
さて話は変わって、朗読。
舞台は夏を過ぎた9月に予定しているが、今年も当然、手話つき朗読舞台になるだろう。
まだテキストを決めていないが、いろいろ本を読んでは、自分のこころに「これが読みたいか」と問いかけている。昨年の『塩狩峠』、おととしの『アンネの日記』のように、こころからわたしが得た感動、表現したいという情熱をかきたてるものでないと。言い換えればそういうテキストに巡り合ったとき、舞台の9割は成功すると言っていい。
そんなテキストと巡り合うまでのかっとうや苦しみもまた、大切なプロセスでありステップなのだろう。
残してほしいなあ ― 2010/02/03 22:48:25
仕事の後会議に出て、帰りになってから腹痛と軽い吐き気。
なに、たいしたことじゃない。
変わって、新しい東京タワー「スカイツリー」。いまでもなんだかしっくりこないんだけれど、まあいいだろう。
写真は日曜日に松戸から撮影したもの。
へえ。こんなに見えるんだ。
完成しても、やっぱりあの東京タワーは残してほしいなあと思うのはわたしだけだろうか。
なに、たいしたことじゃない。
変わって、新しい東京タワー「スカイツリー」。いまでもなんだかしっくりこないんだけれど、まあいいだろう。
写真は日曜日に松戸から撮影したもの。
へえ。こんなに見えるんだ。
完成しても、やっぱりあの東京タワーは残してほしいなあと思うのはわたしだけだろうか。
久しぶりに ― 2010/02/04 23:22:13
卓球同好会のメンバーが集まって久しぶりの練習。
動けたから楽しかった。
また明日。
動けたから楽しかった。
また明日。
「ブランド通し」 ― 2010/02/05 20:45:33
一応、それなりの本数をもっているけれど、あまりおしゃれとは言い難いわたしは、たいてい赤色など、シンプルなデザインのネクタイをもっている。
で、もっているうちの一本だけ、めったにつけないものがある。
なんでかというと、締めてもネクタイピンで止められないからだ。
今日、頼んでおいたネクタイの修理ができた。
どこが悪かったかというと、ネクタイの「大剣」、太いほうの裏側にあるはずの、プランド名や細くなっているほうをとめるタグがなかったのだ。
ちなみにネクタイの名称で言うと、ブランド名などが刺しゅうされているものを「ネーム」または「ブランド通し」といい、その下に「小剣通し」または「ループ」というものがついていることもある。
へえ、知らなかった。
いまはたとえばネクタイも古くなった着物から再利用して仕立て直しする人がいると聞いたことがある。いいねえ。
ともあれ、ブランド通しがついたネクタイをさっそく使ってみようかと思う。
で、もっているうちの一本だけ、めったにつけないものがある。
なんでかというと、締めてもネクタイピンで止められないからだ。
今日、頼んでおいたネクタイの修理ができた。
どこが悪かったかというと、ネクタイの「大剣」、太いほうの裏側にあるはずの、プランド名や細くなっているほうをとめるタグがなかったのだ。
ちなみにネクタイの名称で言うと、ブランド名などが刺しゅうされているものを「ネーム」または「ブランド通し」といい、その下に「小剣通し」または「ループ」というものがついていることもある。
へえ、知らなかった。
いまはたとえばネクタイも古くなった着物から再利用して仕立て直しする人がいると聞いたことがある。いいねえ。
ともあれ、ブランド通しがついたネクタイをさっそく使ってみようかと思う。
地球の自然を思う ― 2010/02/06 23:10:57
東京は寒いけれど青空がひろがり、いい天気だった。
まもなくバンクーバー五輪だが、かの地では雪が足りないなどと聞く。一方でわたしの故郷北海道や新潟、アメリカ東部やヨーロッパは記録的な降雪や寒波だとも。
地球の自然の、ただただその豊かさ大きさに、驚く。
まもなくバンクーバー五輪だが、かの地では雪が足りないなどと聞く。一方でわたしの故郷北海道や新潟、アメリカ東部やヨーロッパは記録的な降雪や寒波だとも。
地球の自然の、ただただその豊かさ大きさに、驚く。
