3年9カ月2014/12/11 23:07:03

午後3時7分ごろ、山梨県東部・富士五湖を震源とする地震があった。

神奈川県秦野市などで震度4 津波の心配なし
http://www.asahi.com/articles/ASGDC53M4GDCUTIL02F.html

今日はあの東日本大震災から3年9カ月になる。
今日の地震はかすかにだがからだでも揺れを感じた。津波うんぬんよりも、この地震の震源が山梨県東部・富士五湖、というのが気になる。よりによって富士山に近い場所だ。大山鳴動では困るが、東日本大震災以後、地震や火山の噴火などが相次いでいることを考えるとあながち軽視できない。帰宅途中でネットを見ると、同じように富士山の噴火を危惧している声をいくつかみつけた。どうなるだろうか。

夜からのギターレッスン。みんなとやるボランティア演奏前はこれが最後。
「ふるさと」を練習しているが、FコードはともかくB♭コードが押さえられない。
やむなく、カポタストをつけてみたら、苦もなく弾けた。
本番はこれでやってみようと思う。

写真は、帰宅途中の汐留にあった、大な電飾クリスマスツリー。
もうそんな時期になったかと思うとともに、来年は少しでも災害や事故のない年でありたいとこころから願う。

緊張を感じている2014/12/12 21:31:12

いよいよあす、半年をかけた手話ソングボランティアの初舞台だ。
わたしもまたメンバーでありリーダーとして、緊張を感じている。

失敗してもいいし手話の表現を忘れたり間違えたりしてもいい。ただ、大事なことは、「手話で表現すること、人の前で歌う、表すことの楽しみと難しさを感じてほしい」「精いっぱい笑顔でやること」の2つ。

わたしだって初めての朗読のときはうまくいかなかった。初めからうまくいったらかえって成長も進化もないだろう。うまくいったとしてもそのなかでどこかおかしいとか失敗したとかいう部分が隠れているもの。何度やっても完璧に覚えて手話を間違えずにやったとしても「もっとこうすればよかった」「今度はこんなふうにしたい」という部分がみえる。それがあって次回に生きてくる。

みんなには「ダイジョウブ」と笑顔で言葉をかけたい。
ダイジョウブ、かならずできるから。

第一回目 初舞台2014/12/13 21:11:15

当日の楽譜
半年をかけて仲間たちとはじめての手話とギターのボランティアの演奏会の日がやってきた。
午前中にわたしの自宅マンションにある集会室に集合。仲間のひとりが購入してくださった、電子オルガンとミキサーをつなぐコードも含めて手持ちの音響コードの接続に時間を費やし、残りの時間に短いながら曲目の練習を行って軽い昼食を済ませて、車で移動。

会場となった江戸川区にある高齢者施設に入って、舞台設営とギター、ミキサー、電子オルガンの設置、記録(みんなにとっても初めての舞台だから!)用のDVDカメラもセットして、いよいよ本番に。

MCでわたしがこのグループの紹介をするはずが、あっさり短く終わらせてしまうなどいくつかミスがあったけれど、施設職員のみなさん、入所者ご高齢の方々、合わせて50人ほどのお客さんは、みんな手話に合わせてくださったり手拍子を打ってくださったり、からだを動かしたり。とてもいい反応がかえってきた。
アンコールがかかって、みんなあわてたけれど、みなさんにきいたら「四季の歌」をききたい、という。で、もう一度やることになった。

個人的には、出だしのタイミングが不安だった「上を向いて歩こう」をノーミスでできたのはうれしかった。オルガン担当と目を合わせてうなづきをしたのだけど、打ち合わせでは2回うなづいたら、のはずだったけど。

