乾ききったこの社会2008/08/22 23:44:00

中3ら8人、知的障害者ら狙い恐喝容疑で逮捕 青梅
http://www.asahi.com/national/update/0822/TKY200808220181.html?ref=desktop

知的障害者らに暴行、強盗=容疑で少年8人逮捕-「いじめて何が悪い」・警視庁
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008082200392

知的障害者ら狙い暴行や恐喝、少年8人逮捕・1人相談所送致
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080822-OYT1T00367.htm

今日いろんなニュースがあった中で、何といって、この事件ほどあきれ情けないニュースはない。
掲示板にもいろんな書き込みが出ていた。「事件を起こした少年や親の実名、顔写真を出せ」「少年法をなくせ。こういう事件で守られている加害者の人権などない」「打ち首、さらし首にすべきだ」。さらには「一生社会に出すな」「親も少年と同類だろう」という書き込みも。

それらの書き込みの是非はともかくだ。
はっきり言っておきたい。事件を起こした少年たちに問いたい。
きみたちは人の痛みをどう考えているのだ。自分さえよければいいのか、欲望のままに人をおとしめ傷つけてなんとも思わないのか。

障碍者だからいじめられて当たり前、弱いやつをいじめて当然。
こういう考えがなぜ生まれるのか、どうしてこういう発想をするのか。親も含めて、どういう教育をしているのか。
何とも言い難い、あきれ果ててしまう。

今日、たまたま仕事を終えて用事を済ませた帰りに、渋谷駅で通行人が切りつけられる通り魔事件が起きた。わたしは巻き添えにならなかったのだけれど、今年に入ってからの通り魔事件も、「誰でもよかった」という一方的、自己中心的な考えで起こしたらしい。さまざまな原因がほかにもあるけれど、底流には「誰でもいい」という、自己中心さがある。

わたしも、事件を起こした少年たちからみれば「弱いやつ」である。
けれども評論家のような訳知り顔はしたくない。なぜならわたしも当事者だから。掲示板にあるような、断罪したり社会から抹殺したり排除したりすればそれでいい、という立場には賛成できない。

他人への思いやり、尊敬、いたわりというものを失ってしまった、乾ききったこの社会。
どこでこんな社会になってしまったのだろう。

コメント

_ マクロス ― 2008/08/26 20:31:25

お元気ですか。

この事件をニュースで知ったとき、思わず「死刑だ」
と言ってしまいました。
とにかく酷い、人の痛みをなんとも思わない、反省もない、
どんな教育を受けてきたのか、親は何を教えてきたのか、
とても悲しい事件です。

でも、批判だけじゃだめですよね。
もしそこに自分が通りかかっていたら、勇気を持って助けることができたか。

優しい社会を築くために、自分は何か影響を与えられることをしているだろうか。

このような少年達に愛を伝えることができるだろうか。

絶望するよりほかないようなこの社会で、それでもなお望みを捨てずにいたい。

マクロス

_ スマイル ― 2008/08/26 21:33:08

マクロスさん


お久しぶりです。そちらは気温がかなり下がったことでしょうね。東京は下がったといってもまだ半そでで十分なくらいです。

さて。
この事件が伝えられた直後にネット上での書き込みは、まさに「死刑だ!」のオンパレード、少年たちはもちろん親の実名も出せ、など続出していました。
そう言いたい気持ちはわかるんです。
でもそれでいいのか? 社会から排除してしまって、何もなかったかのように、事件さえもなかったかのようにしてしまえばそれでいいのでしょうか。
わたしも障碍者ですから、怒りはありますし、激怒しました。でもそれで終わらせたら意味がない。
いまは閉そくした世相の上に、悲惨な事件が相次いで伝えられていますから、どこかではけ口をもとめ、カタルシスを解消したいのでしょう。

でも、マクロスさん。思い出しませんか?
イエスを十字架につけて処刑したあの時代とそっくりなことを。
イエスは革命を起こそうとしたのではなく(結果的に革命といえるのかもしれませんが)、社会を混乱におとしめようとしたのでもなく、神の愛を伝えようとしただけです。なのに弟子たちは勝手にローマから解放してくれる存在としてあがめ、民衆もそう思った。なのにかなえられないと知って、今度は十字架につけろ、と騒いで結局、イエスを処刑してしまった。
あの時代とそっくり、どこか似ているような気がします。

絶望するしかないようなこの時代ですが、望みを捨てないように、しかし空虚な机上の論議ではなく、真剣に、あの事件を起こした少年たちに、命の尊さを伝えたい。
どうしたらいいのか、問いかけられています。

スマイル

_ マクロス ― 2008/08/27 21:24:37

思わずストーブを点火してしまったほど寒くなった北海道です。

私の敬愛する加藤常昭先生(鎌倉雪ノ下教会前牧師)の著書にこんな話が書いてありました。

かつて日本軍の兵士として戦争に参加し、戦後入信、教育者として生き抜いた方から届いたはがきに、次のような一首の歌が添えられていたそうです。

「われもまた 兵なりしかばゴルゴダに イエスの衣 奪いしと思う」

深く胸を突く歌ですよね。
マタイ23:29-30で主イエスが語られたように、
もし私がそこにいたら、そんな悪い奴の仲間にならなかっただろうと、
義人を装ってしまう私たち。
それこそが、主イエスを十字架につけた最大の暴力だったのでしょうね。

マクロス

_ スマイル ― 2008/08/27 23:31:58

マクロスさん

スマイルです。
おっしゃるとおりです。
考えたくないけれど、もしいま目の前に、大切な人を奪った相手がいて、復しゅうしてもよいと言われたら。そこに武器があって、相手は無抵抗だったとしたら。

でもわたしはできるかぎり、復しゅうする立場には立ちたくないし、復しゅうする行為もしたくない。

どこかで義人ぶっているのかもしれません。
けれど、復しゅう、怒りの連鎖が、あるいは暴力と自分は無関係だと、距離を置きたがる。あるいは自分は関係ない、自分は正しいのだと思いたがる。
それが主イエスを十字架につけた、一番の原因だと思うのです。

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