神がさきに導いて下さるから ― 2010/02/07 23:37:58
今日の礼拝説教で、牧師は「マタイによる福音書だけではなく、イエスさまが語られる言葉は実践するにはとても難しい。わたしたちにはとうていできないものだ」と語り、はたしてわたしたちにできるのか? と問うている。
たしかにかなりどころかそうとう難しいことばかりだ。
「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」
(マタイによる福音書5:43~44)
高校時代の弁論大会でもわたしは「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」というみ言葉を語った。
けれど、昨日の新聞報道で「死刑を「やむをえない」としている人の割合が85%」というデータがあった。もし仮に目の前に、親しい人を殺したその容疑者がいるとしたら、それでもはたしてゆるせるだろうか、愛せるだろうか。だがわたしは死刑には反対である。
今日の新聞に塙保己一(1746~1821)という、視覚障害者で学者だった人物が紹介されている。 彼が生きた江戸時代は視覚障害者というと琵琶・琴・三味線を習い、はり・きゅうを覚えるのがほとんどだった。いまと違って障がい者への福祉政策も保護もなく、わたしのような聴覚障がい者は手話などない時代、かなりの困難と苦難を抱いていたに違いない。
三味線も上達しない。医学書を読むほうは優れていて、2度読ませると次には一文字も間違えずに読む。けれど実技はからきしだめ。ついには投身自殺を考えたそうだが、「命かぎりにはげめば、などて業の成らざらんや(いのちのある限り励めばできないことがあろうか)」という、恩師の言葉を思い出して、書物を音読してもらい、超人的頭脳で記憶、大学者となったという。
なにも障がいのあるなしに関係ない。
本気で、いのちをかけて取り組みたい、生きたいと思うなら、神がさきに導いて下さると確信して生きよう。本気でいるなら、神さまがちゃんと導いて下さる。
自分を一番にするからややこしくなる。
神さまを、わたしにとって大切なひとを一番にして、自分は一番最後に。
本気でいるなら、神さまにおゆだねしつつ、生きていこう。
神さまからいただいたいのちだから、それにおこたえすることが大事だ。
たしかにかなりどころかそうとう難しいことばかりだ。
「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」
(マタイによる福音書5:43~44)
高校時代の弁論大会でもわたしは「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」というみ言葉を語った。
けれど、昨日の新聞報道で「死刑を「やむをえない」としている人の割合が85%」というデータがあった。もし仮に目の前に、親しい人を殺したその容疑者がいるとしたら、それでもはたしてゆるせるだろうか、愛せるだろうか。だがわたしは死刑には反対である。
今日の新聞に塙保己一(1746~1821)という、視覚障害者で学者だった人物が紹介されている。 彼が生きた江戸時代は視覚障害者というと琵琶・琴・三味線を習い、はり・きゅうを覚えるのがほとんどだった。いまと違って障がい者への福祉政策も保護もなく、わたしのような聴覚障がい者は手話などない時代、かなりの困難と苦難を抱いていたに違いない。
三味線も上達しない。医学書を読むほうは優れていて、2度読ませると次には一文字も間違えずに読む。けれど実技はからきしだめ。ついには投身自殺を考えたそうだが、「命かぎりにはげめば、などて業の成らざらんや(いのちのある限り励めばできないことがあろうか)」という、恩師の言葉を思い出して、書物を音読してもらい、超人的頭脳で記憶、大学者となったという。
なにも障がいのあるなしに関係ない。
本気で、いのちをかけて取り組みたい、生きたいと思うなら、神がさきに導いて下さると確信して生きよう。本気でいるなら、神さまがちゃんと導いて下さる。