前にも書いたように、失敗やいろんな感じたことがたくさんあると思う。それをこれからどう生かしていくかが大事。失敗したことを誰も責めない責めていない。こころにいろいろ思う事があるだろうけれど、人の前で手話を使って歌いからだを使って表現する。この楽しさとやりがいを一生忘れずにいきたい。やっていて昔、真理子さんと一緒にフライングハンズをやっていたころを思い出したし、ギターももっとうまくなりたいと思いを新たにした。
まず、第一回目の初舞台を終えられたことを、仲間とともにこころから感謝、喜びたい。

はるかに力強く生命力にあふれている讃美歌2014/12/14 21:54:28

疲れが出たのか、けさまた軽い頭痛があった。浦安教会での礼拝は頭痛をガマンしだましだまししながらだったけれど説教を読み取るまでにはいたらず、がっかり。

午後から妻と一緒に、渋谷の東京バプテスト教会でのクリスマスジャズスイングコンサートへ足をのばしてきた。
http://www.tokyobaptist.org/live/index-j.html

やっぱり補聴器では聴きづらい。
それでも、『荒野の果てに』『きよしこの夜』『天なる神には』など、聴き慣れたクリスマス賛美歌がジャズ風にアレンジされていて、パワフルな聖歌隊やソロシンガーの歌唱に圧倒されてきた。
外国人にも歌えるようにとローマ字の字幕をつけているのが、ゴスペル集会でよく見かけるものだけど、かえって逆効果。へんちくりんなわけのわからない自己満足のようなゴスペルよりも、長い歴史の風雪を耐えて人口に膾炙された讃美歌は、そんなものよりはるかに力強く生命力にあふれている。こういう歌こそ歌い継がれていくべきものだ。
今晩のこのイベントはそんなものはなく、英語と日本語の字幕があった。へんちくりんなものをつけて日本人に合わせさせるより、英語と日本語の両方併記字幕のほうがすっきり、楽しめる。はっきり言っておくけど、へんちくりんなものはかえって余計なものでしかない。

自宅に帰ってから夕食を一緒にすごしたあと、昔買った音楽2曲をCDに入れて、今月末からのギターご指導をいただくにあたっての資料として、ギター講師におあずけすることにしている。時間がかかってもいいので、この2曲をギターで覚えたいなあと。
年賀状。まだ半分も終えていない。あせるなあ。

ジャパンエックスボウル2014/12/15 22:58:53

アメリカンフットボールファンにとって、年末から翌年2月のスーパーボウルまでの期間はとても楽しみな時期である。
その楽しみの一つ、社会人決勝であるジャパンエックスボウルを、妻と一緒に観戦してきた。カードはIBMビックブルー対富士通フロンティアーズ。

妻にとっては4回目の観戦。まだルールもおぼつかないなか、妻にごく簡単な説明から入っていって試合を一緒に楽しんだ。

IBM  10  0・7・3・0
富士通 44 16・7・7・14

試合は両チームともにアメリカ人クオーターバック(IBM=ケビン・クラフト UCLA卒、富士通=マイク・キャメロン ルイジアナ工科大卒)の攻撃指揮が話題になった。ハイスコアゲームになるのではないかという予想さえあった。
しかし試合になってみると、富士通の攻撃と守備がうまく機能し、クラフトに仕事をさせなかった。パスを守備バックがカットしたりインタセプトしたりと、攻撃の芽をつぶしていった。攻撃は守備がつかんだ攻撃権獲得を、ラン攻撃につなげるなど、うまい試合展開をつくっていった。
ということは、そのままIBMにとっては、まずい試合運びだったともいえる。クラフトのパスに頼ったプレーが致命傷だった。なんどかあったパス攻撃を、パス不成功などで生かせなかったIBMのミスは大きかった。

