自転車2014/12/21 22:11:31

礼拝後、妻と待ち合わせをして、今週クリスマスパーティーをともにするお客様をお迎えするための買い物に。途中で自転車店を訪れた。というのも、妻に自転車をプレゼントしたいと思っているからだ。

最近の自転車はフレームからタイヤから、いろいろさまざまなものがあるようだ。ママチャリというけどあなどるなかれ、ペダル部分と前輪部分をつなぐ車体フレームがカーブ形状になっているとか、ブレーキをかけても音がしないとか、いろいろ変わってきているらしい。

とはいえ、何度かここでも書いたように、自転車乗りのマナーは気になる。
妻にも言っていることだけど、自動車にはねられるとかぶつかるとかいった自分が被害者になるだけではない。自分がだれかをはねたり傷つけたりすることもあるのだから、自転車とはいえ、気をつけてほしいと思う。
わたしはかねがね、自分が事故に遭って死ぬのはまあしかたない。それもきちんとルールやマナーを守った上でならばだ。だが、自分がマナーやルールを守っていても事故は起きるときは起きる。ましてだれかを傷つけたり死なせたりするのはまっぴらごめんだしいやだ。自分が死ぬのよりだれかを傷つけあるいは死なせるのは自分が死ぬよりも嫌だと思っている。

妻にも、こういったことに気をつけて自転車を安全に利用してほしい。

「クラシックっていいね」2014/12/22 23:06:09

師走の名物というか、これなしでは正月を迎えられない、というもののひとつ、第九。
仕事のあと妻と一緒に、NHKホールのN響のコンサートに行ってきた。

本音を言えば、もっと前のいい席で聴きたいと思ったのだが妻が「後ろでもいいでしょ」と、3階席後部を注文。NHKホールは音響がいいからそこでも悪くないね。でも前の方がほんとうは迫力や音の響きなど感じられるんだけどなあ。

テンポはやや速いようにも感じたけど、何度も聴き慣れた曲だから曲の入りもすんなり入れた。妻の手を握ってステージのドラムやバイオリンのメロディ、テンポに合わせてみる。横で見ている妻は「ゆっくり落ちついて聴きなさいよ」というけれど。

帰り際に意見が一致したのは「クラシックっていいね」ということだった。
へんちくりんな賛美なんぞよりずっといい。
音楽理論だとか小難しいことを並べ立てるより、歴史の風雪に耐えた音楽だからこそクラシックたりえる。ベートーベンもモーツァルトもバッハもヘンデルも。

クリスマスパーティーを開いた2014/12/23 23:44:14

クリスマスを目前にした今日。妻とわたしの共通の知人友人を自宅に招いてささやかではあるがクリスマスパーティーを開いた。

賛美歌の話やフットボール、教会、年末年始の予定など多岐にわたった尽きない話題で時間があっというまに過ぎていき、日本人女性と結婚したアメリカ人男性が高校時代にフットボール選手だったことからNFL第12週、カンザスシティー・チーフス対オークランド・レイダーズの試合を前半途中まで一緒に観るなどした。
あいまに、昨年購入したゲーム、ジェンガも。

こういうつながりは大事に育てていきたいものである。

15の病2014/12/24 23:19:39

今日の夕刊にあった興味深い話。

わたしはプロテスタントのクリスチャンだが、ローマ・カトリックにも信徒である知人がいたこともあって、寛容の立場である(なかには敵視している人も残念ながらいるのだけど)。

で、現ローマ法王、フランシスコ法王が23日に枢機卿向けに行ったクリスマスのあいさつで語ったというのが「バチカンが患う15の病」。

1  自分たちが不滅で不可欠だという感覚
2  働きすぎ
3  心が石のように頑固になること
4  計画しすぎること
5  調和なく働くこと
6  妄執や誤った考えにとらわれること
7  貼り合ったり虚飾に走ったりすること
8  現実に向き合わないこと
9  陰口を言うこと
10  上司の神格化
11  他者への無関心
12  お葬式のような深刻な顔
13  物欲
14  閉じられた「内輪」を優先すること
15  世俗的な利益を求め、三枝を張ること