自分を一番にするからややこしくなる。
神さまを、わたしにとって大切なひとを一番にして、自分は一番最後に。
本気でいるなら、神さまにおゆだねしつつ、生きていこう。
神さまからいただいたいのちだから、それにおこたえすることが大事だ。
たった一度のミスと記録には現れない献身 ― 2010/02/08 23:29:30
わたしにとって一年で一番生き生きしている日かもしれない、NFLのチャンピオンを決める、スーパーボウル。今年は第44回、フロリダ州マイアミにある、サンライフ・スタジアムで開催された。
対戦カードはNFC代表、New Orleans SAINTS対AFC代表、Indianapois COLTS。AFCの勝率1位とNFCの勝率1位、つまりプレーオフで最も強かったシード同士の対戦だ。
結果は31-17でNew Orleans SAINTSが初優勝した。チーム創立から43年目の歓喜である。
試合全部をまだ見ていないのだけれど、やはり両チームともにパスオフェンスに優れているだけに、いかにパスを通させないか、パス攻撃をさせないか、という戦前の予想通り、試合開始から守備、とくに最後列で守るSS(ストロングセーフティー)やCB(コーナーバック)など守備バック、最前線のフロントラインの後ろで守るLB(ラインバッカー)がいい動きを見せていた。
野球でいえば打者が打席に立つ回数であろう、ファーストダウンの獲得回数がSAINTSは20に対し、COLTSが23(以下同)。うち、ランによる獲得回数は3-6。パスによる獲得回数は16-16とほぼ互角。
4回で10ヤード進めばさらに4回の攻撃権が得られる。つまり3回目と4回目の攻撃で成功したかどうかがかぎになる。ということは、3回目の攻撃(第3ダウンコンバージョン)4回目の攻撃(4ダウンコンバージョン)は、それぞれ9回試みて3回、1回試みて成功なしのSAINTSに対してCOLTSは13回で6回、2回試みて1回それぞれ成功。COLTSは3回目の攻撃で確実に次の4回の攻撃権を得られる、堅実なプレーぶりだったと言える。
総獲得ヤードはSAINTSが332、COLTSは432。圧倒的にCOLTSが優位。パス獲得ヤードは281対333。ランは51対99。ランの平均獲得ヤードは2.8対5.2。だがパスの平均獲得ヤードは7.0対7.4。これは互角と言っていい。
ではなぜ、New Orleans SAINTSがIndianapois COLTSに勝ったのか。
戦前の予想では、両チームともにパスオフェンスが優れている。だからパスを投げて相手にボールを奪われるなどのミスをした方が負け、というものだった。
実際その通りで、たったひとつ、SAINTSが勝っていたのが、被インタセプト回数と、インタセプト回数によるリターンヤードだ。SAINTSは被インタセプトなし。1回のインタセプトで74ヤードを走り、COLTSは被インタセプト回数を1回と、インタセプト回数によるリターンヤードで74ヤード走られてしまった。つまり決勝のタッチダウンにつながるミスを犯した。やってはいけないミスをやった方の負け。これが目に見える、試合を左右した原因である。
だがほかにもある。
New Orleans SAINTSのQB、Drew BreesとIndianapois COLTSのQB、Peyton Manningだ。パスを投げる前にタックルされる(被サック)こそ1回で7ヤード奪われたDrew Breesだが(Payton Manningは被サックなし)、しっかり味方の攻撃ラインが相手の守備ラインを抑えていた。とくにNew Orleans SAINTSのオフェンスラインはIndianapois COLTSの右DE、Dwight FreeneyのラッシュからBreesを守っていた。ときには2人がかりで食い止めていたほどだ。なぜ右DEからかというと、Breesは右利きでありボールを投げるのも右手である。プレーが始まってボールを投げるぎりぎり直前まで敵味方の選手の動きを確認はしているが、パスを投げるさい、背中や後ろに敵の守備ラインが迫っているかどうかまでは見えない(Blind side)。オフェンスラインがBreesの後ろや背中を敵の守備ラインからタックルされないようにしっかり守っていれば、Breesは少なくともパスを投げることに集中できる。
