歴史への責任2013/04/15 22:58:53

オフシーズンのいま、フットボールファンにとっては、今月末にあるNFLドラフトが大きな話題だろう。ネットでドラフトを見るファンは日本でもいるけれど。

忙しい朝のひととき、わたしがたまにみるのはCS放送・GAORAの「アメリカズゲーム~スーパーボウルチャンピオンズ~」。
けさは1971年のダラス・カウボーイズをとりあげていた。

NFLに限ったことではないけれど、NBA、MLBやヨーロッパサッカーリーグなどでは歴代チャンピオンチーム、惜しくもチャンピオンになれなかったチーム、偉大な記録を残した選手や家族、監督やコーチにインタビューしたりゲームフィルムを撮影したり、ドキュメンタリーを制作したりしている。
こういうのをみると、欧米の中に脈々として流れている、歴史への姿勢というか、自分たちがつくっているかかわっている歴史への責任というか、歴史を作っているからこそ記録を遺していかなくてはいけない、というのだろうか。

日本ではあまりこういった取り組みを聞かない。なぜだろう。

スポーツだけではない。いろんな分野で人がかかわり、なにかを遺しているはずだ。
だとしたら、歴史の評価に耐えられるかどうかはともかく、歴史に恥じない何かを遺せるようになりたい、と思う。