スポーツのすばらしさ2010/02/22 23:59:10

このあいだ、都営地下鉄を利用していて、学生服姿の高校生らをみかけた。
見ると、アメリカンフットボールのチームバッグがある。強豪として知られた高校だ、とすぐにわかる。

わたしは学生時代、アメリカンフットボールにあこがれてはいたけれど、からだも小さいしけがが多いスポーツだから、とてもできるものではない、ボールを投げることくらいしかできない。だからか、選手たちにはほんとうにせん望のまなざしをいつもおくっている。
わたしが会った高校生らが将来もフットボールを続けてくれるかどうかはわからない。だが「やれるなら日本代表を目指してほしい」と話した。

卓球は年をとっても、たとえばラージボールにするとか、方法次第でいくらでも楽しめるし、試合に出ることを目標にせずとも、健康づくりや仲間づくりという、新たな目的をもってかかわることができるだろう。
だが、フットボールは体力に応じてとはいっても、いつかは限界がやってくるしからだがいうことを聞かないときが必ず来る。

わたしが言いたいのは、スポーツを続けられる限りは続けてほしいし、やれる人は、やれない人にとってはあこがれであり、なにかを期待されているのだ、ということだ。たとえ勝ち負けにつながらずとも、ヘルメットや防具を身につけて走り、ボールを投げ、あるいはタックルをする。そのプレー一つひとつに、自分ができない夢と希望を寄せているのだ、ということだ。

オリンピックをみても同じことが言える。
戦う選手たちは男女問わず、とても美しい。この一瞬に全力を尽くしているからだろう。

スポーツのすばらしさは、勝ち負けはもちろんだけれど、選手の生きざまなり生き方なりが感じられるところにあるからかもしれない。