ひとつひとつの解説はおくとするが、この15の病は宗教についてだけ問われていることではないとわたしは思う。もちろん宗教の中でよくみられる問題なのだけれど、人間は弱いもろいものだから、この1から15のいずれにもあてはまることがないとはいえない。読んでいる人おひとりおひとりにも、胸に手をあててみれば、ハッとさせられる心当たりがあるがずだ。

問題は、それを断罪して誰かがそうだというのではなく、自分にもあてはまるという自己認識から、ではどうするか、ということを問われている。

"The Rose” の楽譜が届いた2014/12/25 23:37:09

クリスマスが終われば、もういくつ数えるまでもなく新しい年は目の前だ。

ギター教室が事情で休講になり、代わりに自宅でこの間のボランティア演奏でやった曲やペギー葉山さんの『学生時代』などを弾いてみる。
今日、ネットで注文した"The Rose” の楽譜が届いた。

妻と一緒に始めたギターも、2015年も新しい曲を覚えたり、発表の機会をさがすなどして続けていきたい。もちろん仲間と一緒に手話ソングも。

わたしたちにも問われていること2014/12/26 23:05:14

仕事納めはまだ、という方もいらっしゃるだろうが、わたしは今日が仕事納め。といっても周囲と飲みに行くとか打ち上げをやるとかいったことはなく、いつものように仕事を終えて別予定に行くだけだが。

先日ここで書いた、フランシスコ法王が語ったという「バチカンが患う15の病」。
読み返してみると、バチカンだけの問題ではないと気づく。むしろわたしたちにも問われていることではないだろうか。

世の中には不正義がたくさんある。そしてそれを問い続け、不正を正していくことはもちろん大事だ。また、信仰を保ち続け、高い信仰を持ちたいと思うのも同じくらい大事なことだ。

しかし、自分の立場や価値観主張は、だからといって絶対に正しいと言えるものではない。絶対なのは神しかない。自分はどうしたって権威があるわけでも全てにおいて正しいわけでもない。信仰があるからといって正しさまで保障されたり認められたりしたのではない。あるのはただ信仰を持っているという一点だけだ。はっきり言ってしまうと神の前には、相対的な、あやふやなものであり、間違うことも間違いを犯すこともあるのだ。

だからこそ、自分の立ち位置や思いを常に問い続け、確信はあっても盲信したり思い上がらないように自戒すべきなのだ。
それを怠ると、ごう慢になったり他者を貶めようとしたりする。

年の瀬にテレビを見る2014/12/27 21:05:08

仕事納めで気が抜けたか、それでもゴロゴロしているわけにはいかないから、午後から外に出て年の瀬の街を歩いてきた。銀座から田原町のカッパ街へ。
行ってみたらあるわあるわ、和洋食器、コックさんやウエーターらのコスチューム、前掛けなどの衣類、洋菓子用型どりなど専門用品、お店の看板用品など。多分ないものはないといってもいいくらいの品揃えだ。

夜はNHKの「夜だけど朝イチ」をみる。母親と娘の葛藤や関係トラブルがテーマ。そういえば今年話題になったのは、母親と息子も密接な関係をもっているケースも増えているという話題だった。親子関係が密接になりやすいという。母と娘の関係は、言ってみれば夫と妻がうまくいっているかどうかもかかわってくるという。
いろいろ考えさせられた番組である。

打ち合わせとフォーク酒場2014/12/28 22:22:16

2014年最後の礼拝を終えて、自宅へ戻る。数日前に風邪をひいてしまい、いくぶんかは戻ったもののまだ、鼻水やのどの痛みがあって少々きつい。
午後から、朗読仲間や手話仲間を自宅に招いて、ある打ち合わせをもった。