さて来月3日のライスボウル。
昨日の甲子園ボウルで大学側は関西学院大学と決まっている。
はたして学生が一矢を報いるだろうか。社会人にはアメリカ人選手がいるが、学生側には外国人選手はいない。
アドバンテージを考えると、圧倒的に学生不利の予想だが。
ライスボウルの意義、ひいては学生にもアメリカ人留学生を入れるなどの取り組みが必要なのかもしれない。
ただ、どのレベルの学生を招くか。NCAA(全米大学体育協会)1部か2部か、1部でも強豪クラスの学生だとポジションやスキル、体格の差がありすぎる。NAIA(全米大学競技連盟)というスモールカレッジがあつまるレベルでも日本とは比べ物にならないくらい、技術も体格も高い。ましてアメリカの学生がわざわざ日本のために来日して留学するだけのメリットを感じるかどうか。

しかしライスボウルでこれだけ社会人優位、力量差が生じると、本当の意味での社会人対学生になりえるのかどうか。
来月3日は正念場と言えるかもしれない。

こころから憤りをおぼえる2014/12/16 23:01:26

暖冬と誰が言ったのか。今年も残り2週間あまりになって、北海道は猛吹雪と伝えられている。

タリバーンが学校襲撃、生徒ら130人死亡 パキスタン
http://digital.asahi.com/articles/ASGDJ62DGGDJUHMC003.html?_requesturl=articles%2FASGDJ62DGGDJUHMC003.html&iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASGDJ62DGGDJUHMC003

オーストラリア・シドニーでも、カフェにイスラム国に心酔した男性が立てこもり、銃撃戦になった。容疑者は射殺されたほか、人質となっていた2名も亡くなったという。

信仰は人のこころを穏やかに、人生の道しるべとなるものだが、極端な方向に走ると、排他的独善的になり、自分たちだけが神の道である、自分がまるで神の代理人か同列であるかのようにさえふるまってしまう。
イスラム教すべてがこのような狂信的なものではないことをわたしは知っている。しかし現に事件は起きてしまった。
どんな宗教も尊重尊敬されるべきであり、いかなる異なる信仰もそれを信じる自由はもちろん信じる人たちを抑圧することがあってはならない。
だが、極端な方向に走ってしまうものに対しては、毅然とした姿勢で「おかしい」というべきだと思う。
わたしは女性にも教育を、というマララさんの主張を支持する。
そしてこのような蛮行をはたらいたイスラム過激派にははっきりと「あなたたちは神からほめられることはないだろう」と言いたい。

どんな理由があれ、暴力によっていのちを奪うものほど、動物以下のものでしかない。
こんなのは宗教ではなく狂信でしかない。

2015年の目標2014/12/17 23:36:58

今週土曜日は、仲間と一緒に高齢者施設で手話とギターのボランティア演奏の初舞台から1週間になる。早くも「また来てください」という反響をいただいて、グループリーダーとしてとてもうれしい思いである。メンバーももちろんうれしい思いであることは同じだ。人に見せる見られるというのはたいへんな一方、緊張感もあるが、こうやって反響をいただけると、さらに今度はもっといいものにしよう、という前向きな気持ちになる。

次回はどうするか、曲目を増やす方向で考えているが、それとは別にわたし個人も、もっと曲レパートリーを増やしたいと、新しい曲に挑戦したいと思っている。
そのうちのひとつはベッド・ミドラーの「The Rose」という曲だ。
楽譜を探してみると、コード進行はそれほど難しくない。リズムも覚えられそうだ。
原詞をみると、いま学んでいるアメリカ手話で教わった単語もいくつか出てくる。生前の真理子さんがやっていたのを覚えているが、実際に手を動かしてみると、とてもよくわかる。

ほかにも「心の瞳」「典子は、今」の2曲も覚えたい。
2015年は、個人的にはこの3曲を覚えて、いつかやってみたい。ギターの目標である。

言葉がしっかりしているからこそ2014/12/18 22:29:15

東京)「今日の日はさようなら」誕生の地・調布に歌碑を
http://digital.asahi.com/articles/ASGD45V6FGD4UTIL02X.html?_requesturl=articles%2FASGD45V6FGD4UTIL02X.html&iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASGD45V6FGD4UTIL02X