こういった、記録には現れない陰とでもいうべき、献身が勝利につながったのだ。
対戦カードはNFC代表、New Orleans SAINTS対AFC代表、Indianapois COLTS。AFCの勝率1位とNFCの勝率1位、つまりプレーオフで最も強かったシード同士の対戦だ。
結果は31-17でNew Orleans SAINTSが初優勝した。チーム創立から43年目の歓喜である。
試合全部をまだ見ていないのだけれど、やはり両チームともにパスオフェンスに優れているだけに、いかにパスを通させないか、パス攻撃をさせないか、という戦前の予想通り、試合開始から守備、とくに最後列で守るSS(ストロングセーフティー)やCB(コーナーバック)など守備バック、最前線のフロントラインの後ろで守るLB(ラインバッカー)がいい動きを見せていた。
野球でいえば打者が打席に立つ回数であろう、ファーストダウンの獲得回数がSAINTSは20に対し、COLTSが23(以下同)。うち、ランによる獲得回数は3-6。パスによる獲得回数は16-16とほぼ互角。
4回で10ヤード進めばさらに4回の攻撃権が得られる。つまり3回目と4回目の攻撃で成功したかどうかがかぎになる。ということは、3回目の攻撃(第3ダウンコンバージョン)4回目の攻撃(4ダウンコンバージョン)は、それぞれ9回試みて3回、1回試みて成功なしのSAINTSに対してCOLTSは13回で6回、2回試みて1回それぞれ成功。COLTSは3回目の攻撃で確実に次の4回の攻撃権を得られる、堅実なプレーぶりだったと言える。
総獲得ヤードはSAINTSが332、COLTSは432。圧倒的にCOLTSが優位。パス獲得ヤードは281対333。ランは51対99。ランの平均獲得ヤードは2.8対5.2。だがパスの平均獲得ヤードは7.0対7.4。これは互角と言っていい。
ではなぜ、New Orleans SAINTSがIndianapois COLTSに勝ったのか。
戦前の予想では、両チームともにパスオフェンスが優れている。だからパスを投げて相手にボールを奪われるなどのミスをした方が負け、というものだった。
実際その通りで、たったひとつ、SAINTSが勝っていたのが、被インタセプト回数と、インタセプト回数によるリターンヤードだ。SAINTSは被インタセプトなし。1回のインタセプトで74ヤードを走り、COLTSは被インタセプト回数を1回と、インタセプト回数によるリターンヤードで74ヤード走られてしまった。つまり決勝のタッチダウンにつながるミスを犯した。やってはいけないミスをやった方の負け。これが目に見える、試合を左右した原因である。
だがほかにもある。
New Orleans SAINTSのQB、Drew BreesとIndianapois COLTSのQB、Peyton Manningだ。パスを投げる前にタックルされる(被サック)こそ1回で7ヤード奪われたDrew Breesだが(Payton Manningは被サックなし)、しっかり味方の攻撃ラインが相手の守備ラインを抑えていた。とくにNew Orleans SAINTSのオフェンスラインはIndianapois COLTSの右DE、Dwight FreeneyのラッシュからBreesを守っていた。ときには2人がかりで食い止めていたほどだ。なぜ右DEからかというと、Breesは右利きでありボールを投げるのも右手である。プレーが始まってボールを投げるぎりぎり直前まで敵味方の選手の動きを確認はしているが、パスを投げるさい、背中や後ろに敵の守備ラインが迫っているかどうかまでは見えない(Blind side)。オフェンスラインがBreesの後ろや背中を敵の守備ラインからタックルされないようにしっかり守っていれば、Breesは少なくともパスを投げることに集中できる。
