夢多かりしあのころ なつかしい日々は帰らず2009/04/03 07:06:51

青山学院大学本部前にある「学生時代」歌碑 
仕事が終わってから、わたしがこの夏にも発表してみたいと考えている手話ソングのレッスンをいただく。
「ありがとうの歌」の手話訳をもう少し変えたり加えたり、ご高齢の方でも表わしやすいようにしてみる。実際にやって、おおむねこれでいいと納得できた。

今日は新しく、ペギー葉山さんの「学生時代」をつくってみる。

この日のためにわたしも、自分なりの手話表現を考えてみた。だが、なんといえばいいのか、詩的なイメージの歌詞ゆえ、ただ単に単語をあてはめるだけでは伝わりにくい。やってみてとても難しいと感じた。

たとえば――。
「つたのからまる」。もう少し具体的にイメージするなら、高校野球で知られる阪神甲子園球場の外壁にあるつた。あれと同じように考える。指文字で「つた」とやって両手で上へ広がるさまを表わしてもいい。あるいは葉っぱが上へ伸びていくさまでもいいだろうか。
「枯葉の散る窓辺」。紅葉でもいいだろうし、葉が散ってるでもいいだろうか。
「なつかしい友の顔が ひとりひとり浮かぶ」。「ひとりひとり」を数字で1人1人、としてもいいが、わたしは数字ではなく、脳裏に自然に浮かんできた、と言う意味で「自然に」と訳してみた。
まだまだ研究や検討の余地があり、次回またご指導をいただくことになっている。

完全な表現ではないけれど、つくってみた表現を、ご指導くださった手話通訳士の方と一緒に、CDの曲に合わせてやってみた。
……。とても涙が出て、ウルウル泣いてしまった。この歌は青山学院大学がモデルだそうだが、わたしも青山学院ではないがミッションスクールの卒業生で、在学時代、チャペルに通ったことがあるし誰もいないチャペルでひとり祈ったこともある。若かったから賛美歌を歌い、いろんなあこがれを抱いたものだ。この歌詞のもつイメージや歌詞そのものに共感と実体験があるのだ。
いろいろな思いがこころにわきあふれて、手話でやっているうちにとめどもなく涙が流れてきたのだ。……年とったかな。

学生時代に限ったことではない。みんなひとりひとり、生きているあいだに、宝のように大切な思い出があるはずだ。
「なつかしい日々は帰らず」。手話では「なつかしい、いつも」と訳してみた。
遠くはるか忘却の彼方にある、その懐かしい日々を胸に、いまこれからを大切に生きたい。