このあいだの東京バプテスト教会でのクリスマスジャズスイングコンサートでもつくづくあらためて感じさせられたのは、歌ってすごいなあということだった。といっても歌唱力がどうの、うまい歌い手さんがどうの、ということではない。
このスィングコンサートでは「荒野の果てに」や「ハレルヤ・コーラス」といった聴き慣れたあるいは知られた曲をジャズにアレンジしていたが、それでも原曲のもつ力はいささかも損なわれていなかった。MCで「ヘンデル(「メサイア」、ハレルヤ・コーラスの作曲者。ジョージ・フレデリック・ヘンデル、1685年2月23日 - 1759年4月14日)がいまのこの曲を聴いたら『おれの曲がなんでこんな感じになったのだ」と驚くかもよ」と言っていたのだけど、それだけ長く歌い継がれているからこそ、力があるとも言える。

この「今日の日はさようなら」も、そのひとつだといっていいのではないだろうか。
わたしがギターを覚え始めたころつま弾いていたのがこの曲だ。
しかし、調布で生まれたとは知らなかった。
歌が生まれたいきさつについては本文を読んでいただくとして、声高に張り上げるとか自分の言いたいことだけを言うとかでなくても、しっかりした歌詞があれば、歌い継がれていくものだと思う。
いつも思うのだけど、文部省唱歌とまではいかなくても、長く歌い継がれてきた歌は、言葉がしっかりしている。むりやりメロディーにはめこむのではなく、言葉とメッセージ性がしっかりしているから、へんちくりんな意味のわからないものになっていない。独りよがりなものにしかなっていない。

できるなら手話でも、そういう歌を歌い続けたいものだ。賛美歌でもフォークでもなんでも。

"The Rose”2014/12/19 20:32:34

"The Rose”

Some say love, it is a river, that drowns the tender reed
Some say love, it is a razor, that leaves your soul to bleed
Some say love, it is a hunger, an endless aching need
I say love, it is a flower, and you, its only seed

Its the heart afraid of breaking, that never learns to dance
Its the dream afraid of waking, that never takes the chance
Its the one who wont be taken, the one who can't seem to give
And the soul afraid of dying, that never learns to live

When the night has been too lonely and the road has been too long
And you think that love is only for the lucky and the strong
Just remember that in the winter, far beneath the bitter snow
Lies the seed, that with the sun's love in the spring becomes the rose.

昨日のここでわたしは「言葉とメッセージ性がしっかりしているから、へんちくりんな意味のわからないものになっていない。独りよがりなものにしかなっていない」と書いた。
まだ楽譜が届いていないが、2015年に覚えたい曲、"The Rose”をあげよう。

歌詞の翻訳はネット上でもたくさんあるし、中学生レベルの英語力ならおおよそ分かると思う。

愛とは、川のよう。愛とは、カミソリのようなもの。こころが壊れることを恐れてはダンスは踊れない。与えることなしに得ることはない。死ぬことを恐れては生きることはできない……。

これこそしっかりした言葉のメッセージである。無理にこじつけなんかしなくても十分、生と死、希望と勇気を歌っている。

はっきりいうと、キリスト教ペンテコステ派の集会、聖会でよく出る、ゴスペルバンドの歌からは、感動を感じない。もちろん歌い手はうまいのだろうけど、こころに響いてこない。無理に手をあげたり飛び上がったりしなくても、こころの奥底に響くなにかがあるかないか。

手話サークル夜の忘年会2014/12/20 22:21:57

妻の賛美ダンス小道具
中難協手話サークル夜の忘年会。
妻は賛美ダンスを、わたしは手話落語をやった。

落語はなんだか知らないけど、みんなまじめな顔をしてしかし何人かは笑ってもらえた。わらってもらえるとうれしい。
妻の賛美ダンス。初めて見る人が多く、妻のダンスをケータイやスマホの写真、動画に収める人が多かった。ちょっぴりうれしい。

今年もまもなく、あと1週間たらず。