こういった、記録には現れない陰とでもいうべき、献身が勝利につながったのだ。
彼らにできたのだから ― 2010/02/09 23:19:58
その第44回スーパーボウルは、アメリカ国内のテレビ視聴者数が1億650万人と過去最高の数字を記録したという。16年ぶりのAFCとNFCのトップシード同士の対決ということと、もうひとつ、ニューオーリンズの初出場ということが大きい。
これまで9回スーパーボウルを開催したニューオーリンズ市だが、チーム創立の1966年以来、セインツは一度も出場したことがない。
ニューオーリンズ市も、大きな試練に見舞われた。2005年8月にこの市を襲ったハリケーン「カトリーナ」である。市の8割が水没し、セインツの本拠、スーパードームも一部とはいえ、屋根が吹き飛ばされた。多くの市民が避難所として利用したために、フットボールゲームができない、球場として使えず、遠くニュージャージーまで本拠を間借りして試合を行ったことは、以前ここに書いた。実際、球団経営が危機にひんしたため、セインツの移転とチーム身売り話があったほどだ。
ニューオーリンズを含むルイジアナ州には、プロスポーツチームはいくつかあるけれど、メジャーなチームは、セインツだけだ。アリーナフットボールやマイナーリーグベースボールのチームだけでは、試合を見に来るお客さんは来ない。だからセインツだけが「希望の星」だった。
もうひとつ、ニューオーリンズには思い出がある。
わたしは、元セインツのOBでセインツの「ホール・オブ・フェイム」名誉の殿堂入りした名選手に会いに行ったことがある。1997年のシーズン前のことだ。
Tom Dempseyという、彼は片手片足が義手義足の選手だ。義手義足ではとても走ったり投げたりはできない。だが、大きな記録をもっている。
1970年11月8日、いまのスーパードームを本拠とする前にセインツが本拠球場として使っていたチュレーン大学のチュレーンスタジアム、対Detroit Lions戦で、63ヤードのフィールドゴール記録を出した。繰り返すがいまとは違い、チュレーンスタジアムは屋外の球場だ。風の影響などを考えると信じられないというしかない。
写真は、ニューオーリンズ郊外にある、セインツのオフィシャルショップで購入した、球団創立25周年を記念した写真集「The Saga of the Saints」から、1970年11月8日の63ヤードのフィールドゴール場面と、昨日ずっと締めていた、セインツのネクタイだ。
Tom Dempseyさんに、通訳を介して1970年11月8日のできごとや思い出をきいたり、なぜプロフットボール選手になりたかったのかなど、いろいろきいた。
障がい者ということで、ご本人もいろいろつらいことがおありだった。
けれど高校時代のコーチや周囲からの励ましが支えだった。障がいがあるから、義手義足だからというのではなく、逆境の中でもやりたいという意志、あきらめないということを強く教えられたという。
できるならもう一度、お会いしたいといまでも思う。
ハリケーンの災害、がれきのなかから立ち上がろうとしているニューオーリンズ市と市民。彼らが、苦難の中からもセインツを応援し続けた。セインツも、遠くニュージャージーまでホームスタジアムを間借りしたり、移転やチーム譲渡の危機に直面したりしながらも、市民の応援にこたえようとし、精いっぱいプレーしてきた。
ニューオーリンズ市民やセインツの選手たち、コーチたちが、さらにはTom Dempseyさんができたのだから、わたしにだってできないはずはない。
ただひとつ、神さまにおゆだねして、どんなことがあっても、必ず道が開かれるし、備えてくださると信じよう。
だからわたしはあきらめないし、希望をもっている。終わりの日まで。わたしが神のみもとに帰る、その日まで。
これまで9回スーパーボウルを開催したニューオーリンズ市だが、チーム創立の1966年以来、セインツは一度も出場したことがない。