実は来年2月に、ろう者難聴者仲間、手話がわかる聴者仲間を集めて居酒屋を貸切にして交流会を考えている。
はじめは今月にあったボランティア演奏会の仲間だけで内輪の反省会をと思っていたのだけど、どうせなら友人知人を集めてみよう、ということになった。その話がだんだん大きくなって、朗読仲間で話芸をやっている人に、聞こえなくても楽しめるものを、と、南京玉すだれをお願いしたらこころよくOKをいただいた。わたしも一応手話落語を予定している。

打ち合わせを終えてから、先日の新聞に紹介されていた「フォーク酒場」なるギターを弾いたり歌ったりできるお店を探してみた。プロになるとかライブハウスに出るというレベルではないけれど、人前で楽器を弾いてみたい、歌ってみたいという人たちが集まる場所が全国各地にあるらしい。

まだまだそういうレベルではないけれど、徐々にレパートリーが増えてきた。海援隊だとかやってみたい曲もある。
いつかこういうところに行ってみて弾けたらいいかもしれない。歌えない代わりに手話でやったら、関心も深まるかも知れない。

今年最後のマンデーに料理を楽しむ2014/12/29 23:55:13

今年最後のマンデー。
現地時間28日のNFL最終戦、カロライナ・パンサーズ対アトランタ・ファルコンズ戦をテレビ観戦する。意外にもと言ったら失礼か、カロライナの守備がよくて、アトランタのパスオフェンスをことごとくつぶしてインタセプト3つを奪うなどをみせ、アトランタはたった3点しかあげられなかった。
カロライナはレギュラーシーズン負け越しながら(7勝8敗)プレーオフ出場。知人曰く「アンダードッグ」、番狂わせの可能性もあるようだ。わがオークランドはデンバー・ブロンコスとの最終戦、14-47で敗戦、3勝13敗だがやっとQBが固定できて、戦力も徐々に固まりつつある。すぐには無理だろうけど2年後あたりには復活できるかもしれない。

年末、妻は今年最後の勤務。なんでこんなときまで、という怨嗟をあげる人もいるようだけど、働けること自体が感謝しなくては。
で、たらふくおいしいものを食べさせてやりたいと言ったのに、妻はなんとハンバーガーショップの「SUBWAY」で食べたいという。もうちょっと言ってもいいのにねえ。
そう言いながら、夜は二人一緒に今年最後の料理をつくった。やっぱりカレーライス。

たくさんつくったから、三が日も多分カレーだろうねえ。

George VEDITZ 1913年、National Asociation of The Deaf2014/12/30 23:09:20

浅草へ足を伸ばして、来年2月のイベント交流会でやるつもりの手話落語で着る着物をみてきた。
ここは演芸場があり、古くから有名無名の芸人さんを育ててきた土地柄。踊り用の衣装や古着物などたくさんある。ぞうりももちろんあって先日安いのを買ってきたばかりだ。

色柄の着物もあった。水色や黄色など、13000円くらいだという。ほかにも帯もある。年中無休ということで、おおみそかか年明けに妻と見てこようかと話し合ってみた。

夜は2014年最後のASLレストラン教室。
George VEDITZという人物がいる。1913年、National Asociation of The Deafという団体のPresidentだった人物だ。彼は手話と映像、フィルムでろう者の文化を後世に伝え、ろう者の存在を守る運動に尽くした人だ。

考えてみよう。1913年,100年前だ。
当時は障碍者に対する権利意識なんてなかった。護憲運動で桂内閣が総辞職、宝塚唄歌隊(後の宝塚歌劇)が誕生、などのできごともあったけれど。

そんな時代にアメリカではろう者の権利を守ろうという動きがあったのだ。

まもなく新しい年を迎える。
わたしたちは時代のうねりのなかで、未来に何を伝えられるのだろうか。