わたしは耳が聞こえません。それでいいのだ2008/08/07 23:25:59

漫画家の赤塚不二夫さんの葬儀が今日、東京都中野区の宝仙寺で営まれたという。
赤塚不二夫さんの漫画というと、わたしは「おそ松くん」が好きだった。代表作「天才バカボン」も何度か読んだけれど、あまりのギャグの洪水に、気おくれした記憶がある。
ともあれいまになってみると「これでいいのだ」という、あの有名なフレーズが思い出される。

今回の朗読舞台でも、「それでいいのだ」という言葉で締めくくっている。「わたしは耳が聞こえません。それでいいのだ」

昨日ご指導をいただいたとき、一瞬「これでいいのだ」というフレーズを思い出し、手話通訳士の方に「それでいいのだ!」と絶叫するというアイデアは思いついたことがあるけれど、絶叫するのはふさわしくない似つかわしくないと思ったと伝えた。通訳士の方もわたしもともに大笑いした、「それでいいのだ!」と絶叫するアイデアだったけれど、舞台上ではさておき、なるほどなかなかふさわしい、含蓄のある言葉かもしれない。

話を葬儀に戻す。
タレントのタモリさんが、今日のこの葬儀でお別れの言葉を語ったという。一部を引用してみる。
「あるがままを肯定し、受け入れ、人間を重苦しい陰の世界から解放しました。すなわち『これでいいのだ』と」

難聴という、目に見えない障碍について障碍者が書いた文を、同じ障碍者が手話と声で語る。映像や音楽の助けも借りて。
絶叫するのもありかも知れない。机をたたくように声高に主張するのもいいかもしれない。
けれど、舞台上では絶叫も主張も、うるさく目障りで、目立つだけでしかないのかもしれない。

耳が聞こえず不自由だけれど、不便ではない。
ありのままに自分を、周囲を受け入れ、自分の上にある重苦しい陰を取り払い、自分を押さえつけ周囲から押さえつけられる理不尽な世界から解放される、自由になること。
だから淡々と静かにでいいから、しかしきっぱり確固とした意志をもってわたしも「それでいいのだ」と、言いたい。