ニューオーリンズ市も、大きな試練に見舞われた。2005年8月にこの市を襲ったハリケーン「カトリーナ」である。市の8割が水没し、セインツの本拠、スーパードームも一部とはいえ、屋根が吹き飛ばされた。多くの市民が避難所として利用したために、フットボールゲームができない、球場として使えず、遠くニュージャージーまで本拠を間借りして試合を行ったことは、以前ここに書いた。実際、球団経営が危機にひんしたため、セインツの移転とチーム身売り話があったほどだ。
ニューオーリンズを含むルイジアナ州には、プロスポーツチームはいくつかあるけれど、メジャーなチームは、セインツだけだ。アリーナフットボールやマイナーリーグベースボールのチームだけでは、試合を見に来るお客さんは来ない。だからセインツだけが「希望の星」だった。
もうひとつ、ニューオーリンズには思い出がある。
わたしは、元セインツのOBでセインツの「ホール・オブ・フェイム」名誉の殿堂入りした名選手に会いに行ったことがある。1997年のシーズン前のことだ。
Tom Dempseyという、彼は片手片足が義手義足の選手だ。義手義足ではとても走ったり投げたりはできない。だが、大きな記録をもっている。
1970年11月8日、いまのスーパードームを本拠とする前にセインツが本拠球場として使っていたチュレーン大学のチュレーンスタジアム、対Detroit Lions戦で、63ヤードのフィールドゴール記録を出した。繰り返すがいまとは違い、チュレーンスタジアムは屋外の球場だ。風の影響などを考えると信じられないというしかない。
写真は、ニューオーリンズ郊外にある、セインツのオフィシャルショップで購入した、球団創立25周年を記念した写真集「The Saga of the Saints」から、1970年11月8日の63ヤードのフィールドゴール場面と、昨日ずっと締めていた、セインツのネクタイだ。
Tom Dempseyさんに、通訳を介して1970年11月8日のできごとや思い出をきいたり、なぜプロフットボール選手になりたかったのかなど、いろいろきいた。
障がい者ということで、ご本人もいろいろつらいことがおありだった。
けれど高校時代のコーチや周囲からの励ましが支えだった。障がいがあるから、義手義足だからというのではなく、逆境の中でもやりたいという意志、あきらめないということを強く教えられたという。
できるならもう一度、お会いしたいといまでも思う。
ハリケーンの災害、がれきのなかから立ち上がろうとしているニューオーリンズ市と市民。彼らが、苦難の中からもセインツを応援し続けた。セインツも、遠くニュージャージーまでホームスタジアムを間借りしたり、移転やチーム譲渡の危機に直面したりしながらも、市民の応援にこたえようとし、精いっぱいプレーしてきた。
ニューオーリンズ市民やセインツの選手たち、コーチたちが、さらにはTom Dempseyさんができたのだから、わたしにだってできないはずはない。
ただひとつ、神さまにおゆだねして、どんなことがあっても、必ず道が開かれるし、備えてくださると信じよう。
だからわたしはあきらめないし、希望をもっている。終わりの日まで。わたしが神のみもとに帰る、その日まで。
暖かくなり 寒くなり ― 2010/02/10 23:19:10
昨日が4月並みの暖かさだと思っていたら今日は夕方から雨。やっかいなことに、昨日今日と耳鳴りやめまいがある。まいったね。
とはいえ、だんだん春らしくなっていく。
北海道、東北や北陸が豪雪に見舞われて大変ないっぽう、まもなくはじまるバンクーバー五輪は、雪不足だという。モーグル会場では雪の代わりにわらでつくったクッションを使うのだそうだ。
やれやれ。
暖かくなり寒くなり。たいへんだねえ。
とはいえ、だんだん春らしくなっていく。
北海道、東北や北陸が豪雪に見舞われて大変ないっぽう、まもなくはじまるバンクーバー五輪は、雪不足だという。モーグル会場では雪の代わりにわらでつくったクッションを使うのだそうだ。
やれやれ。
暖かくなり寒くなり。たいへんだねえ。
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