生涯終わりがない学び2009/04/10 22:02:41

今日からまた、東京都身体障害者福祉会館で、中途難聴者向けの手話講習会が始まった。
わたしもかつて学んだこの講習会は、人生の途上で聞こえなくなった、あるいは幼少のころから聞こえなくなって、それまでは手話の必要性を感じていなかったけれど次第に手話を覚えようという人たちなどが多い。
今日から学びを始めた、講習会の受講生に、幸いが豊かにありますように。

中途難聴者は、聞こえの程度がまちまちで個人差があり、わたしのように普通に話せるけれど補聴器をはずすとまったく聞こえない人から、補聴器をつけているけれど聞こえる人と会話が可能な人まで、さまざまである。それだけにコミュニケーション手段では筆談、補聴器などの器具を使う人から、読話といって口の動きを読むなどと、これまたいろいろである。
けれどひとつしかないよりは、いくつもの会話コミュニケーション手段を持っていたほうが、広がりのある会話ができるし、自分がいくつものコミュニケーション手段を持っていることで、相手にもそれを伝えていくなかで、お互いの理解が広がればと思う。

矛盾しているのを承知でいえば、わたし個人は、手話を身につけてしまったし、読話には自信がない。静かなところでは分かっていても、騒音のあるところではたまごとなまこ、たばこの区別がつきにくい、というように実際失敗して恥をかいたことがある。
わたしにとってコミュニケーション手段の第一は手話である。手話のできる人と一緒にいられたらどんなに楽しいだろう。これからもずっと手話の学びを続けるつもりだ。生涯終わりがない学びである。

自宅に帰って手話ソングの練習。「学生時代」を続けている。まだ曲のタイミングがつかめない。間奏で失敗してしまう。
もっともっと練習を積み重ねたい。

明日は病院へ行く。筆談ノートと呼び出しベルを忘れずに。
早いので今日はこのへんで。