表現の世界でなにより大きなもの2010/02/24 23:03:05

人間性というか、言葉を発さずとも伝わる「なにか」がだいじではないだろうか、そんなことを強く感じさせられる。

午前中からお昼をはさんで、テレビの前でバンクーバー五輪、女子フィギュアスケート・ショートプログラム(SP)に釘づけになっていた人が多かったのではないだろうか。
わたしも、日本人選手の滑走のときだけ少し席をはずして放送を見ていた。

そのなかでわたしがこころから応援していたのは、日本人選手では最年長24歳の鈴木明子さんと、同年齢のJoannie Rochetteさん(カナダ)だ。

鈴木さんは摂食障害を克服してリンクに立ち、Rochetteさんはこの五輪開幕直後にお母さんを亡くした。
とても普通では耐えられない状況を乗り越えて――おふたりともそういう言い方を好まないだろうけれども――しかし観る人には大きな感動と勇気を与えてくれた。
鈴木さんは演技開始直後に最初のジャンプで右手をついた。その動揺を見せずに最後まで美しいスケーティングを見せてくれた。Rochetteさんも気丈にリンクに立った。地元の大声援を背に、大人のタンゴを演じきり、SPの自己最高を更新する71.36点を出した。

お二人の強さにこころ打たれた、という部分もあるけれど、スポーツや演劇という表現の世界でなにより大きなものは、言葉を発さずとも伝わってくる「なにか」があるかないか。そう思う。

秋の舞台への取り組みもそろそろ始めなくてはと思う。
わたしも、長い時間をかけて取り組むからには、何かを伝えられるようにわたし自身をありのままさらけ出せるような、なにかをもっていたいと思う。

時間がかかるのだろうけれど、そのことを惜しんではいけない。