リンゴの木を植えよう2009/04/21 23:02:31

わたしは高校時代の弁論大会で3年間弁論を続けたことがある。それを、高校の恩師は認めて下さった。聞こえないけれど話せる、ということは大きなことだ、と励ましてくださった。
それから歳月がたって、いま。
朗読と手話をとおして自己表現の世界をみつけることができた。人と比較するのでも比較されるのでもなく、あるがままでいいのだと思えるようになった。

病気かもしれないこのからだの痛みは、ほんとうにつらい。眠れないくらいにお腹が痛いときもある。だからといってペシミズム(pessimism)になっているかというと、そうではない。むしろもっと積極的になろうと思っている。

わたしがいまもしくは明日死んだとする。それでわたしという人間の人生は終わる。
でも、終わるその瞬間まで何をしたか。言いかえれば明日終わるとしてもいま、今日という日、一瞬一瞬をどう生きたかで、違ってくる。
たしかにわたしの人生はいつかは終わる。それはこの世の出来事とは関係ないかもしれない。でも、わたしが生きたということで、ひとりでいいから、わたしを記憶してもらえたなら、それで十分、この世に生きたという意味はあるのではないだろうか。
だから、朗読舞台や手話ソングを、大切な人にみてもらいたいし、多くの人に見に来ていただきたい。もしかしたら見に来てもらえないかもしれない。誰も来ないかも知れない。思いは実らないかもしれない。でも実るかどうかが大事なのではなくて、取り組み続けることが大事。わたしにとっては大切な人のために、大切な人、同じ障がいのある仲間のためにやりたい。自分のため、は一番最後。
明日終わるとしても、リンゴの木を植えよう。報われないかもしれないが、報われることを期待するのではなく、何かを遺そうとする歩みを止めないことこそが、大事だとわたしは思う。

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