ようやくたどり着けるもの2008/08/14 23:16:03

仕事を終えてから卓球の練習へ。フットボールジャージはもちろん、びっしょり濡らして汗を流してきた。練習は裏切らない。補聴器をはずして教えていただく。当然、音は聞こえない。教えてくださった方はわたしが難聴だとはまったく存じない。だが食いついてどうにか教えていただいたことを習得することができた。

さて話を変える。
いま聖書にはさんでいる、いくつかの言葉を引用してみたい。

態度が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。運命が変われば人生が変わる。

We must change to remain to the same.

God
Grant me the serenity to accept the things I cannot change.the courage, to change the things I can, and the I wisdom to know the difference.

ひとことで「変わる」というけれど、ガラッと変わってしまう、劇的な変化などありはしない。変わるということは突然起こることではなくて、じっくり時間がかかり、いろんなかっとうや苦しみや悩みをへて、ようやくたどり着けるものだと思う。そうでなければ、変わったということが周りに伝わらない、実感として受け止められないのではないだろうか。

変わるためには、自分のいまのありよう、あり方を受け入れ、未来の自分にとって必要なものと不必要なものを識別する眼と、変わることを受け入れようという勇気。そして根っこにある、それまで自分をつくりつちかってきたものにたいする確固とした確信があって初めて、できるのではないだろうか。

だから劇的な変化などありはしない。あったらうそだとわたしは思う。
柳のようなしなやかさと、何者にも左右されないという強い意志と。相反するようだけれど、このふたつが、「変わる」ために必要なものではないだろうか。